更新した日付は、7月11日としていますが、只今、7月10日、13時25分頃です。
読者の皆様、とりわけ応援団のファン、応援団マニアの読者の皆様、そして、東京六大学野球観戦がご趣味の読者の皆様、大変お待たせ致しました~。
「マイ・ゴールデンウィーク」のツケが一気に来たのか、フィジカルも「夏風邪」をひいてしまうなど、ちょっと崩してしまい、仕事もその間溜まったものをこなす&6月の月次報告もあった関係で、このレポートをまとめるのが大変遅くなりました。
(実は、「マイ・ゴールデンウィーク」の間に、外部監査が入り、そこで「不適合」を指摘されてしまったので、その是正回答をまとめるのに結構苦労していました。)
その件に関しては、お詫び申し上げます。
既に、22日、実に3週間以上も経ってしまいましたが、先月の6月18日の土曜日に、タイトルにある東京六大学応援団連盟主催の『第58回 六旗の下に』を観覧するため、今年も日比谷公会堂に足を運びました。
(今年から、明治大学ご出身のKT先輩も、この春のリーグ戦を観戦なさって感動し、「封印」していた『六旗の下に』への「出席」を、「解禁」なさり、KT先輩と出かけるのは、実に26年ぶりになります。なお、K・O・Fさん、烈さんとも、ご一緒しました。)
4年前、3年前、一昨年、昨年に引き続き、5回連続でライブで観覧したわけですが、基本的には過去と同様の盛り上がりがあった様に感じます。
皆さん、熱くて、この年に一度の大イベントを楽しみになさっているんですね。
東日本大震災があって、多少なりとも「不安」はあったとは思いますが、開催できて良かったです。
昨年、あまりに「立ち見」が多すぎて混乱があったようで、今年は、その教訓を活かし、チケット販売方法や配布方法も変え、日比谷公会堂の「キャパシティー」に見合った分でチケット販売を打ち切る措置を施した事もあって、開場まで結構な時間並んだ点は変わりなかったものの、大きな混乱がなく、その点でも良かったのではないかと思っています(本件は、また後程触れます)。
それでは早速、私なりの各大学のステージ演技を拝見して感じたことを、登場順番順に、お話してみたいと思います。
●明治大学応援團
二部体制で臨む4回目のステージだったが、もはや、「リーダー不在の応援スタイル」は、基礎も固まり、後はどうやって「城を築くか」という段階に入ったように感じた。それは、チアのテクの「切れ」の良さから、凄く感じられた(というか、厳しい見方をすれば、現体制では、チアの出来の良し悪しが、ほぼ全てを決めてしまうと言っても良いので、チア達の、その「自覚」が成せた業…かも知れないが)。
また、今年から、「賛否両論」はあるのかもしれないが、『紫紺の歌』が、團長が指揮を執る形を披露していた。「斬新」と語るには御幣はあるが、「二部体制での、新しい明治」を築こうとしているメッセージとも取れる。
リーダー部がああいう形で廃部になってからも、「熱狂的」ともいえる明治大学ファンの観客の熱い視線に見守られながら、現役の團員達のこうした「周りの人達の温かい視線」を大事にしていこうという姿勢は感じられた。これからも、こうした根強いファンの視線の「後押し」に甘んじることなく、精進していって欲しい。
司会が、一昨年、昨年に引き続き、なかなか良かった。
一昨年酷かった『校歌』の太鼓も、今年も問題はなかった。あれが酷いと、全部壊れますから…。
それにしても、KT先輩とも演技終了後話をしたのですが、リーダー部があった時代の『嵐の拍手』が見られないのは、それを知っているだけに、実に寂しい…。
このスタイルは、酷な言い方をすると、本当は、「見てはいけないもの」である。
私達の世代は、「応援団は、明治が日本一」の印象で入部を希望する者が多かったし(私も、もちろんその一人)、『六旗の下に』は、明治の『嵐の拍手』を見るために出かけていた…という印象なので。
(もちろん、『六大学の集い』(多分、今はない)や『紫紺の集い』にも、そのために出かけてはいるのですがね…。)
後は、私やKT先輩の気持ちを察していただけたら、充分です(分かる人には、分かります)。
●東京大学運動会応援部
一昨年もさることながら、昨年は、本当に見事なステージだった。
感動のあまり、不覚にも涙が出た。それ位の「凄さ」だった。
その「凄さ」を演出したのは、言うまでもなく、今年度、この場に「主将」として帰ってきた、「ハァハァ」していた藤原君の頑張りにあったことは、周知の通りだと思う。
その藤原君…。
一昨年、『東京大学の「『今でも』消えることのない闘志』という記事を書いて紹介していますが、当時2年生だった藤原君は、目の前の「あまりに高い壁」に苦しみ、悩んでいた様にも見えた。
しかし、その「過去」を、見事に糧にして自分なりに「答え」を導き、幹部に就任。
更には、「主将」という大役を拝命して、このステージに帰って来た。
したがって、私の「チェックポイント」は、藤原君の「成長の確認」に、重きを置いていた。
比較するのは良くはないのかもしれないが、昨年の主将(敢えて名前を出すとしたら、渡辺君)のキビキビしたテクも好きなのだが、藤原君は自分なりに「らしさ」を表現できていて、「流れる様にやって良い部分」は軽やかに、「決めるところは、ビシッと決める」ところでは決めていて、個人的には、良い意味で「余裕」が感じられ、好みで言えば、藤原君のテクの方が好きですね。
そういう「見せるツボ」をしっかり押さえながら、「主将」という役職のプレッシャーにも堂々と立ち向かっている姿が感じられ、見ていて気持ちが良かった。合格点には達していると思う。
これは、「終わってから気付いた事」であるが、昨年の「凄いステージ」を演出していたのは、藤原君だけでなく、DVDを拝見すると、現在3年生のリーダー部員(敢えて名前を出すと、岡崎君)の「必死な姿」にもあった気がする。
しかし、今年は、完全に「裏方」に回っていて「ひっそりと貢献」する形だったため、昨年との比較では、やや迫力に欠けたか…。
司会も、2年生部員と、明らかに「キャリア不足」。
昨年の藤原君の「大活躍ぶり」を見てしまって気付いた事ではあるが、ステージは、司会の出来も、全体の出来に大きく作用してしまうことが良く理解できた。
欲を言えば、2月の、我が母校で開催された、この『六旗の下に』に端を発して開催された、36回目の『日輪の下に』に御足労頂いた、副将の山田君を、もう少し見たかった気がする。チャンパタのメインリーダーのみの登場は、やや寂しい感じもした。
しかしながら、来年も、昨年2年生の立場で「バックを支えた」岡崎君が、順調なら幹部として登場するので、まだまだ楽しみは続く。
2年生以下の頑張りにも、期待したい。
●早稲田大学応援部
先ず、触れるべきことは、1年生リーダーに、女性が入った事だろう。
「観客の立場」で入場した「同性」である女性の皆様も、驚かれたのではないだろうか。
したがって、幹部のテク云々より、正直、彼女がどこまでやれるのか…を見守る姿勢で拝見していたように思う。
結論から申し上げると、「問題なし」です。
声も良く通っていたし、「中途半端な気持ち」が見えることもなかった。
早稲田が、「女性のリーダー」の採用に動いた…というのは、「歴史を変えた」位に大きいことではないだろうか。「あの」早稲田が、リーダー部員として女性に門戸を開いたのは、「革命」ともいえる。個人的には「あっぱれ」と申し上げたい。
さて、賛否両論はあるだろうが、「私見」を申し上げよう。
社会も「男女雇用機会均等」の時代にあって、弊社も総合職は「男臭い」業界ながら、10年程前から、女性も積極的に採用している。現に、私の現在の職場にも、優秀な女性総合職が2名在籍しており、個人的には、「男子高出身」であるため「戸惑い」は隠せないものの、大いに刺激を受けながら仕事ができている。
何が言いたいのか…だが、応援団も、「古臭い価値観」は捨てて、やる気があるなら、積極的に女性のリーダーを育てて良い時代に入ったと言って良い、ということである。
「時代の趨勢」の一方では、「時代の変化への柔軟性」も求められて然るべきで、中途半端に入って、「やっぱりきついからやめる」という男子より、よっぽど良い…ということだ。何故なら、「そういう世界」は「どういう世界か…」ということを分析したうえで、自分自身で門を叩いたから、あそこに「女性がいる」だけの事だ。そう考えれば、非常に単純明快。だから、「私は、いつ坊主頭にすればいいのでしょうか?」とも上級生に上申できるのであろう。その気概は大いに買いたい。だからこそであるが、彼女に学ランを着せてあげたかった。しかし、早稲田の中の「ルール」もあるのだろう。尊重するしかあるまい。
『日輪の下に』でも、不動岡高校応援部は、今年度は、男女比で言えば、圧倒的に女性が多い応援団だ。幹部のテクがしっかりしていて(現に、男子より上手だ)、「リーダー」である自覚があるなら、それもまた良い。もう、そういう時代だ。部員減少化に歯止めがかからない昨今にあって、ポジティブに捉えることではないだろうか。
さて、幹部のテクだが、『紺碧の空』は、個人的には近年になく良く見えた。個人的には、あの『紺碧の空』が「正」とさえ思っている。
気になったのは、柴山君の八呼間。私には、残念ながら「違和感」を覚えた。
12年後輩のKHが、リーダー長として在籍していた応援団だし、しかも、埼玉の、同じ「六校」の一角の出身だ(高校3年間もやっていたかどうかまでは知らないが)。だからこそ、余計に感じた。
テンポの速い「コンバットマーチ」が聞けたのは、個人的には嬉しかった。
司会の3年生の深山君が、個人的には良かった。ステージの「出来栄え」に、華を添えたことは確かだと思う。
春季リーグ戦では、「ハンカチ王子」とその仲間達が卒業して一気に寂しくなったのか、やや元気までも奪われた感は否めないが、巻き返しに期待したい。
繰り返しになるが、「革命」を起こした早稲田大学応援部の発展、そして、女性1年生リーダーの成長を願って止まない。
●立教大学体育会応援団
ここは、ただ1点。
とにかく部員を増やすこと…。これを先ず真剣に考えた方が良い。
昨年の幹部の「頑張り」は、DVDが届いて、改めて見てみるとすごく伝わる。
テクを真似したくても、「忙しい」ので理解に苦しんでいたが、昨年の幹部3名は、「立教のテクは、そんなに難しくありませんよ」ということを、良く解説しているように見えるからだ。そう、「自己満足」に終わっていなかったところが素晴らしかったのだ。
相当頑張った「流れ」は、団長の大野君が「一人リーダー幹部」というプレッシャーの中で、しっかり守っているところは、とっても良く見えた。
大きく挽回している事だけは確かだったが、昨年観客から期せずして拍手がもらえた『伝統勝利の拍手』で、今年はそれがなかったのが、観客の「ノリ」の部分が昨年と違っていた…という言い訳は一方で成立するが、そうさせるだけの迫力に今一歩届かなかったのだろう。
春季リーグ戦も、最後まで優勝争いに絡む2位と元気が出て来たし、「立教もやればできるんだぞ!」というところが、2年連続見えたのは収穫なので、後述するが、「ステージに華を添える」だけのリーダー部員の確保というところを頑張って欲しい。そうなれば、評価も「ガラリ一変」する要素はある。
●法政大学応援団
明治にリーダー部がない以上、「リーダー部の凄み」を発揮する立場にあるのが、法政だろうと勝手に思っている。
私達が現役当時は、明治と法政は、「別格」であった。それほどの迫力があった。
しかし、残念ながら、今年は「リーダー幹部不在」。3年生リーダー部員も1人…。ショックは隠しきれない。
法政は、毎回思うのだが、スリーパート(リーダー,チアリーディング,吹奏楽)のモチベーションが高いのがとても良いと思うし、それが維持できているところが凄い。
ステージ演技の演題も、毎年そうは変わらなくても、飽きない、飽きさせないのは、本当に素晴らしいのだ。
しかしながら、「リーダー幹部不在」は、やはり痛打。
『伝統の勝利の第一拍手』はもちろん、『若き日の誇り』も「突き」がない、拍子抜けのテクだった。
正直『若き日の誇り』に「突き」があるのとないのでは、「天と地」程の差があるとは…これがショックを増幅させた。
確かに、法政の「突き」のテクは、簡単に真似ようと思っても、実は相当鍛えていないとできないことに気付く。それほどレベルが高い。(恐らく、突いた時と引いた時で、身体の軸は動かないものの、足にかかる重心が移動するから、足腰が鍛えられていないとできない…というのが、私の分析。)
だから、「やむを得ない」という見方もできるが、吃驚したことだけは確かだった。
司会の2年生が健闘していた一方で、昨年も同じ「場」を経験している3年生(敢えて名前を出すと、山田君)に成長がそれほど感じられなかったことが残念。
来年、幹部としてどう巻き返してくるか…その点が注目だ。
●慶應義塾大学應援指導部
先程「ステージに華を添える」と、それだけで見栄えがする…と語ったが、結論から申し上げれば、今年の『六旗の下に』は、その点からも、慶應義塾の「圧勝」だった気がする。
あれだけバックがいて、チアの幹部も大勢いて、プログラムも「手が広い」と、何でもできる。
これは、我が母校にも言えることだが、やはり「リーダー部員減少化」という課題にどう立ち向かい、どう克服するか…これが重要だ、ということを、慶應義塾のステージから学んだ気がする。
もちろん、東京六大学野球春季リーグ戦で、19年ぶりとなる「完全優勝」で昨年から2連覇、大学選手権でも惜敗の準優勝に導いたことも、その理由の一つかもしれない。
プログラムも、文句なし。
『丘の上』3番~『伝統の勝利の拍手』への入り方も、「プログラムの手の広さ」を遺憾なく発揮した結果として「好手」になったと思う。見ていて新鮮だった。
今回は、「日比谷公会堂で開催の最後の年」になるかもしれない事や、春季リーグ戦完全優勝と、大学選手権であと一歩及ばずの準優勝という流れから、『幻の大塾旗』を揚げるに十分な要素が揃ったが、その期待にも見事に応え、連盟委員長を兼務する騎手長の柴田君の「団旗礼」も、見事だった。
実は、あの旗でこれをやるのは相当辛い…ということが大学選手権決勝戦で見て理解できたから、尚更の事である。
(『幻の大塾旗』は、恐らく日本で探しても、重量も格式も最も重い旗ではないかと思う。「重厚感」が凄く、迫力満点。)
リーダー幹部のテクも、大学選手権で3試合も見させて頂いて感じたが、そつがない印象を持った。欲を言えば、全員、もっと第53回の時の主務を務めた牧野君の様に、身体の小ささをテクの大きさでカバーする位の「豪快さ」が欲しかった。これが伴っていれば、「完璧」。(その意味で、牧野君は、改めて凄かった…ということになる。)
さて、以下は「手前味噌」のところではあるので恐縮だが、3年生リーダー部員に、私の21歳下の2名、2年生リーダー部員に、同じく22歳下の1名、合計3名の直(埼玉県立春日部高校)の後輩が入部している(3年生がシンイチとミノル、2年生がユウスケ)。
大学選手権3試合を見ている中で、「大化け」した感があるのはシンイチだ。
途中から加わった初戦も、彼が入って雰囲気がガラリ一変し、ダメ押し得点も入って逃げ切ったし、準決勝でも学生席を上手くリードしていた。
声が球場全体に通っているし、1年間で人は、置かれている環境の捉え方で、こうも成長できるのか…と驚かされた程である。
2月の『日輪の下に』の後に、「ミニOB会」があって、3人共その場にいたので話をしたが、シンイチは、その席で私にこう言いました。
「3月の春の合宿は、4月から下級生の最上級生にもなるので、ここを乗り切れば、自分自身も大きく成長できると思うので、そういう気持ちで臨みたい。乗り越えたら、もっと成長した姿を、Dancho先輩にお見せすることができると思います。」
…これ、凄いですね。「有言実行」してしまうのだから。
実際、バックに居て、日比谷公会堂に通る声を発していたのもシンイチだった。
そして、このステージで凄かったのは、ユウスケ。
KT先輩とも見解が一致していましたが、2年生以下の下級生で、あれだけキレが良いサーブを繰り出せるのですから、「抜けた存在」だ。
最後に、司会を務めたミノル。
先に触れた早稲田の深山君と、ミノルが、司会では大変良かったと思っいる。
この2人と、昨年の東京大・藤原君(現・主将)を見て改めて思うのは、司会の出来栄えも、ステージに影響する…ということだ。それ位司会は重要で、そこを任され、合格点は叩き出せたミノルも、頑張ったと思っている。
そんな3人の存在を、私は先輩として誇りに思う。
だからこそ…ではあるが、3人に恥じない先輩でありたいし、先輩として3人に誇っていただけるよう、「立ち振る舞い」の部分では、しっかりしたいな…と思っている。
今年から暫くは「慶應義塾黄金期」を形成しそうで、来年幹部になるミノルとシンイチの代はもとより、少なくともユウスケの代までは、非常に楽しみだ。
さて、ここでひっそりと…ではあるが、昨年の記事の一部を訂正する。
実は、ミノルとシンイチと高校の同期に、KKがいる。
3人とも、応援指導部を3年間続けながら現役で大学に合格するという、「文武両道」を達成した、近年稀に見る優秀な代だった。
実は、一昨年来から紹介している、3年前の夏の甲子園の北埼玉大会で、母校の敗戦が色濃くなったときに、学生注目で発した…
「私達は、野球の勝敗を応援しているのではなく、春日部高校の選手諸君の戦う姿を応援しているのだ」
という台詞。
これは、応援団を題材にした漫画で、新垣 結衣 さんが主演で映画化された『フレフレ少女』のコミック版に引用されたことは、あまりにも有名な話だが、これは、実はミノルではなく、KKが発したものである。
この3人の代は、KKが下級生時代から目立つ存在で、次いでミノル、一番「地味」だったのがシンイチだった。
その「目立つ存在」のKKが、学生注目でこの台詞…。
残る2人が、東京六大学の一角で、現役続行…。しかも、一番「地味」に見えたシンイチが、この1年間で大化け…。
以上を鑑みると、この代の「優秀さ」は、抜きん出ていた…と言うことができる。
●全般
各大学の持ち時間を、持ち時間通りに演技を終え、フィナーレを見応えたっぷりにした全体構成は、機敏であり、昨年よりも終演が早かったことを鑑みると、今年の方が、更に良かった気がする。
「総合力」では、昨年より見劣る感は否めないが、最後に登場した慶應義塾が「他を圧倒」した流れから、十分楽しめた印象がある。
●所感
今回は、東日本大震災直後の年で、開催自体が不安視された中で、予定通りに開催で準備が進んだ点から、ポイントは「被災地へ向けたメッセージ性」が見えるかどうか…という1点に絞られたといっても良い。
即ち、東京六大学応援団連盟が、そんな「特殊な年」であるにも拘らず、普段通りに活動していることをアピールすることで、「被災地を、そして日本を元気にする」ということを、謙虚な姿勢で発信できるかどうか…ということである。
そういう姿勢が見えたら、それだけで今回は「成功」だし、「傲慢さ」が見えれば、今回の開催は「失敗」という、まさに「紙一重」の状況にあったことは確かだ。
連盟委員長の挨拶…それは、パンフレットに印刷されている文書もそうだし、当日の会場での肉声でもそうだったが、その内容から、被災地や犠牲になられた皆様への「鎮魂」とか、避難生活を余儀なくされている皆様への「配慮」みたいなものが凄く良く見え、各大学も、それを意識して、練磨の技を披露していたことが良く見えただ。
したがって、今回は「成功」と評価して良いと思う。
昨年、観客入場の件で、監督官庁からクレームがあった…ということを風の便りで聞いていたので、その対策をどうするのか…主観大学である慶應義塾の手腕も試される「試練」もあった。
しかし、チケットを乱売しない、全員分のほぼ全て「チケット取り置き」で対応、入場の誘導を徹底管理する等の工夫で、大きな混乱もなく、スムーズにこのステージを終演まで誘導したのは見事だった。
毎年感じるのは、観客がステージ演技を盛り上げるムードが依然としてあり、私が現役当時の20数年前とは、その点が大きく変貌を遂げ、毎年進化していることである。
最後の「フィナーレ」に連盟側も力を入れ、観客もそれに十分応えていることが、実に象徴的。
「フィナーレ」が終わった後の疲労感…とっても爽やかで、これは私だけでなく、来場した観客の皆様が、きっとそう感じている事だろうと思う。
演技を披露する側の現役諸君にとっては、観客がステージを盛り上げてくれるという点で、とっても幸せなことだと思う。
その「幸せな環境」…「一体感」と申し上げた方が正しいでしょうか?…が、未だに止まぬ「応援団への逆風」を吹き飛ばす原動力にもなっているのかな…とも感じる。
それに加え、実際にステージに立っている現役諸君の保護者様に、この様子をご覧いただければ、過去からの応援団に対する「悪」のイメージとは明らかに異なり、そこには健全たる精神が宿っている事をご理解頂けるのではないか…と、改めて思う。
ただ、少し酷な言い方で恐縮だが、観客の盛り上がりへ「救い」や「言い訳」を求めることも実は可能で、先程の様な謙虚さを見失えば、一気に衰退の道へ突き進むことを肝に銘じて欲しい気持ちも、ほんの少しある。
だがそれは、応援団を心から応援するからこそ、「親心」とでも申し上げましょうか…そんな感覚で、敢えて厳しい事を提言させていただいたまで。
ともかく、「時代の趨勢」という一言で廃れがちな昨今の応援団ではあるけれど、それでも「根っこ」の部分は依然として変わっていないことは確かで、これがオールドファンを逃がさず、ヤングファンを魅了している源であると思われる。
その意味では、昨年同様、大満足だった(特に、今回の慶應義塾のステージは、他を圧倒する「華」があった)。
山口から、このためだけに出陣し、翌日戻るという「強行軍」ではあったが、私を満足させるに十分な、「マイ・ゴールデンウィーク」をフィナーレを飾るには十分な「ヘビーなデザート」をガッツリ食することができた事も、大満足だった。
3週間経ってもその余韻に浸れるのだから、「胃もたれ」を発症するのも良く理解できるし、清々しい「疲労感」です。
「手前味噌」の部分で恐縮だが、順調なら、直の後輩2名が、慶應義塾で幹部になる。
2人が幹部ならば、今年同様の格好になったとしても、山口から当然ながら駆けつけるつもりだし、司会が上手だった、早稲田の深山君や、裏方に回って陰でステージを支えた東大の岡崎君の成長も楽しみである。
だからこそ、私は、これからも諸君を応援していくし、期待もします。
長々と語って参りましたが、繰り返しになるけれど、私は、東京六大学のみならず、その他の大学、そして高校や中学の部活動として存続する応援団を、今後とも応援していく所存です。
拙ブログの存在が、応援団の現役諸君を励ます「立ち位置」にあれば、そして、私と同じ様に、応援団を愛し、応援する読者の「心の拠り所」であるならば、それだけで本望である。
最後になりますが、東京六大学応援団連盟に、栄光あれ。
追記
この、今年の『六旗の下に』をはじめとする、「マイ・ゴールデンウィーク」の出来事は、改めて整理して、書くつもりでいます。
もうすぐ、母校である、埼玉県立春日部高等学校も、夏の甲子園に向けて試合があるので、その件もこれから入ってくるため、お時間を頂く格好にはなるけれど、やはり書いておくことは、その時々で感じたことが残るという意味でも大きいので…。