Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

帰りを待っていた人が、帰って来ない程、辛いものはないです。とっても悔しい!。/児玉 清 さん、逝く。

2011-05-18 23:59:59 | 芸能界



読者の皆様、こんばんは。
管理人のDanchoです。

更新した日付は、5月18日としていますが、只今、5月17日、21時35分頃です。

春なのに、あぁ…春なのに、とっても悔しくて、悔しくてたまりません。

「アタック25」児玉清さん、胃がんで死去(読売新聞) - goo ニュース

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 実直な二枚目として映画やテレビで活躍し、テレビ朝日系「パネルクイズ アタック25」の名物司会者としても親しまれた俳優の児玉清(こだま・きよし、本名・北川清=きたがわ・きよし)さんが、16日午後0時28分、胃がんのためなくなった。77歳だった。

 東京都出身。1958年の学習院大学卒業後、東宝ニュー・フェースの13期生となる。しばらくは端役が続いたが、61年の堀川弘通監督の「別れて生きるときも」でヒロインの初恋相手役を、65年の松山善三監督の「戦場に流れる歌」では、死を覚悟して入隊した軍楽隊員を好演した。

 67年にフリーとなり、丸山誠二監督の「日本海大海戦」、今井正監督の「妖婆」などに出演し、誠実で温厚な二枚目俳優として知られるようになった。強い個性に欠けることもあり、映画ではもっぱら脇役だったが、テレビでは、「花は花嫁」(日本テレビ系)「ありがとう」(TBS系)など、ホームドラマに引っ張りだこで、“理想の亭主”的な存在として活躍した。

 75年には「パネルクイズ アタック25」の司会者に起用され、安定感のある重厚な語り口で、30年以上も続く長寿番組を支えた。

 最近も、「ヒーロー」「ラストクリスマス」(ともにフジ系)、「ファイト」(NHK朝の連続テレビ小説)など精力的にドラマ出演をこなしていた。また、読書家としても知られ、「寝ても覚めても本の虫」など多数の著書もある。

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大好きな、とっても大好きな、どうしても『アタック25』の本戦に出場して、会いたくて、会いたくて、どうしようもなく会いたかった、児玉さん…。
帰ってくる事を、信じて疑わなかったです。待ってもいました。なのに…。

本件は、今日、サービス残業を終えて、帰宅しようとしたその間際に、ポータルサイトを「再チェック」して知りました。
オフィスには、残業中の同僚が数名居ましたが、「マジかよ…」と、誰にでも聞こえる程の声を発してから暫く、身動きできない程…ショックでした。

ごめんなさい。今日はこれ位で勘弁して下さい。今も「号泣モード」です。辛いです。

児玉さんに対する思い…既に書いていますし、これから気持ちの整理して、本件を改めて書きます。
そして、もう一つ、既に構想がある記事もあるので、そこでも児玉さんには触れたいと思っています。

ダンディーで素敵で、本当に大好きでした。

もう、児玉さんに会えないなんて、信じられないよ…。
「アタックチャ~ンス!」の力強い名台詞が聞けないなんて、やっぱり信じられないよ…。

でも、声を振り絞って…。

実は、児玉さんはご息女も、癌で失っていらっしゃいますが、今頃は、ご息女と再会なさっているのでしょうね。
児玉さんのご冥福を、ただただ、心よりお祈り申し上げます。

合掌。

(画像は、共同通信社、サンケイスポーツ社の記事より引用)

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