Uさん、こんばんは。
日曜日の山梨市の無理が祟ったのか、酷く疲れています。
確かに残務も続いていますけれど、この疲れはそれだけなのかな。
目もしょぼしょぼ、体がだるくて重いです。
本当は投稿している場合ではないのかもしれませんが、まぁさらっと書き込みをして、早めに床に就くことにいたしましょう。
さて、本日の表題の件です。
ラックがきちんと備え付けられるようになりましたから、仕舞っていたDDC,MCG(マスタークロックジェネレーター)も引っ張り出して来て、システムに組み込むようにしています。
この2機材を嚙ませた時の印象については、以前にも書いたことがあります。
今回繋ぎ直した際も、その印象は変わりませんでした。
要するに、その効果は今一つ判らない。
少なくとも自宅の機器構成では、出音に変化があったかどうかははっきり自覚できなかったということです。
ということはですね。
導入は失敗か、少なくとも成功はしていないことです。
掛けた経費に対するそれ相当の見返り(音質向上)が得られていない、というのは残念です。
残念ですが、掛けられる費用の範囲で出来るだけのことはやった、という妙な達成感があります。
上流部の対策ですね、まずそこから始めようとして、電源は安物のパワーコンデショナーを入れます。
本当は、クリーン電源とかトランスを入れた方が良いんでしょうが、ちょっと敷居が高いもので、まずは之で済ませます。
あとはUSBアイソレータとかノイズキャンセラーですね。
これらは製品数も多く、値段もピンからキリで、どれを選んで良いかが分かりません。
悩むのは嫌ですから、これらの製品を回避して、代わりにノイズ低減効果が得られるDDCを入れることにしたのです。
DDCもどれにするかで悩みました。
決めたのは、欧州メーカーの製品です。
発売は少し前のものですから、それらの出物を待ち続けていました。
が、結局は時間切れということで、価格と性能のバランスを見て、中華メーカー(GUSTURD)のDDCに決めました。
MCGも相性を考えて、同一メーカーのものにします。
で、導入結果は、今一つピンと来るものが無い。
最初の出音を聴いた時も、あれ~?これ・ど~なのかな~という感じです。
怒りが湧いてくる!ということはありませんでしたね。
分からないなりに、まぁいいか、という感じでそのまま使うことにします。
でもですね、DDC/MGCに掛けるお金をDACに流していたら、もっと性能の良いDACが買えました。
その方が音質向上をハッキリ感じられたでしょう。
インターネット上でも、DDC・MGCは無駄だ、その分、DACにお金を掛けろ、という書き込みを見掛けることがあります。
事実そうなのかもしれません。
但し、DDCやMGCの導入で音が良くなったという効果を感じている人もいますから、これらの製品を一律否定してしまうことも出来ないでしょう。
結局、結果が全てです。
やってみてのことですね。
残念ですが、自宅のシステムでは、両機器の威力は余り発揮されませんでした、ということです。
で。
最初からDACに重点投資をしていたとしても、やはりDDCなどが気になって気になって仕方が無かったでしょうね、自分の性格では。
だからこの投資とその結果は仕方が無いです。避けざるを得ない道でした。
これらの機器を導入してみたかったという、自分の気持ちに素直に従ってやったこと(買ったもの)のだから、満足もしていませんが後悔もしていないのです。
まぁ、自分が許容できる範囲での極小さな出費ではありますから、そもそも大それたことではありませんね。
検討する余地があるとすれば、今後どうするかです。
DDCなどを放出して、上位のDACを買うかですね。
選択肢としてはありますね。
ですけれど、この辺りの機器更新については、まだきちんとイメージが出来ていません。
ひょとしたら、今より性能の良いDACを入れたら、逆にDDCやMGCの性能が引き立つんじゃないかなんて思ったりして、気軽に放出が出来ないんですね。
それと、上流を動かしてしまったら、またもや何かやらねばという気持ちが俄に湧いてきて、あれこれ悩み始めるんじゃないかと危惧しています。
一見無駄なように見えますけれど、DDC/MGCはそういう気持ちを抑えてくれる、余計な物欲の抑止力になってくれている、という良い側面、副次的な効果があるのですね。
ですから、今後どうするかはやはりすぐに結論は出せそうにないです。
さて、この投稿も、以前の投稿にあったレビューの再掲、みたいな感じになりました。
結局はですね、機器を通じて自分の考えがどうなのかを少し振り返ってみたところ、というのが今回の本旨なのでしょう。
自分のことなのに、他人事のようで少し変な締めになってしまいました。
ではこれで失礼します。
ごきげんよう、さようなら。
※さっと書き込んで寝ると書きましたが、いつも通りのそれなりの文章の長さになっていました。