Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

7回目の、『7月2日』。

2011-07-02 23:59:59 | その他の応援団関連
4年前も、そして、3年前も一昨年も、更には、昨年も記事をエントリーしているのですが、やはり特別です…この日だけは。

今年で、T先輩が逝ってしまって、7回目の『7月2日』を迎える事になります。

昨年は、KT先輩が、この意味のある大事な日に、山口を訪ねて下さって、まるで夢の様な1日だったけれど、あれからもう1年が経ってしまったのか…。早いですね。

読者の皆さんにとっては、誰かの誕生日だったり、身内の命日だったりするかも知れませんが、私にとってのこの日は、T先輩の「命日」であっても、やっぱり未だに受け入れたくない…そんな日ですね。

何故なら、何度も繰り返す形で恐縮ですが、T先輩が熱心に私を勧誘していらっしゃらなければ、間違いなく、私が応援指導部(応援団)に入部することはなかったのですから…。
2年先輩のKT先輩や、1年先輩のO先輩、カモ達同期、1年後輩のS達をはじめ、17歳も年下のIJやYR、KN、さらには「親子」であっても不思議でない19歳も年下のTTや、今まさに、慶應義塾大学應援指導部で、下級生部員として「最後」の年を迎えている、21歳下のミノルやシンイチ、そのまたさらに1年下のユウスケといった、可愛い後輩達とも、出会うことがなかったのだから…。

それを思うたび、T先輩の存在は、存命でない今でも、とっても大きい…。
ひょっこり現れるのではないかと、思う事…結構あります。

特に、今年は、ミノル,シンイチ,ユウスケの応援のために、大学野球選手権の慶應義塾の試合を、私は準決勝と決勝を含む3試合、KT先輩は準決勝と決勝の2試合も見ることができて、3人の成長を肌で感じることができたし、3人の応援をしながら、KT先輩とも話をしたのですが、だんだんシンイチが、T先輩に似てきていて…。

先日の「マイ・ゴールデンウィーク」中に、私が、慶應義塾の三田キャンパスでの用事を済ませて、田町駅に向かうその時に、ばったりシンイチに出会ってしまった…なんていう、偶然にしては出来過ぎの事もあったし…。

もうダメです。歳ですかね…。

そんな気分になる「今日」という日…。
奇しくも、今日の山口の様な、曇り空だったと聞きます…。

今年は、6月の『臙脂の集い』の前日(4日)に、KT先輩と、一昨年、そして昨年同様「お伺い」…いや、「迎え」に行きました。
昨年ほどではないにしても、その後、「真昼間」からKT先輩と、結構長い時間、飲んでいました。T先輩も一緒…って、感じながらでしたね。

やっぱり思うのですが、一番『臙脂の集い』に行きたいのは、T先輩のはずで、「前夜祭」も喜んで参加なさると思うんです。
もっと申し上げるなら、夏の野球…これ、T先輩は、絶対行きたいって、思っているはずなんです。
私自身が、今回の「マイ・ゴールデンウィーク」で、「応援団のOBは、野球(の応援)見て、ナンボの世界や…」と、気づいてしまったから…。

今年の2月、『日輪の下に』が終わった後、KT先輩を中心とした、若手OB達と、OB会長と一緒に会食して、応援団の「共通の悩み」も含んだ、色々な問題についてディスカッションしたのですが、少し前から、若手に話す前に、こちらに先に書いてしまうのは、ちょっと「筋論」から考えると「違うかな」と思っていたので、折角OB会長もお見えなのだから、「何故、『日輪の下に』が、五校から六校になったのか」の部分、話をしました、その場で。その場には、慶應義塾で「現役」で活躍している、ミノル,シンイチ,ユウスケも居ました。

同席していたカモが、「そうだったっけ?」なんてとぼける場面はあったにせよ、『日輪の下に』が開催されたその日に、「六校になったいきさつ」を話すことは、意味があると思ったので、憶えていることは、ほぼ全て話したつもりです。

OB会長からも「ゴーサイン」が出たし、これで、心置きなく色々な事が書けるので、「シリーズ化記事」再開するつもりですが、そこにも、実は、T先輩の存在、しかも、T先輩の、その「強力なリーダーシップ」があったことを知った若手は、驚いていました。

少しネタバレしてしまいましたが、T先輩の「英断」と言っても過言でないご決断がなければ、未だに五校のままだったかもしれないし、あそこまで「市民権」を勝ち取る行事に成長しなかったかもしれない…。

若手は皆、「六校で、当たり前」と思っていて、パンフレットの「沿革(略歴,小史)」みたいな記事を改めて読んで、「こうして六校になったのか」と理解したかもしれませんが、そうじゃないんです!、実は。パンフレットに書けば、長くなることがあったのですよ。
(「六校」になって、この行事が「凄み」を増したこと、ちゃんと書きます。本当に、その「当日」が、これまた凄かったのです。)

その「いきさつ」を、私の話から改めて知ったある若手OBから、「T先輩って凄いし、それを憶えていて、今日話をして下さったDancho先輩にも、感謝します」なんて言われたけれど、私に感謝なんて、もったいないです。感謝するなら、T先輩にして下さい。

それ位、凄いんです、T先輩って。

思い出すと、涙が溢れてしまうほど、凄い御方でした。
私達には「できない」ことが、「できちゃう」程、凄かった…。

若手の皆に、その凄さが、少しでも伝わったのは、素直に嬉しいです。


KT先輩とは、「この日は、こういう日にしよう」と提案され、このブログが建った翌年から2人で「迎え」に行って「乾杯」してくるのですが、T先輩、少しは喜んでくれたかな…なんて思っています。でも、実際どうなんだろう…。
「もっと成長してから、俺のところに来い!」なんて、叱っていらっしゃるのかもしれないな…。

しかし、「1年間」という時間は、歳を重ねるにつれ、本当に早く感じます。
T先輩が存命でなくなってから、もう7年も経つこと自体が、本当に信じられないです。

早く時が経つこと…それはそれで幸せなことかもしれないけれど、私は、T先輩が見守ってくださる間は、「生きる」ということに対してだけでも良いから、精一杯になってみようと思っています。

実際、今の会社では、もうこれ以上の出世は見込めないかもしれないけれど、仕事は凄く楽しくなっています。
4月から、前年度の主担当者から、どんどん仕事を「奪っていく」形で、ごく近い未来には、私が主担当になっていないといけない、新しいことにチャレンジしていて、今週は、そちらの仕事が忙しかったのですが、妙に楽しいんです。
何度も、叱られ、ともすると「心が折れる」心境にもなる様な感じなのですが、そんな状況を、妙に楽しんでいる自分がいるんですね。不思議でした。

だからこそ、もっと、「夢中」になってみよう…って、思っています。自分のために。
そして、志半ばで、誰よりも無念の思いを抱いているはずの、T先輩のために。

肩書や名誉は要らないし、東日本大震災が発生してしまった後で、私の中の「価値観」も少しずつ変わってきているから、思うことかもしれませんが、お金は、家族が何とか食べていけて、私が実家に戻った時に、再会した若い後輩達に、ご飯を少し多めに食べてもらえる位の、「わずかな余裕」があれば、もういいです。
仕事がしたくても、ないからできない…そんな方々が大勢いらっしゃるのですから、尚更ですよね。


また来年も、『臙脂の集い』の、恐らく前日に、KT先輩と一緒に「迎え」に行きます。待っていて下さい。
また、たくさん飲みましょう。

ひょっとしたら、顔見せできないほど怠惰で充実感がない1年間を過してしまうかもしれないけれど、「生きる」ということだけに対しては、今以上に精一杯…頑張りまよ。


だから、これからも私達を、見守っていて…下さいね。T先輩…。

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