50年前大学を出たころ、就職をしたいという気分もなく、このさい電気電子工学もやっておくかと理学部の物性物理から工学部へ鞍替えをし、博多の大学でぶらぶらしていた。
60年安保、70年安保の政治運動も収まり、ぼくはモラトリアムな気分のままでいた。
アルバイトもした。リクルート社の九州支店で、おもに南九州の実業高校生向けに就職案内フィルムを講堂で流す仕事だった。ドライバーと二人で機材を運び就職指導の先生に橋渡しをする仕事だった。
そんなある日、ほんの一瞬帰省した時、田舎の教師をしていた父が「兄弟も多いし、就職を考えてくれるか」といった言葉に「ハッ」としてぼくのモラトリアムは終わった。
その年の年末、12月には東京・新宿御苑のそばの事務所に、上京後初めて住む三鷹の下宿から通った。それからは、社会風潮のままモーレツな仕事人間になった。
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