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矢部宏治 日米合同委員会の実態 米軍・最高裁・検察・外務省

2024年07月28日 21時21分23秒 | 社会

鳩山元首相が絶句した…自分を「裏切った」腹心の官僚が、じつは忠誠を誓っていた「ヤバすぎる相手」

Yahoo news  2024/7/28(日)   現代ビジネス  矢部宏治

 

日本には、国民はもちろん、首相や官僚でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が存在し、社会全体の構造を歪めている。そうした「ウラの掟」のほとんどは、アメリカ政府そのものと日本とのあいだではなく、じつは米軍と日本のエリート官僚とのあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としている。

『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』では、最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」を参照しながら、日米合同委員会の実態に迫り、日本の権力構造を徹底解明する。

*本記事は矢部 宏治『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)から抜粋・再編集したものです。

 

きっかけは鳩山政権の崩壊

もともと私が沖縄の米軍基地問題を調べ始めたのは、2010年6月に起きた民主党・鳩山政権の崩壊がきっかけでした。

その前年の8月末の総選挙で、308議席という史上最多議席を獲得し、戦後初の「本格的政権交代」を成しとげた鳩山首相は、しかし普天間基地の「移設」問題によってつまずき、わずか9ヵ月で退陣に追い込まれてしまいました。

誰が見ても危険な人口密集地の外国軍基地(普天間基地)を、「県外または国外」へ移そうとしたところ、官僚や検察、大手マスコミから激しいバッシングを受けて、あっけなく政権が崩壊してしまったわけです。

不思議に思った私は写真家と2人で沖縄へわたり、本島内のすべての米軍基地の写真を撮影して、ガイドブックをつくりました。それがスタート地点となって、いま本書で書いているようなことを取材・研究し始めたのです。

秘密会合の翌日の裏切り

私はその後、鳩山元首相と何度か対談して、その間の経緯をあらためて伺う機会があったのですが、鳩山政権が崩壊に向かった最大のターニング・ポイントは、2010年の4月6日だったと言えます。

その直前まで予算編成の問題で身動きがとれなかった鳩山首相は、4月になって、ようやく懸案の普天間基地の「移設」問題にとりかかろうとした。「5月までに結論を出す」というアメリカ側との約束があったからです。

そのため4月6日、外務省、防衛省から幹部を2人ずつ首相官邸に呼んで秘密の会合をもった。そして以前から温めていた「徳之島移設案」という最後のカードを示して、協力を求めたのです。

「みんなに官邸に来てもらって、そこでお酒も出したんですよ。二合ほど呑んだと思います。ずいぶんと前向きになってくれて、「やりましょう!」というとてもいい雰囲気になった。そこでいちばん大事なことは、このメンバーが互いに情報を交換しながら、それを外部に漏らさないことだ。漏れた瞬間、この話は潰されてしまう恐れがあるから、それだけは気をつけてくれといいました。「はい、わかりました」ということで、みんな上機嫌になって別れたわけです。ああ、この連中はやってくれるんじゃないか、期待できるなという気持ちになりました」(鳩山氏の発言「第80回UIチャンネル」2014年12月8日)

 

ところがその翌日(4月7日)、朝日新聞の夕刊一面に、その秘密会合の内容がそのままリークされたのです。

「これはショックでした。自分が実現したい政策を、いちばんの腹心だと思っている人たちに伝えたら、すぐに裏切られたという話ですからね。もうこの交渉は彼らには頼れないと感じました。メンバーのなかに、明らかにこの案を潰そうと思っている人間がいる。そのことがわかったので、精神的なダメージは非常に大きかったですね」(同前)

 

これは考えてみると、非常に不思議な出来事だったわけです。いくら彼ら超エリート官僚たちといえども、最高権力者である日本国首相に逆らうのは、非常にリスクが大きい行動のはずだからです。

にもかかわらず、翌日の夕刊一面でのリークという裏切りは、露骨すぎる。面従腹背という言葉がありますが、面従している時間があまりにも短すぎるのです。

私たちはあなたの命令には従いませんよ」という意思表示をされたとしか、言いようがない出来事でしょう。

「このとき官僚たちは、選挙で選ばれた首相鳩山ではない、なにかほかのものに忠誠を誓っているのではないかという思いがしました」と鳩山氏が振り返るのも、無理はありません。

まさに「ブラックボックス」

この「事件」についても、日米合同委員会の実態がわかってくるにつれ、背景が徐々に明らかになってきました。

日米合同委員会の本質とは、占領時代から続く基地の使用権や治外法権など、米軍が持つ巨大な特権を、どうすれば日本の国内法のもとでトラブルなく維持していくかの調整機関です。もともと占領中に旧安保条約の交渉をしている段階で、「日本国民の目にふれさせたくない取り決め」を、すべて密室で処理するためにつくられた「ブラックボックス」なのです。

ですから日米合同委員会での協議といっても、もちろん最終決定権は米軍側が握っています。これまでに発掘された日米合同委員会の非公開議事録のなかには、米軍側の交渉担当者が、

「それはすでに米軍の上級司令官〔太平洋軍司令官〕が決定したことなので、日本政府が承認するかどうかという問題ではない」などとストレートに発言しているケースもあるのです。

その他にも、たとえば2012年、第2章でも触れたオスプレイが普天間基地へ配備されることになったとき、当時の野田佳彦首相が、「オスプレイの配備については、日本側がどうしろこうしろという話ではない」

といって国民の怒りを買いましたが、法的な現実としては野田首相の言っていることが正しかった。基本的に米軍側が「オスプレイを配備することになった」という通報を一本出せば、現在の日本政府にはそれを拒否する法的権利はないのです。

官僚たちが忠誠を誓っていたもの

そうした状況のなかで、日米合同委員会が発足してからすでに60年以上になりますが、それなりにぎりぎりの交渉を重ね、基地の移転や一部返還といった困難な問題についても、なんとかすり合わせて合意してきたという歴史がある。

日米合同委員会のメンバーは、たとえば外務省なら北米局長、法務省なら大臣官房長と、最高のエリートコースにいる官僚たちが、そのポストによって選ばれています。ですから彼らにしてみると、自分の上司も、その上司も、そのまた上司も、全員がこの「米軍+官僚」共同体のメンバーなわけです。だから裏切ることなど、絶対にできるはずがありません。

なかでも法務省から合同委員会のメンバーとなる大臣官房長は、その後、かなりの確率で検事総長に就任しています。そして次の第五章で見るように、日本の最高裁は、「砂川裁判・最高裁判決」というひとつの判決によって、現在、まったく機能していないわけです。

最高裁が機能していない中で、検事総長を出す権利を握っているわけですから、日本の法的な権力構造のトップには、この日米合同委員会が位置しているということになる。

そうしたガッチリとシステム化された権力構造のなかで、長い時間をかけて苦労して積み上げてきた合意を、

「ひょっとしたら数ヵ月で辞めるような首相に、ひっくり返されたくない」というのがおそらく彼らの本音だったのでしょう。

つまり鳩山氏が感じた、日本の高級官僚が忠誠を誓う、

「首相鳩山ではない、なにか別のもの」とは、この日米合同委員会という、60年以上続く「米軍+官僚」の共同体だったというわけです。

 

なぜアメリカ軍は「日本人」だけ軽視するのか…その「衝撃的な理由」

2023.11.13 現代ビジネス 矢部宏治

 

日本には、国民はもちろん、首相や官僚でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が存在し、社会全体の構造を歪めている。

そうした「ウラの掟」のほとんどは、アメリカ政府そのものと日本とのあいだではなく、じつは米軍と日本のエリート官僚とのあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としている。

『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』では、最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」を参照しながら、日米合同委員会の実態に迫り、日本の権力構造を徹底解明する。

*本記事は矢部 宏治『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)から抜粋・再編集したものです。

 

はじめに

それほどしょっちゅうではないのですが、私がテレビやラジオに出演して話をすると、すぐにネット上で、「また陰謀論か」「妄想もいいかげんにしろ」「どうしてそんな偏った物の見方しかできないんだ」などと批判されることが、よくあります。

あまりいい気持ちはしませんが、だからといって腹は立ちません。自分が調べて本に書いている内容について、いちばん「本当か?」と驚いているのは、じつは私自身だからです。

「これが自分の妄想なら、どんなに幸せだろう」いつもそう思っているのです。

事実か、それとも「特大の妄想」か

けれども本書をお読みになればわかるとおり、残念ながらそれらはすべて、複数の公文書によって裏付けられた、疑いようのない事実ばかりなのです。

ひとつ、簡単な例をあげましょう。以前、田原総一朗さんのラジオ番組(文化放送「田原総一朗 オフレコ!」)に出演し、米軍基地問題について話したとき、こんなことがありました。

ラジオを聞いていたリスナーのひとりから、放送終了後すぐ、大手ネット書店の「読者投稿欄」に次のような書き込みがされたのです。

★☆☆☆☆〔星1つ〕 UFO博士か?

なんだか、UFOを見たとか言って騒いでいる妄想ですね。先ほど、ご本人が出演したラジオ番組を聞きましたが(略)なぜ、米軍に〔日本から〕出て行って欲しいというのかも全く理解できないし、〔米軍〕基地を勝手にどこでも作れるという特大の妄想が正しいのなら、(略)東京のど真ん中に米軍基地がないのが不思議〔なのでは〕?

 

もし私の本を読まずにラジオだけを聞いていたら、こう思われるのは、まったく当然の話だと思います。私自身、たった七年前にはこのリスナーとほとんど同じようなことを考えていたので、こうして文句をいいたくなる人の気持ちはとてもよくわかるのです。

けれども、私がこれまでに書いた本を一冊でも読んだことのある人なら、東京のまさしく「ど真ん中」である六本木と南麻布に、それぞれ非常に重要な米軍基地(「六本木ヘリポート」と「ニューサンノー米軍センター」)があることをみなさんよくご存じだと思います。

そしてこのあと詳しく見ていくように、日本の首都・東京が、じつは沖縄と並ぶほど米軍支配の激しい、世界でも例のない場所だということも。

さらにもうひとつ、アメリカが米軍基地を日本じゅう「どこにでも作れる」というのも、残念ながら私の脳が生みだした「特大の妄想」などではありません。

なぜなら、外務省がつくった高級官僚向けの極秘マニュアル(「日米地位協定の考え方 増補版」1983年12月)のなかに、

○ アメリカは日本国内のどんな場所でも基地にしたいと要求することができる。

○ 日本は合理的な理由なしにその要求を拒否することはできず、現実に提供が困難な場合以外、アメリカの要求に同意しないケースは想定されていない。

という見解が、明確に書かれているからです。

つまり、日米安全保障条約を結んでいる以上、日本政府の独自の政策判断で、アメリカ側の基地提供要求に「NO」ということはできない。

そう日本の外務省がはっきりと認めているのです。

北方領土問題が解決できない理由

さらにこの話にはもっとひどい続きがあって、この極秘マニュアルによれば、そうした法的権利をアメリカが持っている以上、たとえば日本とロシア(当時ソ連)との外交交渉には、次のような大原則が存在するというのです。

○ だから北方領土の交渉をするときも、返還された島に米軍基地を置かないというような約束をしてはならない。*註1

こんな条件をロシアが呑むはずないことは、小学生でもわかるでしょう。

そしてこの極秘マニュアルにこうした具体的な記述があるということは、ほぼ間違いなく日米のあいだに、この問題について文書で合意した非公開議事録(事実上の密約)があることを意味しています。

したがって、現在の日米間の軍事的関係が根本的に変化しない限り、ロシアとの領土問題が解決する可能性は、じつはゼロ。ロシアとの平和条約が結ばれる可能性もまた、ゼロなのです。

たとえ日本の首相が何か大きな決断をし、担当部局が頑張って素晴らしい条約案をつくったとしても、最終的にはこの日米合意を根拠として、その案が外務省主流派の手で握り潰されてしまうことは確実です。

2016年、安倍晋三首相による「北方領土返還交渉」は、大きな注目を集めました。なにしろ、長年の懸案である北方領土問題が、ついに解決に向けて大きく動き出すのではないかと報道されたのですから、人々が期待を抱いたのも当然でしょう。

ところが、日本での首脳会談(同年12月15日・16日)が近づくにつれ、事前交渉は停滞し、結局なんの成果もあげられませんでした。

その理由は、まさに先の大原則にあったのです。

官邸のなかには一時、この北方領土と米軍基地の問題について、アメリカ側と改めて交渉する道を検討した人たちもいたようですが、やはり実現せず、結局11月上旬、モスクワを訪れた元外務次官の谷内正太郎国家安全保障局長から、「返還された島に米軍基地を置かないという約束はできない」

という基本方針が、ロシア側に伝えられることになったのです。

その報告を聞いたプーチン大統領は、11月19日、ペルー・リマでの日ロ首脳会談の席上で、安倍首相に対し、「君の側近が『島に米軍基地が置かれる可能性はある』と言ったそうだが、それでは交渉は終わる」と述べたことがわかっています(「朝日新聞」2016年12月26日)。

ほとんどの日本人は知らなかったわけですが、この時点ですでに、1ヵ月後の日本での領土返還交渉がゼロ回答に終わることは、完全に確定していたのです。

もしもこのとき、安倍首相が従来の日米合意に逆らって、「いや、それは違う。私は今回の日ロ首脳会談で、返還された島には米軍基地を置かないと約束するつもりだ」

などと返答していたら、彼は、2010年に普天間基地の沖縄県外移設を唱えて失脚した鳩山由紀夫首相(当時)と同じく、すぐに政権の座を追われることになったでしょう。

「戦後日本」に存在する「ウラの掟」

私たちが暮らす「戦後日本」という国には、国民はもちろん、首相でさえもよくわかっていないそうした「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めてしまっています。

そして残念なことに、そういう掟のほとんどは、じつは日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。

私が本書を執筆したのは、そうした「ウラの掟」の全体像を、「高校生にもわかるように、また外国の人にもわかるように、短く簡単に書いてほしい」という依頼を出版社から受けたからでした。

また、『知ってはいけない』というタイトルをつけたのは、おそらくほとんどの読者にとって、そうした事実を知らないほうが、あと10年ほどは心穏やかに暮らしていけるはずだと思ったからです。

なので大変失礼ですが、もうかなりご高齢で、しかもご自分の人生と日本の現状にほぼ満足しているという方は、この本を読まないほうがいいかもしれません。

けれども若い学生のみなさんや、現役世代の社会人の方々は、そうはいきません。みなさんが生きている間に、日本は必ず大きな社会変動を経験することになるからです。

私がこれからこの本で明らかにするような9つのウラの掟(全9章)と、その歪みがもたらす日本の「法治国家崩壊状態」は、いま沖縄から本土へ、そして行政の末端から政権の中枢へと、猛烈な勢いで広がり始めています。

今後、その被害にあう人の数が次第に増え、国民の間に大きな不満が蓄積された結果、「戦後日本」というこれまで長くつづいた国のかたちを、否応なく変えざるをえない日が必ずやってきます。

そのとき、自分と家族を守るため、また混乱のなか、それでも価値ある人生を生きるため、さらには無用な争いを避け、多くの人と協力して新しくフェアな社会をいちからつくっていくために、ぜひこの本を読んでみてください。

そしてこれまで明らかにされてこなかった「日米間の隠された法的関係」についての、全体像に触れていただければと思います。

「リアル陰謀論」

本というのは不思議なもので、書き手としては、自分が大切だと思ったことをいろいろと並べて書いているわけですが、読者の方の興味というのは、かなり特定の問題にピンポイントで集中することが多い。

そうした読者からの反応を聞いてはじめて、「ああ、自分が書いた本の核心はここにあったのか」

と気づかされることが多いのです。

私がこれまでに書いた本でいうと、第一章でお話しした「横田空域」と、本章で扱う「日米合同委員会」の問題が、圧倒的にみなさんの関心をひくようです。

しかし、よく考えてみるとそれも当然の話で、もしも私が数年前に誰かから、

日本の超エリート官僚というのはね、実は月に二度ほど、都内にある米軍基地などで在日米軍のトップたちと秘密の会議をしているんだ。それで、そこで決まったことは国会に報告する義務も、外部に公表する義務もなく、事実上ノーチェックで実行することができる。つまりその秘密会議は、日本の国会よりも憲法よりも、上位の存在というわけさ」

などといわれたら、確実に、「コイツはおかしいから、つきあうのはやめよう」と思ったはずです。

「これが陰謀論者というやつか」とも思ったことでしょう。

けれどもそういう「リアル陰謀論」とでもいうべき世界が本当に実在することが、いまでは広く認知されるようになりました。それが日米合同委員会です。

米軍の「リモコン装置」

日米合同委員会というのは、その研究の第一人者であるジャーナリストの吉田敏浩氏の表現を借りれば、

「米軍が「戦後日本」において、占領期の特権をそのまま持ち続けるためのリモコン装置」

ということになります。

占領時代、米軍の権力はまさにオールマイティ。日本の国内法など、何も関係なく行動することができました。どこでも基地にして、いつでも軍事演習をして、たとえ日本人を殺したりケガをさせても罪に問われない。

そうした圧倒的な特権を、日本が独立したあとも、「見かけ」だけを改善するかたちで以前と変わらず持ち続けたい──そうしたアメリカの軍部の要望を実現するために、「戦後日本」に残されたリモコン装置が日米合同委員会だというわけです。

この組織のトップに位置する本会議には、日本側6人、アメリカ側7人が出席します。月にだいたい2回、隔週木曜日の午前11時から、日本側代表が議長のときは外務省の施設内で、アメリカ側代表が議長のときは米軍基地内の会議室で開かれています。

おそらく横田基地からなのでしょう。木曜日の午前11時前に、軍用ヘリで六本木にある米軍基地(「六本木ヘリポート」)に降り立ち、そこから会議室がある南麻布の米軍施設(「ニューサンノー米軍センター」)に続々と到着する米軍関係者の姿を、2016年12月6日に放映された「報道ステーション」が捉えていました。

日米合同委員会に激怒していた駐日首席公使

この日米合同委員会でもっともおかしなことは、本会議と30以上の分科会の、日本側メンバーがすべて各省のエリート官僚であるのに対し、アメリカ側メンバーは、たった一人をのぞいて全員が軍人だということです。

アメリカ側で、たった一人だけ軍人でない人物というのは、アメリカ大使館の公使、つまり外交官なのですが、おもしろいことにその公使が、日米合同委員会という組織について、激しく批判している例が過去に何度もあるのです。

有名なのは、沖縄返還交渉を担当したスナイダーという駐日首席公使ですが、彼は、米軍の軍人たちが日本の官僚と直接協議して指示を与えるという、日米合同委員会のありかたは、「きわめて異常なものです」と上司の駐日大使に報告しています。

それは当たり前で、どんな国でも、相手国の政府と最初に話し合うのは大使や公使といった外交官に決まっている。そして、そこで決定した内容を軍人に伝える。それが「シヴィリアン・コントロール(文民統制)」と呼ばれる民主国家の原則です。

ですから、スナイダーが次のように激怒しているのは当然なのです。

「本来なら、ほかのすべての国のように、米軍に関する問題は、まず駐留国〔=日本〕の官僚と、アメリカ大使館の外交官によって処理されなければなりません」

「ところが日本における日米合同委員会がそうなっていないのは、ようするに日本では、アメリカ大使館がまだ存在しない占領中にできあがった、米軍と日本の官僚とのあいだの異常な直接的関係が、いまだに続いているということなのです」(「アメリカ外交文書(Foreign Relations of the United States)」(以下、FRUS)1972年4月6日)

日本という「半分主権国家」

このように当のアメリカの外交官にさえ、「占領中にできあがった異常な関係」といわれてしまう、この米軍と日本のエリート官僚の協議機関、日米合同委員会とは、いったいなぜ生まれたのでしょう。

詳しくは本書の後半でお話ししますが、歴史をさかのぼれば、もともと占領が終わる2年前、1950年初頭の段階で、アメリカの軍部は日本を独立させることに絶対反対の立場をとっていました。すでにソ連や中国とのあいだで冷戦が始まりつつあったからです。

しかし、それでもアメリカ政府がどうしても日本を独立させるというなら、それは、

「在日米軍の法的地位は変えない半分平和条約を結ぶ」(陸軍次官ヴォーヒーズ)あるいは、

「政治と経済については、日本とのあいだに「正常化協定」を結ぶが、軍事面では占領体制をそのまま継続する」(軍部を説得するためのバターワース極東担当国務次官補の案)

というかたちでなければならない、と考えていたのです(「アメリカ外交文書(FRUS)」1950年1月18日)。

この上のふたつの米軍の基本方針を、もう一度じっくりと読んでみてください。

私は7年前から、沖縄と本土でいくつもの米軍基地の取材をしてきましたが、調べれば調べるほど、いまの日本の現実をあらわす言葉として、これほど的確な表現はないと思います。

つまり「戦後日本」という国は、「在日米軍の法的地位は変えず」「軍事面での占領体制がそのまま継続した」「半分主権国家」として国際社会に復帰したということです。

その「本当の姿」を日本国民に隠しながら、しかもその体制を長く続けていくための政治的装置が、1952年に発足した日米合同委員会なのです。

ですからそこで合意された内容は、国会の承認も必要としないし、公開する必要もない。ときには憲法の規定を超えることもある。その点について日米間の合意が存在することは、すでにアメリカ側の公文書(→72ページ「安保法体系の構造」の日米合同委員会の項を参照)によって明らかにされているのです。

「対米従属」の根幹

こうして日米合同委員会の研究が進んだことで、「日本の対米従属」という戦後最大の問題についても、そのメカニズムが、かなり解明されることになりました。

もちろん「軍事」の世界だけでなく、「政治」の世界にも「経済」の世界にも、アメリカ優位の状況は存在します。

しかし「政治」と「経済」の世界における対米従属は、さきほどの軍部の方針を見てもわかるように、

「あくまで法的関係は正常化されたうえでの上下関係」であって、「占領体制が法的に継続した軍事面での関係」とは、まったくレベルが違う話なのです。

私たち日本人がこれから克服しなければならない最大の課題である「対米従属」の根幹には、軍事面での法的な従属関係がある。

つまり、「アメリカへの従属」というよりも、それは「米軍への従属」であり、しかもその本質は精神的なものではなく、法的にガッチリと押さえこまれているものだということです。

そこのところを、はっきりとおさえておく必要があるのです。

私自身、いろいろ調べた末にこの日米合同委員会の存在にたどりついたとき、「ああ、これだったのか」と目からウロコが落ちるような気持ちがしました。それまで見えなかった日米関係の本質が、はっきり理解できるようになったからです。

「これが法治国家か」

本当に大切なことは、驚くほど簡単な言葉で表現できる。みなさんは、そういう経験をされたことはないでしょうか。

私はすでにお話ししたとおり、2010年6月に起きた鳩山政権の崩壊をきっかけに、沖縄に渡って米軍基地問題を調べはじめました。

そのわずか九ヵ月後には福島の原発事故が起こり、沖縄だけでなく、本土でも、「これが法治国家か」

と思うような、信じられない光景をいくつも目にすることになりました。

20万人もの罪のない人たちが家や畑を失い、避難先の仮設住宅で「これからどうすればいいのか」と悩みつづけている一方で、事故を起こした2011年の年末には、ボーナスをもらってヌクヌクと正月の準備をする東京電力の社員たち。

不思議だ、不思議だと思いながら、なにをどうすればいいか、まったくわからない日々が続きました。

そんなある日、耳を疑うような事実を知ったのです。

それは米軍・普天間基地のある沖縄県宜野湾市の市長だった伊波洋一さん(現参議院議員)が、講演で語っていた次のような話でした。

「米軍機は、米軍住宅の上では絶対に低空飛行をしない。それはアメリカの国内法がそうした危険な飛行を禁止していて、その規定が海外においても適用されているからだ」

いちばん驚いたこと

「?????」一瞬、意味がよくわかりませんでした。

私は沖縄で米軍基地の取材をしている最中、米軍機が市街地でギョッとするほどの低空飛行をする場面に何度も遭遇していたからです。軍用ヘリコプターが巻き起こす風で、民家の庭先の木が折れるほど揺れるのを見たこともありますし、マンションの六階に住んでいて、「操縦しているパイロットといつも目が合うのさー」と言っていた人にも会いました。

実際、丘の上から普天間基地を見ていると、滑走路から飛び立った米軍機やヘリが、陸上、海上を問わず、島の上空をどこでもブンブン飛びまわっているところが見える。

「それが、米軍住宅の上だけは飛ばないって、いったいどういうことなんだ?」

しかも伊波氏の話によれば、そうした米軍の訓練による被害から守られているのは、人間だけではないというのです。アメリカでは、たとえばコウモリなどの野生生物や、砂漠のなかにある歴史上の遺跡まで、それらに悪影響があると判断されたときには、もう訓練はできない。計画そのものが中止になる。

なぜなら、米軍が訓練をする前には、訓練計画をきちんと公表し、環境への影響評価を行うことが法律で義務づけられているため、アメリカ国内では、人間への悪影響に関して米軍の訓練が議論されることはもうないというのです。

いや、いや、ちょっと待ってくれ。おかしくなりそうだ──。どうして自国のコウモリや遺跡にやってはいけないことを日本人にはやっていいのか。それは人種差別なのか?それとも、よその国なら、何をやってもいいということなのか?

いや、そんなはずはない。

なぜなら、たとえば沖縄本島北部の高江では、ノグチゲラという希少な鳥の繁殖期には、ヘリパッドの建設工事が数ヵ月にわたって中止されているからだ。

「日本人」の人権にはまったく配慮しない米軍が、「日本の鳥」の生存権にはちゃんと配慮している。

これはいったいどういうことなのか……。

ただアメリカの法律を守っているだけ

この問題は長いあいだ頭のなかをグルグルまわっているだけで、答えはなかなか見つかりませんでした。しかし、かなりあとになってから、アメリカ国内の米軍基地における飛行訓練の航跡図を見て、

「ああ、そういうことか」と納得する瞬間があったのです。

つまり、アメリカ国内の米軍基地というのは、たとえばカリフォルニア州のミラマー海兵隊基地などは、沖縄の普天間基地にくらべると約20倍の面積があって、基本的には基地の敷地の上空だけで低空飛行訓練ができるようになっている。しかも、もともと基地自体が山のなかにあるから、住宅地への影響はいっさいない。

海上に出て長距離の飛行訓練をするときも、もちろん住宅地のうえは避けて、渓谷沿いのルートを海まで飛んでいく。離陸用の滑走路は、そのため渓谷の方向をむいている。

つまり、われわれ日本人は、「米軍住宅の上だけは飛ばないなんて、あまりにもひどいじゃないか」

と米兵たちに対して大きな怒りを感じるわけですが、それは違っていた。彼らはただ、アメリカの法律を守っているだけなのです。

米軍住宅に住むアメリカ人たちも、環境に配慮した本国の法律によって、海外にいても人権が守られているだけなので、私たちから非難される理由は何もない。しかも、アメリカのそのすばらしい環境関連法は、自国の動植物や遺跡だけでなく、なんと日本の鳥(希少生物)まで対象としているというのだから、徹底している。

問題は、ではなぜ日本人の人権だけは守られないのか、ということだ。

結局、憲法が機能していないということだ

そこまで考えてきて思い出したのが、第1章で触れた「航空法特例法」でした。

米軍機には、〔最低高度や飛行禁止区域を定めた〕航空法第6章の規定は適用しない」という法律です。

日本には、国民の人権を守るための立派な憲法があり、危険な飛行を禁止する立派な航空法も存在する。しかしそのせっかくの条文が、米軍に関しては「適用除外」になっている。

もちろん、どんな特例法があろうと、国民の人権が明らかに侵害されていたら、憲法が機能してそれをやめさせなければならないはずだ。ところが現実はそうなっていない。

つまり在日米軍に関しては、「結局、憲法が機能していないということなんだ」。

そう思った瞬間、それまでまさに混沌状態にあったいろいろな思いが、スッと整理されて、目の前が急に開けたような気がしたのです。

「憲法さえきちんと機能すれば、沖縄の問題も福島の問題も、ほとんど解決することができるんじゃないのか」

いま考えると、それは当たり前の話で、どうしてもっと早く気づかなかったんだろうと思うのですが、そのことにはっきり気づくまで、丸々二年かかりました。でも、そこからはスラスラと謎が解けていったのです。

人権が守られている人間と守られていない人間

「Q:米軍機はなぜ、アメリカ人の家の上は飛ばないのか」

「A:落ちると危ないから」

「Q:東京電力はなぜ、東京で使う電力を東京ではつくらなかったのか」

「A:原発が爆発すると危ないから」

つまり同じ島(沖縄本島)のなかで、人権が守られている人間(米軍関係者)と、守られていない人間(日本人)がいる。

また、同じ地域(東日本)のなかで、人権が守られている人間(東京都民)と、守られていない人間(福島県民)がいる。

沖縄の米軍機の低空飛行の場合、その差別を正当化しているのは、航空法の適用除外条項でした。

そう思って福島の問題を調べていくと、やはりあったのです。「適用除外」条項が。

日本には環境汚染を防止するための立派な法律があるのに、なんと放射性物質はその適用除外となっていたのです(2011年時点)。

「大気汚染防止法 第27条1項 この法律の規定は、放射性物質による大気の汚染及びその防止については、適用しない」

「土壌汚染対策法 第2条1項 この法律において「特定有害物質」とは、鉛、砒素、トリクロロエチレンその他の物質(放射性物質を除く)(略)」

「水質汚濁防止法 第23条1項 この法律の規定は、放射性物質による水質の汚濁及びその防止については、適用しない」

これらの条文を読んだとき、私が2年前から疑問に思い続けてきた、「なぜ福島で原発被害にあったみなさんが、正当な補償を受けられないのか」という問題の法的な構造が、沖縄の米軍基地問題とほとんど同じであることがわかりました。つまり現在の日本には、国民の人権を「合法的」に侵害する不可解な法的取り決め(「適用除外条項」他)が、さまざまな分野に存在しているということです。

事実、福島県の農家のAさんが環境省を訪れ、原発事故で汚染された畑について何か対策をとってほしいと陳情したとき、担当者からこの土壌汚染対策法の条文を根拠に、「当省としましては、この度の放射性物質の放出に違法性はないものと認識しております」という、まさに驚愕の返答をされたことがわかっています(「週刊文春」2011年7月7日号)。


福島県 白河市歴史民俗資料館①縄文土器 人面付弥生土器 天王山式土器 

2024年07月28日 16時31分27秒 | 福島県

白河市歴史民俗資料館。福島県白河市中田。

2024年6月1日(土)。

白河ハリストス正教会の見学を終え、白河市歴史民俗資料館へ向かった。

 

鵜ヶ島台式土器神奈川県鵜ガ島台遺跡を標識遺跡に持つ、縄文時代早期後葉の土器型式である。土器の器面を二枚貝の放射肋で調整する際につく擦痕状の文様をもつのが特徴で、条痕文土器として分類され、文様の区画交差部に円形の刺突文が押捺されるという特徴を持つ土器である。関東地方を中心に分布する。

大木7b式土器と阿玉台式土器。

阿玉台式土器東関東に分布する縄文時代中期前半(4,500~5,000年前)を代表する土器で、千葉県香取市阿玉台貝塚の名前から命名された。霞ヶ浦沿岸に分布の中心をもつ関東地方における縄文土器編年の標式資料となっている。粘土には金雲母とよばれる鉱物が混ぜられているため、光に照らすとキラキラ光るのが特徴である。

綱取式土器。

綱取式土器は、福島県いわき市綱取貝塚出土土器を標式として設定された縄文時代後期前葉を中心とした型式である。

新地式土器は、福島県新地町新地貝塚出土土器を標式土器とした縄文時代後期末の土器形式で、磨消縄文を特徴として東北南部に分布する。

人面付弥生土器。滝ノ森B遺跡。

高さ25.3cm 胴径16cm。表郷番沢の滝ノ森B遺跡において、昭和15年(1940)、完全な形で出土した球形の胴に細長い頸をもった壺で、口から頸にかけた部分の表裏2面に人の顔が表現されている。隆帯が額に巡り、これにより眉と鼻が描き出されている。また、顔の輪郭にも隆帯がS字状に巡り、顎、耳が形作られている。隆帯上には、円形の刺突文がみられる。目、口は細い沈線で描かれ、その中に短い沈線を充填している。目・口、隆帯上の刺突文や胴部の一部に朱彩の痕跡がみられる。

年代的には、土器の特徴から弥生時代中期に位置づけられる。昭和41年(1966)の発掘調査時には、墓とみられる土坑も確認されていることから、再葬墓に伴う可能性が考えられる。

天王山(てんのうやま)遺跡出土品。

天王山遺跡は、大地区および久田野地内に所在する弥生時代後期前半(1世紀頃)の集落遺跡で、天王山式土器の標式遺跡として著名である。

白河市中心市街地から東へ約4km、阿武隈川左岸の標高407mほどの独立丘陵頂上部に立地しており、丘陵裾部との比高差は約80mを測る。複数時期の竪穴建物跡や土坑が重複する状況を確認したことから、一定期間存続した集落跡と位置付けられた。

昭和25年、開墾中に発見され、開墾と平行して行われた発掘調査により弥生土器、土製紡錘車、石器(アメリカ式石鏃・石鏃・環状石斧・磨石)、管玉、植物質遺物(炭化米・炭化クリ・炭化クルミ・炭化木皮)などが出土するとともに、土坑や集石遺構、焼土遺構などを検出した。出土した多量の土器は、「天王山式土器」として設定されるなど、東北における弥生時代後期前半の標式遺跡として、その後の研究にも強い影響を及ぼすことになった。

 平成28年から30年にかけて、白河市が行った発掘調査で、複数の竪穴建物が検出されたことにより、長い間不明であった遺跡の性格が集落であることが明らかになり、弥生時代後期前半における集落の立地や構造、多量の植物質遺物から想定される生業や食生活など、当時の社会構造を知る上でも新たな知見を加えることができた。

天王山遺跡は、東北地方における弥生時代研究において学史的にも極めて重要な遺跡であり、弥生時代後期前半における集落の立地や大量の植物遺物から想定される生業や食生活など、当時の社会構造を考えるうえで重要である。

天王山式土器は、壺・甕・鉢・高杯などがある。天王山式土器を最も特徴づける文様は、沈線間に上下から刺突を加えた交互刺突文である。その他に、沈線による鋸歯文、連弧文、工字文、方形区画文、渦文、菱形文や、磨消縄文手法もみられ、磨消部に赤彩したものも存在する。

発見当時、他に類例を見ない特徴を有していたことから弥生土器の標式として、「天王山式土器」と名づけられ、現在、東北地方から北陸地方を中心に分布することが確認されている。

福島県白河市 白河ハリストス正教会 山下りんのイコン画


根室市 花咲灯台 根室車石

2024年07月28日 09時28分30秒 | 北海道

花咲灯台。根室市花咲港。

2022年6月14日(火)。

納沙布岬灯台前から根室半島南岸の道路を走り、早朝見学した「根室市歴史と自然の資料館」前を通って、太平洋方向へ下り、15時15分ごろ花咲岬の駐車場に着いた。女性が乗った車が1台停まっていた。

資料館を見学したときに、根室車石の存在を知ったが予定になかったのでチャシ見学を優先した。見学時間は無くなりかけていたが、見たいという気持ちが勝った。

ところが、駐車場から少し歩いた地点から花咲灯台を見ると下り坂の遊歩道は長くかかりそうだったのでため息が出たが、ここまで来たら行くしかなかった。

花咲灯台は、花咲岬突端に立つ赤と白に塗られた四角形の灯台で、日本の灯台50選。周辺は、公園として整備され、太平洋を望む風光明媚の地である。1890年(明治23年)11月1日初点灯。1951年(昭和26年)6月15日改築。

 

花咲灯台の横に、根室車石(くるまいし)の案内板がある。ここからさらに波しぶきがかかる海面近くまで降りないと根室車石は観察できない。

国天然記念物・根室車石。

根室車石」は放射状節理の構造をしたアルカリ粗粒玄武岩で、方沸石を含む球状の岩体をしており、根室半島花咲岬附近一帯に広く分布している。その奇観と大きさは、世界でも類を見ない。海底に堆積した泥などの中にマグマが流入し、広い岩床を作りながら急速冷却を受ける過程で形成された枕状溶岩が、さらに冷却され、内部に放射状柱状節理が生じる。これを輪切りにすると中央から放射状に割れ目が入るさまを車輪の形状にたとえて「車石」とよばれる。

その形成時代は、白亜紀(6千万年 - 1億3千万年前)と言われた時代で、アンモナイト・イノセラムスなどの動物が住めるような今より暖かい海であった。

その海底の地下深くより千度以上もの温度を持ったドレライトマグマが上昇し、海水を含んだ泥(根室層と言われている)の附近で水平に方向を変え、溶岩となって泥の中へ浸入し、そこで泥の中の海水は、この溶岩を冷やすことになる。

表面は冷やされるため、初めは柱状節理と言われる柱のようになった割れ目ができるが、内部はまだ溶けており、後方から送られる溶岩によって先に進んでいき先端部より海水が浸入し内部を急冷する。

このような溶岩を「枕状溶岩」といい、この半島での岩質は粗粒玄武岩と言われており一般に長径1 – 2m、最大で6mにおよぶものもある。

このような火成岩の典型的な放射状節理構造は例も少なく、学術上貴重であり、太平洋に面する断崖に球状岩体が多数重なる様は、一大奇観を成している。

花咲港。駐車場から眺める。

10年連続水揚げ日本一のさんま漁,やサケマス漁など北方海域での漁業基地。ロシアからの魚介の輸入をはじめ地域の物流拠点として国際的にも重要な役割を担っている。

 

15時35分ごろに出発して、別海町の国史跡・旧奥行駅逓所の見学に向かった。

根室市 納沙布岬 北方館 貝殻島 寛政の蜂起和人殉難墓碑 納沙布岬灯台