Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

栃木県立鹿沼南高等学校の応援団の栄誉を、称えたいと思います。

2011-07-24 23:59:59 | その他の応援団関連


読者の皆様、こんばんは。
管理人の、Danchoです。

更新した日付は、7月24日としていますが、只今、7月23日、02時40分頃です。

Facebookで「お友達」になっていただいている御方から、素晴らしい情報を頂きました。

「速報」みたいな感じで恐縮ですが、拙ブログが「応援団を応援する」という立ち位置で、ネット上に、あくまで末席に控える形で佇んでいますので、「小さな発信」ながらも、素晴らしい事として、読者の皆様に紹介したいと思います。


第93回 全国高等学校野球選手権 栃木大会において、栃木県立鹿沼南高等学校が、対戦相手校である、栃木県私立那須高原海城高等学校の応援団が、東日本大震災で被災した影響で、プレーする選手の応援のために球場に足を運ぶ事ができないという事情を知り得て、母校の応援のみならず、対戦相手校の応援を、イニング毎に分けて行ったそうです。
しかも、あくまで対戦相手校のスタイルを勉強し、そのスタイルに「変身」して…。


被災の那須海城へ声援送る 鹿沼南の生徒ら「両方を応援しよう」 栃木大会

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 (13日、鹿沼南16―1那須海城) 那須海城の選手たちは、東日本大震災で那須町にある校舎が壊れ、今も東京の姉妹校の校舎を借りて授業をしている。大会に向けて練習を再開させたのも6月になってから。ふだんなら約250人の生徒が応援に駆けつけるが、今年は断念した。

 その選手たちに、鹿沼南のスタンドから応援歌が奏でられた。事情を知った鹿沼南の生徒たちが「両方を応援しよう」と決めた。応援席で生徒らが掲げたパネルには、表に「KANAN」、裏に「KAIJO」と記され、吹奏楽も那須海城用の応援を練習してきたという。

 試合を観戦した那須海城の前校長、清水一茂さん(72)は「鹿沼南からの応援はうれしい。紳士的なチームと対戦できたことは生徒たちの大きな思い出になったと思う」と話した。


 那須海城でただひとり本塁を踏んだ長谷川徹(3年)は「驚いたけれど、応援があってうれしかった。高校野球をしているという実感がわきました」と話した。試合後、那須海城の選手らが鹿沼南の応援席の前であいさつすると、大きな拍手が送られた。

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この、鹿沼南高等学校のスポーツマンシップと、紳士的な立ち振る舞いに対し、栃木県高等学校野球連盟が、臨時の理事会において、特別表彰することを、7月21日に決定した…との事です。

県高野連は鹿沼南高校を特別表彰

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栃木県高校野球連盟は21日、臨時理事会を開き、東日本大震災で被災し、応援団が来られなくなった対戦相手をイニングを分けて応援した鹿沼南高校を特別表彰することを決めました。

これは今月13日に行われた鹿沼南 対 那須海城の試合で、鹿沼南高校応援団は被災した那須海城の応援団が来られないことを知り、母校の応援だけではなくイニングを分けて対戦相手にも心温まる応援を繰り広げたというのがその理由です。

表彰は今月27日の決勝戦の開始前にグラウンド上で県高野連の藤田会長から鹿沼南高校に会長特別表彰の表彰状と記念品を贈ることにしています。

今回の表彰について藤田会長は「鹿沼南高校の応援は、教育の一環としての高校野球にふさわしい、スポーツマンシップにかなった素晴らしいものだった。」とコメントしています。

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本当に、素晴らしいです。

「人生は人から応援されたり、人を応援したり、人生すべてが応援団」

これは、私の13年先輩で、リーダー部が健全に存続していた当時の明治大学応援團で、團長を務められました、紫紺の八木崎健児先輩のお言葉ですが、まさにこのお言葉そのものを実践なさっています。

先輩も、明治大学応援團の現役当時、相手校の東京大学の選手が負傷して担架で運ばれ、試合が中断した時、東京大学のその選手の敢闘精神を称え、リーダー長がエールを贈った事を、コメントとして残してくださいました。
ほぼ全文引用して、ちょっと紹介します。

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コメントタイトル:こんなこともありました
コメント日:2007-07-23 16:03:27→奇しくも、4年前の今日ですね。

あれは私が明治の団長の頃。昭和54年春の東京六大学野球春季リ-グ戦対東大との試合。
試合中東大のレフトが神宮の外野フェンスに直撃して倒れました。
動けず結局タンカで運ばれました。当然試合は中断、外野からベンチまで運ばれる間応援も中断。
しかし時の明治のリ-ダ-長は東大レフトの勇気とこれから病院に向かうであろう激励のためエ-ルを送りました。
試合後東大応援部の主将から明治に対して礼を言われました。
ところが,ベ-スボ-ルマガジンの記事を見て驚きました。
記事には明治の応援団は東大の選手が負傷したのに応援した、礼儀をを知らないという内容でした。
私は団長として同紙に抗議しましたが、東大の主将からの礼で十分でした。
応援した名前は東大の選手であることをこの記者は知らなかったということです。
応援団は必ずしも自校の選手にだけ応援するわけではありません。
他校の選手を讃えることもあるのです。


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今回のケースとは、事実まで一緒ではないにしても、鹿沼南高等学校の応援団の皆様の行動は、時の明治大学応援團のリーダー長殿と、何ら変わりはないと、私は理解しています。

相手を称えるということ…改めて肝に銘じたいですし、「首を垂れる稲穂かな」…この言葉の意味を考え、それに見合った立ち振る舞いをしたい…。
我が母校の応援指導部も、かくありたい…そう思いました。


本当に、素晴らしく、立派です。
感動しました。
涙出ました、あまりの素晴らしさに。
鹿沼南高等学校の栄誉を、少なくても拙ブログは、永遠に称えたいと思います。



東日本大震災で被災され、今もなお、学校行事や、対外活動、対外行事参加に支障を来している那須高原海城高等学校の、1日も早い機能回復と、鹿沼南高等学校の益々のご発展を、心よりお祈り申し上げます。

大変勉強になりました。

皆様のおかげで、私の心も洗われました。

今日、まさにこの時から、新たな気持ちで元気を出して、前に進みたいですね。

拙ブログも、鹿沼南高等学校の様な、素晴らしい紳士的応援団の皆様を応援して参りたいですし、我が母校も、その応援を通じて大いに学び、紳士的応援団の皆様と共に、謙虚な姿勢で歩んで参りたい…そう思う次第です。
Comments (3)
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