Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

同期を震え上がらせたほどの、1点勝負が炸裂!。

2011-05-24 23:59:59 | 競馬

1996年 東京優駿 日本ダービー フサイチコンコルド.mp4


さて、今度の週末は、JRAの「競馬の祭典」である『東京優駿』。

このレースは、『天皇賞(春)』『有馬記念』『菊花賞』『宝塚記念』に並んで思い入れが強い。

とりわけ、1996年の『東京優駿』。

小林 稔 厩舎は、毎年この時期、「秘密兵器」を用意していた。

この年までの小林 稔 厩舎の「秘密兵器」としての「傑作」は、多分、ロングシンホニーだったと思う。
それでも敗れ去った。

しかし、この年の『すみれS』での競馬の「センス」から、ここに駒を進めれば、間違いなく「勝ち負け」になると思って、ずっと見ていたのが、このフサイチコンコルドだった。
小林 稔 厩舎の馬なら、尚更のことだ。「最強の秘密兵器」と言って良い。

強い調教もできなければ、輸送で熱発を繰り返す程、体質が非常に弱い事でも有名だったが、そんなことはお構いなしだった。キャリア2戦2勝も、全く眼中になし。それだけ「能力非凡」と見ていたので、パドックで、極端に「がれて」いなければ、問題ないと思っていた程、自信があった。

したがって、この時の馬券に「馬番単勝式」があったとしても、フサイチコンコルド→ダンスインザダークの「13→3」の1点勝負だった。
しかし、この当時は、馬番連勝式が「最も配当が付く」馬券だったので、「3-13」の1点で勝負。

当時新入社員だった私は、地元・山口県出身の熱狂的な競馬ファンの同期に、馬券購入を依頼して(ウインズ広島へ「出張」してもらった)、研修期間中であるこの時期、まだ集合寮があった時代の食堂で、競馬が好きな同期達と食堂のテレビで観戦していた。

当然、私が「3-13」の1点勝負をしている事は、同期皆が知っていた。

ほぼ「3-13」での決着が見えた時、ある同期が「もし馬番単勝式があったら、どうしていた?」と尋ねてきたので、間髪いれずに「それでも13→3の1点だったよ」と答えた事を良く憶えている。
その私の「自信に満ちた」台詞に、同期達が震え上がった事は、言うまでもない。
馬券購入から戻った同期から的中馬券を手渡され、「恐れ入った」と言われたのも、良い思い出だ。

やがてこの事は「全社的」に知られ、研修先の「現場」の先輩方から、「君か、あの『東京優駿』を1点で獲った新入社員っていうのは…」と声をかけられ、今度はこちらが恐れ多くて震えたが。

忘れもしない、単勝式7番人気→1番人気のフィニッシュ。
馬番連勝式、3-13、3470円。

もっと太っ腹なら、相当突っ込んだ筈だが、「麻薬」に染まるといけないと思って、そんなに突っ込まなかった。そこまでの勇気は、さすがになかった。
しかし、相当懐が温かくなった事は確か。

1点勝負のピンポイントを当て、ホームランを打てたのは、この時以来あまりないなぁ…。

あまり「守り」に入っても、ホームランは打てない…という事だろう。
Comments (2)
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