CYCLINGFAN!!

自転車をこよなく愛し、自分の脚と熱いハートで幾つになっても、可能な限り、どこまでも走り続けます~♪

アンチ・ドーピングについて考える(3)

2013-01-19 08:13:26 | ドーピング問題

 スポーツ界でドーピングが禁止されている理由は3つあります。1)スポーツの基本理念、スポーツ精神に反する(アンフェア、反則)。2)選手の健康に有害である(副作用)。3)社会悪である(青少年への悪影響)がそれです。医学技術の進歩によって2)の副作用が少なくなくなったことがドーピングを加速させたのではと考えています。しかし、最も大きいのはスポーツ界で大量の金銭が動くようになったことにより、スポーツ選手のモラルが低下したことではないでしょうか?選手の地位や名声がお金に換算されるようになってしまったのです。
Lance2013
 個人的には規制は最低限にして、競技中にドーピングが発覚した選手はモラルに欠ける選手とみなし即永久追放にするくらいの覚悟が必要だと考えています。今のままでは規制は厳しいけれど、1度のドーピングは2年間の出場停止で許されるのであれば、発覚するまでドーピングを続ける価値はあると考える選手が出ても不思議ではありません。Lancearmstrong01

 ある意味、これは1度のドーピングはOKとも取れる措置といえるでしょう。発覚してもCASに提訴すれば、CASの判決が出るまではレースに参加することが出来、CASで敗訴してもその間のタイトルが剥奪されるだけで、実質的な出場停止期間はぐっと短くなると考えることも可能なのです。
 建前上は必要以上に規制を厳しくしてますと言いながら、1回は許しますよとUCIが言っているに等しいと私などには思えてしまうのです。このような曖昧な規則の上に胡坐をかき、「アンチ・ドーピング意識」を云々するUCIの態度には腹が立つのを通り越して、あきれてしまう他ありません。
 プロ・アマを問わず真摯に競技に取り組んでいる選手が損をしたり不利益をこうむることはあってはいけない。それは規則で定められているからそうしなければならいのではなく、人として当然のことだと思うのです。ましてプロのアスリートであればなおさらではないでしょうか?

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アンチ・ドーピングについて考える(2)

2013-01-16 06:54:25 | ドーピング問題

 ここで、今一度ドーピングの歴史を振り返ってみましょう。
 「ドーピング(doping)」の原語である「ドープ(dope)」の語源は、アフリカ東南部の原住民カフィール族が祭礼や戦いの際に飲む強いお酒"dop"とされています。これが後に「興奮性飲料」の意味に転化し、さらに「麻薬」という意味でも用いられるようになりました。
 英語の辞書に「ドープ」が初めて載ったのは1889年のことで、「競走馬に与えられるアヘンと麻薬の混合物」と説明されています。つまり、この当時のドーピングの対象はヒトではなく、ウマでした。いずれにしても、「薬物を使用すること=ドーピング」というわけです。
 一般的にドーピングとは競技に勝つために薬物を使用することと考えられていますが、実際こうした意味でのドーピングの歴史は古く、既に古代ギリシャ、ローマ時代の勇者がコカの葉を噛んで競技に出場したといわれています。これは競技力の向上というよりも、幻覚作用などを利用して精神の高揚を図り、命をかけた猛獣との戦いの恐怖から逃れるためにドーピングをおこなったのでしょう。また、同じような目的の麻薬使用は宗教儀式にもみられます。現在でも、中南米やアフリカの土着宗教・呪術(例えば、ヴードゥー教)に麻薬が重要な役割を果たしているとされています。
 麻薬というとまず「薬物常用」「薬物乱用」といった犯罪行為が思い浮かびます。医学的に必要のない不正な薬物使用という意味で似通った点はあるものの、これらの場合には「Doping」ではなく、通常「Drug abuse」と呼びます。スポーツ競技における不正な薬物使用を特に「Doping」と呼んで区別しているのです。
 今日、ドーピングとして禁止される行為は麻薬どころか、薬物使用にも留まらない範囲に規制が拡がっています。「Doping」と「Drug abuse」の区別には、そうした点でも実際的な根拠が生まれてきました。
 世界アンチドーピング機構(WADA)は、使用を禁止するドーピング物質や行為をリストとして公表していますが、これをご覧いただくと分かるように、歴史を重ねるごとに「ドーピング」の意味する範囲が拡がっているのが実態です。
 元々は麻薬・興奮剤の使用といった限られた定義からスタートしたわけですが、1960年代から筋肉増強剤である蛋白同化ステロイドが使われはじめ、それも合成ステロイドから天然ホルモンの使用へと"進化"しています。つまり、この時点でドーピング行為の禁止対象が(化学合成した)薬物ばかりでなく、生体に元来存在する天然物質を含むようになったのです。
 今日では麻薬のような習慣性薬物の弊害が知れ渡っているため、それらが理由で処分を受ける例はたいへん少なくなりました。むしろ、総合感冒薬を飲んでいたために、その成分の一つエフェドリンが検出されたというような「うっかりミス」が懸念される状況です。
 単なる「うっかりミス」ではなく、選手本人やコーチング・スタッフが不正を承知で薬物を使用する場合は、手段がより巧妙化しています。例えば、同じ筋肉増強剤でも合成ステロイドなら選手から検出された時点で申し開きの余地なく「不正行為」と判断できますが、天然ホルモンを使用されると不正を証明することははるかに厄介となります。なかには「限りなくクロに近い灰色」というケースもあります。ただし、もっとも「灰色」の選手は以後マークされることが多く、最後まで不正を隠し通せる可能性は低いといえます。 
 さらに、不正な薬物使用を隠そうとして利尿剤(ドーピング検査の材料となる尿の量を多くして、禁止薬物の濃度を薄めてしまう)や再吸収促進剤(禁止薬物が尿に出ていかないようにする)、その他の隠蔽剤(禁止薬物が検出されるのを化学的に妨害する)などを用いる企ても明らかになり、禁止行為とされました。これらは直接に競技力の向上に結びつく薬物ではなく、「本命」の薬物から目を逸らすように仕向ける「影武者」のようなものです。つまり、ドーピングの事実を隠すために別のドーピングを行っていることになります。
 薬物以外のドーピング行為の一つに「血液ドーピング」と呼ばれるものがあります。これは競技直前の輸血によって赤血球を意図的に増量するもので、持久力を高めることを狙いとしたドーピング行為です。その後、エリスロポエチン(EPO)や、人工酸素運搬物質(人工ヘモグロビン、フッ化炭素類)のように、血液を材料とする検査の方がより効果的に検出できるドーピング物質が増加してきたため、IOC医事委員会は2002年のソルトレーク市オリンピックで初めて血液検査を導入しました。その結果、アルペン距離競技に参加した3人の選手が陽性と判定されて失格したことはすでに報道された通りです。
 さらに理論的可能性として欧米で議論されているのは「遺伝子ドーピング」です。科学物質を用いるこれまでのドーピングに対して、将来はスポーツ界でも遺伝子操作が問題になると予想されています。

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アンチ・ドーピングについて考える(1)

2013-01-14 06:55:47 | ドーピング問題

 UCIによって2013年のプロツアーライセンスを許可されなかったカチューシャがCASへ提訴した結果、UCIは「複数のドーピング疑惑が持ち上がったこと、そしてそういった問題が起きるということはチームが組織が十分に機能していないということ、そしてアンチ・ドーピングに対する意識が低いことがライセンス拒否の理由」という文書による回答をしたようです。Ve2012_14

 一時は財政面での問題匂わせていたのに、今度は一転して「アンチ・ドーピングに対する意識が低い」ことをライセンス不許可の理由に挙げている。財政面の問題であれば数字という明確な証拠が提示できるけれど、チームの「意識の問題」と言われてしまえば、明確な証拠を提示することは難しい。まして、ドーピングでガリムジャノフが2年間の出場停止を受けた事実がカチューシャにはある訳です。
Lance2010_tl01
 では今年UCIのプロツアー・ライセンスを保有しているチームで、所属選手がドーピングスキャンダルを起こしているのはカチューシャだけなのかというと、そんなことは決してないのです。ランス・アームストロングの事件を総括しないままのUCIがチームの「アンチ・ドーピング意識」を云々するのは明らかにおかしいと私には思えるのですが・・・
 度重なるドーピングスキャンダルに撤退するスポンサーが後を絶たない現状で「アンチ・ドーピング意識」は錦の御旗となることは確かですが、UCIはこの10年「アンチ・ドーピング意識」を高めるために一体何をして来たのでしょう?規制を強化し罰則を重くすることでできる抑止などたかが知れているのです。法で規制をしようとすれば、必ずその抜け穴を探し、法の網の目をすり抜ける者が出て来るのが人の世というものなのです。20070716

 UCIは抜き打ちのドーピング検査をするために、UCIプロツアーに所属する選手たちに自分の所在地を報告する義務まで科しているのです。ここまで選手の行動を規制しているプロスポーツは他にないでしょう。ここまで規制をしてもドーピングスキャンダルが後を絶たないことに対する責任をUICはどのように考えているのでしょう?
 私は今ドーピングとはいったい何か、何故アンチドーピングが必要なのかを原点に立ち戻って考える必要があるのではないかと思っています。科学技術や医療技術が進んだ結果、禁止薬物が年々増え続けています。運動能力の向上に資するものだけでなく、ドーピングを隠蔽するための薬物も増えているのです。利尿剤(ドーピング検査の材料となる尿の量を多くして、禁止薬物の濃度を薄めてしまう)のように本来は運動能力の向上には益のない薬物まで禁止薬物リストに加えなければならない状況にあるのです。

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ロードレース界の明と暗

2012-12-01 09:22:43 | ドーピング問題

 レース・ディレクターとして過去9度のツール・ド・フランス制覇に貢献した名匠ヨハン・ブリュイネールがランス・アークストロングと共に自転車競技界から永久追放となった。Tf2010_01

 一方、ビャルヌ・リースは現役時代にミゲル・インデュラインのツール・ド・フランス6連覇を阻止しマイヨジョーヌを手にするなどの活躍を見せたが、レース・ディレクターとしてツール・ド・フランスに限っては、ヨハン・ブリュイネールほどの栄光を手にすることはできないでいる。
 しかし、USポスタル時代のドーピング・スキャンダルによって、ヨハン・ブリュイネールの栄光は剥奪されるに至った。ビャルヌ・リースはCSCの監督であった2007年に「テレコム時代の1993年から1998年までドーピングを行なっていた」と自ら告白し、マイヨジョーヌを返還している。
 2006年に自転車ロードレース界を揺るがせたオペラシオン・プエルトにより当時チームのエースとしてジロ・デ・イタリアを征し、ツール・ド・フランスでも優勝候補に挙がっていたイヴァン・バッソがヤン・ウルリッヒと共に出場を辞退せざるとえなくなる。後にバッソはドーピング関与を告白し2年間の出場停止処分を受けている。
Tf2010_02
 ビャルヌ・リースはバッソは勿論、イエンス・フォイクト、カルロス・サストレ、ファビアン・カンチェラーラ、シュレック兄弟といったグランツールで活躍する選手たちを育成した名匠であるが、ヨハン・ブリュイネールによってマイヨジョーヌはことごとく奪われていったのである。ビャルヌ・リースがチーム・ディレクターとしてマイヨジョーヌの栄冠を手にするのは2008年のことである。2008年のツール・ド・フランスは前年のヴィノクロフのドーピング問題でディフェンディング・チャンピオンのコンタドールとヨハン・ブリュイネールが移籍したアスタナが招待されていなかった。
 ビャルヌ・リースが所有・運営するチームであるリース・サイクリングは1999年に創設されている。これはヨハン・ブリュイネールがUSポスタルやディスカバリーチャンネルの運営母体であったテールウィンド・スポーツのレース・ディレクターに就任した年であり、ランス・アームストロングのツール・ド・フランス7連覇の始った年でもある。Tf2008_02

 既にUSポスタルという強力なスポンサーを得ていたテールウィンド・スポーツとは異なり、ビャルヌ・リースのリース・サイクリングが頭角を現すのはCSCというスポンサーを獲得した2003年以降となる。
 2005年から施行されているUCIプロツアーでは2年連続総合のチーム優勝に輝き、この結果はチーム力の高さを証明していたものの、ランス・アームストロングの引退後も何故かツール・ド・フランスは総合優勝ができないという年が続いていた。
Tf2008_01
 コンタドールが不参加だった2008年のツール・ド・フランスではカルロス・サストレとシュレク兄弟という3人の一流クライマーをフォイクト、カンチェラーラ、オグレディらで守るという強力な布陣で挑み、後半のアルプスステージでフランク・シュレクがマイヨジョーヌを得た後は抜群のチーム力でレースをコントロール。勝負がかかったラルプ・デュエズ山頂ゴールの17ステージではマイヨジョーヌのフランク・シュレクを囮に使ってサストレが飛び出す作戦を採用して見事にタイム差を稼ぎ、カルロス・サストレによるツール・ド・フランス個人総合優勝を成し遂げる。この年はアンディ・シュレクが新人賞も獲得している。
 翌2009年のツール・ド・フランスでシュレク兄弟で連覇を狙ったビャルヌ・リースはコンタドールを擁したヨハン・ブリュイネールの前にまたまた苦渋を舐めることになったのである。Tf2011_01

 ヨハン・ブリュイネールがいるとツール・ド・フランスでは総合優勝ができないというジンクスを打ち破るべく2011年にドーピング疑惑の残るコンタドールを獲得し、ジロ・デ・イタリアとのWツール制覇を狙ったが、コンタドールの思わぬ不調でWツール制覇は霧散したのである。
 そして今年2月CASはコンタドールのドーピング違反を認定し、2年間の出場停止の裁定が下る。チーム・サクソバンクはUCIとの規定に基づきコンタドールとの契約を解除せざるを得なかった。UCIプロチームライセンスの剥奪が懸念されていたが、UCIは、とりあえず当年度末まではライセンスを認める決断を下した。結果として、コンタドールは当年8月より、3年契約でチーム・サクソバンクと再契約し、8月6日開幕のエネコ・ツアーよりレースに復帰することとなる。
 そして迎えたブエルタ・ア・エスパーニャ。ここはドーピングスキャンダルの汚名を晴らすべく、ビャルヌ・リースは万全の体制を整えて勝ちに出るも、絶好調のホアキン・ロドリゲスに加え、アレハンドロ・バルベルデまでが、調子が上がらないコンタドールの前に大きく立ちはだかる結果となった。
Ve2012_01
 勝負ところで飛び出したコンタドールを頂上ゴール手前でホアキンとバルベルデが抜き去るという信じられない光景を目にし、誰もがホアキンのブエルタ・ア・エスパーニャ初優勝を確信した。そして第17ステージ、ゴールまで約51kmもある2級山岳カテゴリのラホス峠付近でアタック。残り約23㎞地点で先頭グループから抜け出しを図るべく再度アタックをかけ、後続を引き離す。不調に終わった2011年のツール・ド・フランスでも逃げの手に出たことはあったが、山岳にカテゴライズされていないステージで優勝候補が逃げに出るとは、おそらく誰も予想だにしていなかったはずである。隙をつかれたホアキン・ロドリゲスは2分38秒という大きな差をライバルに与えてしまうことになった。最後の逃げでコンタドールと共に抜け出したのはパオロ・ティラロンゴだった。ティラロンゴといえばアスタナ時代のコンタドールのアシストであり、昨年のジロ・デ・イタリア第19ステージでグランツールでの初勝利を飾ったことは記憶に新しい。しかも、その勝利はコンタドールのGIFTであった。Ve2012_02

 この時の作戦がコンタドールの判断だったのか、ビャルヌ・リースの作戦だったのかは明らかにされていない。勿論、その両方である可能性もある。ただ、ビャルヌ・リースのチームなら戦術だったと考えたくもなるのである。ビャルヌ・リースとはそう思わせずにはいない名匠なのである。
 しかし、ビャルヌ・リースとコンタドールにとって難題がまだ残っている。それは2013年のUCIプロツアー・ライセンスが確定していないことである。コンタドールのブエルタ・ア・エスパーニャ総合優勝で確実と見ていたのだが、ドーピングで出場停止明けの選手のポイントは格付ランクに加算されないというのだ。Lancearmstrong01

 コンタドールの復帰とともにランス・アームストロングの形勢が悪くなり、10月22日、ランス・アームストロングのツール・ド・フランス7連覇のタイトル剥奪と永久追放が決まった。後にヨハン・ブリュイネールも永久追放処分となる。
Lease02
 自らドーピングを告白したビャルヌ・リースがレース界に残り、最後迄潔白を主張し続けたヨハン・ブリュイネールがレース界を永久に追放されるというのも皮肉な話しである。それも周囲の証言だけで物証が全く無い状況でである。心証は真っ黒なのに証拠不十分で無罪となった小澤某氏とは対照的な結果である。Lance2010_tl04

 正直言ってドーピング関連の話題はもううんざりである。しかし、現実問題として起きている以上、明確なガイドラインなど、誰もが見て納得できる基準が要求される。現状では「疑わしきは罰する」、つまりグレーとなれば理由を問わず罰するという姿勢になっており、真相解明が疎かにされていることは否めない。またUCIとWADA(世界アンチ・ドーピング機構)の足並みが揃っていないのもまた事実であるが・・・

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コンタドールは完全無罪!!

2011-02-17 04:23:05 | ドーピング問題

 「ツール期間中のドーピング検査でコンタドールに陽性反応」と報じられたのは昨年の9月末のことでした。容疑は「ツール・ド・フランスの2回目の休息日である7月21日に行われたドーピング検査でアルベルト・コンタドールの尿サンプルから陽性反応が検出された。」というものでした。
 検出されたのは少量のクレンブテロール(clenbuterol)。このクレンブテロールは脂肪の少ない身体を作るために使われたり、畜産物の痩肉剤としても使われる薬物です。一方で喘息の治療薬として処方される薬品としても知られ、心肺機能の向上や筋肉増強作用のある薬物でもあります。Oxibronclenbuterol20mcg
 検査結果はUCIに認定されているWADA(世界アンチドーピング機関)が行ったもので、UCIとWADAが同時に発表したということです。検出されたクレンブテロールの量は50ピコグラムと見積もられており、これは規定された禁止量の約400分の1程度の量に過ぎないのですが・・・
 クレンブテロールは、脂肪の燃焼効果がある薬品で元々は、ぜんそくの治療に使われているものです。クレンブテロールを摂取すると脂肪代謝が始まり、脂肪分解から減量につながっていくと言われています。また、ぜんそくや他の呼吸系の病気を抱える患者は肺の中の細気管支の気道が小さくなっているが、クレンブテロールには狭くなった細気管支を広げる効果があるそうです。嘗てディプインパクトがフランスの凱旋門賞で失格になったのもこの薬品摂取でした。
 自転車選手にとって、クレンブテロールがもたらす効果はサブタモール同様明らかです。また、この薬品は絞った身体を維持したいボディビルダーが多く使用していることでも知られている薬品でもあるのです。ただ、50ピコグラムという量では「ドーピング違反となる規定の量に比べ500倍は少ない」訳で、故意に摂取する必要性を感じないのですが・・・1ピコ(pico)グラムとは0.000 000 000 001グラムなのですから。
 UCIは、コンタドールから検出されたクレンブテロールについて、規定に比べると400分の1と微量だったことを発表。ただ、例え量がわずかだとしても、薬物使用の痕跡が明らかになれば2年間の出場停止処分が科せられるとの方針を発表したのです。ならば、禁止薬物量の規定は無意味となるのではないでしょうか?本来病気の治療や健康保持のために使われる薬物が,競技能力を向上させることを目的として使用されることをドーピングとよびます。つまり、競技能力を向上させる効果のない量の薬物はドーピングに当たらないはずなのです。
 これに対しコンタドール側は「クレンブテロールは、彼が食べた肉に含まれていたことが原因」と反論。その一方でこの禁止薬物は、コンタドールが違法な自己輸血を使用したことを示すという意見もありました。今回のドーピング騒動がここまで長期化した最も大きな理由がこの疑惑のせいだと私は見ています。
55024  しかし、アレクサンドル・ヴィノクロフの時のように、明らかな血液ドーピングの証拠が検出された訳ではありませんでしたから、争点は故意か過失かという点に絞られることになった訳です。本来はコンタドールが汚染された肉を食べたかどうかではなく、食べたのが何時かということであり、肉のレシートなどが問題視されたのも、おそらくそのせいだろうと私は見ています。
 過去にもこのクレンブテロールを食肉から摂取し、WADAからドーピング違反を問われた選手がいます。それはディミトリ・オフチャロフというドイツ人卓球選手でした。彼は中国でのトーナメント出場後にクレンブテロール陽性が検出されたのです。しかし、この事件でオフチャロフは過失が認められ無罪となっているのです。
 この際、「スポーツ選手は自分の体内に入るものにはすべて責任を持たなければならない」と主張していたにも関わらず、WADAは上訴を見送っているのです。これは当然のことで、禁止薬物に禁止量が明記されている以上、故意であれ過失であれ、禁止量を超えていればドーピング違反です。逆に禁止量を超えない限り薬物摂取だけで違反行為は成立しないのは当然のことだと思います。Conta_dl2010_10
 血液ドーピングの明らかな証拠がない以上、ここでは50ピコグラムという量こそが問題になるべきで、これが故意か過失かという問題になっていたことが私には不思議でした。この問題が報じられた直後、メディアはこぞって「2年間の出場停止は必死」という論調でした。それが年が明けると「過失として1年の出場停止」をコンタドールも受け入れるだろうという報道もなされました。
 明らかに血液ドーピングの材料が揃っているのならともかく、その可能性があるというだけで、禁止量の400分の1の薬物摂取をドーピング違反と報道したUCIとWADAには呆れて物を言う気もなくしてしまいました。この時点でUCIとWADAはコンタドールに血液ドーピングの疑いありと考えていたに違いありません。しかし、その後の調査でも血液ドーピングの証拠は見当たらないまま、UCIはRFEC(スペイン自転車競技連盟)へ判断を委譲せざるを得なくなったのです。
Conta_dl2010_09  私は数年前からドーピングは許し難いものでも、UCIとWADAが規定する自転車ロードレースに関する禁止薬物が他のスポーツに比べて多過ぎることを非難し続けてきました。禁止薬物の種類の多さに加え、禁止薬物量までなし崩しにされたのでは何をか況やでしょう。自転車ロードレース界でドーピング・スキャンダルが絶えないのも、私はそうしたUCIやWADAの考え方に大いに関係があると考えています。今は選手達に同情的にすらなっているのです。
 昨年の夏、苦しみながらもツール・ド・フランス連覇を達成したコンタドールには強い感動を覚えました。サクソバンクへ無事移籍も決まり、今年のツール・ド・フランスに想いを馳せていた矢先のできごとでした・・・正直、ブログに記事を書く気力さえ失っていました。昨年の10月からブログの更新を止めてしまったのには、理由があったのです。
 コンタドールを擁護する記事を書きたいという想いがなかった訳ではありませんが、禁止量の400分の1で有罪になるのなら、最早何を言っても無駄だろうという虚しさから、沈黙を決めていたわけです。Conta_tf2010_01_2
 そして今日「スペイン自転車競技連盟は、この3度のツール・ド・フランス総合王者を出場停止にする自らの裁定をくつがえすことを決めた。」という一報は私にツール・ド・フランスを今年も楽しめるという大きな喜びを齎してくれました。今年はアンディとコンタドールのどちらに軍配があがるのかと・・・
Conta_dl2010_11  まだ、UCIとWADAがスポーツ仲裁裁判所へ上訴する可能性はありますが、明らかな血液ドーピングの証拠が挙がらない限り、50ピコグラムのクレンブテロール摂取だけでは判決を覆すことはできないと思っています。
 私が最も危惧していたのは、曖昧な形で1年の出場停止が宣告されることでした。これはUCIとWADAが定める禁止量がなし崩しにされ、微量の薬物摂取も全て有罪という悪しき判例を作ってしまうことになるのですから。そうした意味でもRFEC(スペイン自転車競技連盟)の英断を支持したいと思います。

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