佐渡島。姫崎灯台付近。
2023年10月2日(月)。
道の駅「新潟ふるさと村」で5時ごろ起床。本日は、佐渡への日帰り旅行。レンタカーを1か月以上前にニコニコレンタカーの軽自動車12時間4725円で予約しておいた。島を半周以上してガソリン代は1338円だった。
新潟港からのフェリーは6時発・8時30分佐渡着、19時30分佐渡発・22時着を予定。料金は身障者半額で片道1820円。10時間余りが佐渡の見学時間となる。
ここで大失敗をした。なぜか7時発と思い込んでいた。予定表に6時と書いておいたのに、見直すことをしなかったのだ。その代償は2050円の損失と、トキを間近に見られなかったこと。予定していた一宮度津神社、小木民俗博物館、赤泊港をスキップしたが、もともと余裕があればとしていた予定地であった。
朝の支度は船内で済ませようと思い、1時間以上の余裕を持たせるつもりで、新潟港直結の朱鷺メッセ駐車場に5時50分頃着き、6時ごろに待合所に着いた。乗船券の購入を求めると、今出たばかりです、と言われて驚き、1時間間違えていたことに気付いた。
次の便はジェットフォイルが7時55分発で9時2分着。料金は2050円の追加で片道3870円。翌日に延期することもできるが、レンタカーを予約済みで、レンタカーの営業所も8時からなので相談もできない。仕方なく、ジェットフォイルで行くことにした。ジェットフォイルに乗船したが、フェリーと違って席を離れることはできず、室外に出ることもできなかった。
ニコニコレンタカーの営業所は港近くにあった。ニコニコは五島列島以来だ。那覇では地元のレンタカー屋で借りたが、パンクしたタイヤ交換を実費で払わされたので、地元業者は敬遠した。
道路地図はないようだったので、手持ちの「るるぶ」地図とナビで周遊した。まずは、両津から真野方面へ向かった。
本間家能舞台。新潟県指定有形民俗文化財。新潟県佐渡市吾潟。
ナビで確認できず、近くを5分ほど探索したが、幹線道路沿いにあった。自由に外観を見学できる。
佐渡に現存する能舞台では最も本格的な造りで、江戸初期より佐渡宝生流能の指導的役割を担ってきた本間家が所有するもので、佐渡にあって唯一個人所有の能舞台である。
現在の建物は明治18年(1885)に再建されたものといわれ、本舞台は間口5.6メートル、奥行5.7メートル、寄棟造桟瓦葺である。床板は本舞台と後座を縦と横に張り分け、天井は棹縁天井に鐘穴があり、後座部分は一段低く、鏡板に向けて下り勾配の棹縁天井である。水引(虹梁)には若葉が彫られ、木鼻のついた三ツ組斗、中央に「本間」の「本」の字が彫られた蟇股とその上の肘木などに細部に装飾的な意匠がみられる。
また、本舞台中央の床下には、音響効果をあげるための2つの甕が向かい合って斜めに埋められている。鏡板には松の絵が描かれ、常設の地謡座、鏡の間を備え、橋掛りには切戸口までつながる裏通路が同じ床高で付属している。橋掛りと裏通路は板壁で仕切られているが、地覆の勾欄が付いており、後設のものと分かる。地謡座には勾欄はなく、架木の高さまで板壁になっている。全体として調和のとれた格式ある能舞台であり、島内の他の舞台への影響も大きい。
最古の演能記録は寛延2年(1749)までさかのぼり、現在も毎年7月最終日曜日には定例能を開催している。
トキの森公園。佐渡市新穂長畝。
9時45分頃到着。入場券は券売機でしか買えない。園内配置が分かりづらい。トキ資料展示館を先に見てからトキを間近に見られる「トキふれあいプラザ」に向かったが、9時30分頃が餌の時間で、観察窓近くにトキが集まると、係員が言っていた。10時ごろだと、遠くの草地でエサを探すトキしか見られなかった。トキを間近に見たければ給餌時間に合わせる必要がある。
国史跡・下国府(しもこう)遺跡。佐渡市竹田。
県道65号線沿い竹田橋付近にある遺跡は、佐渡国府に関連する官衙とみられ、小佐渡山系から国仲平野に突出した舌状台地の先端部に位置して、ほぼ四角形の形状をしており、国仲平野に突き出た台地の先端部に広がっている。二重の濠で囲まれた内側には2棟の掘立柱建物が残されており、付近からは平安時代前期9世紀前後のものと思われる須恵器の杯などの遺物が多量に出土している。
外濠は、幅1.4ⅿを測る雄大なものであり、南北36m、東西32mの範囲を囲み、内濠はやや細い溝であり、外濠とほぼ各辺を平行させて、南北26m、東西23mの長方形の範囲を囲んでいる。この1条の濠の内部には東西に軸をもつ掘立柱建物が南北に2棟、5mの間隔をおいて東に少し寄せて建てられている。2棟の建物は近似した規模をもち桁行3間、梁間2間をはかるものであって、板葺きないしは草葺きの屋根をもつものであったと考えられている。
遺構は、一定の設計に基づいて営まれたものであり、内濠の東北の隅を欠き屈折するといった特異な配慮もあってきわめて注目される構造、形態をとっている。
本遺跡の所在地は、南に佐渡国分寺や総社、北に条理状地割、西に奈良朝屋瓦を伴う礎石建物遺構などで囲まれ、国府域の観の強い地域であり、加えて本遺跡の所在地は元禄検地帳に「下国府」の名でも呼ばれていることをも考え合わせるならば、佐渡国府に関連する官衙なり館舎などの一つかと思われる重要な遺跡である。
佐渡大膳神社能舞台。新潟県指定有形民俗文化財。佐渡市竹田。
妙宣寺方向へ向かい、案内標識に従い脇道へ入る。
松と杉の木を背にした境内地に建つ能舞台で、社殿に向かって左側に、正面を社殿に向けて配置されている。
現在の建物は、旧鏡板の背面にある墨書から弘化3年(1846)の再建とわかり、本舞台は間口5.5m、奥行4.4m、寄棟造茅葺である。床板は本舞台、後座を縦と横に張り分けているが、本舞台奥行が後座まで食い込み、天井は裏楽屋まで一体に小屋組を見せているが、松と日輪の絵が描かれた鏡板で仕切られている。
橋掛りは複式形式で、両側に地覆付の勾欄が付けられ、正面は平桁、裏通路との仕切りには通し貫の形式が用いられ、柱を設けず、3間の軒桁で橋掛り前面を開放し、背面は板壁である。地謡座は、以前は組立式の仮設であったが、今は常設されて竹の勾欄があり、舞台正面寄りの半分が客人桟敷となる。鏡の間の機能を橋掛り上に設け、裏楽屋とつなぐ複式橋掛り形式の代表であり、茅葺屋根ともあいまって佐渡らしい風格をもった能舞台である。
過去の演能記録としては、文政6年(1823)の「大膳御神事御能番組留」までさかのぼることができ、現在も毎年4月18日の祭礼に定例能、6月には臨時の演能が行われており、当地に伝わる鷺流狂言(県指定文化財)も上演される。
大膳神社能舞台は、現存する佐渡に35ある能舞台の中で最も古いものである。佐渡の能舞台のほとんどが雨風を避けるため戸が建てられているが、ここは年中、開けられていて舞台正面の老松に太陽が描かれた珍しい鏡板が目を引く。
佐渡には室町時代、1434年に能の大成者・世阿弥が流されているが、世阿弥が島民に能を教えたという記録はない。能が佐渡の人びとの間に普及したのは江戸時代以降のことで、佐渡金銀山の発見により、1603年佐渡代官となった大久保長安が能楽師を連れてきたことに始まる。
大正時代に佐渡を訪れた歌人、大町桂月が、「鶯や 十戸の村の 能舞台」と詠んだように、わずか十戸ばかりしかない農村集落にも能舞台があって、謡いや仕舞いをしたり、鼓を打ったりして楽しむ百姓が多くいるということへの驚きが記されている。
ここ大膳神社の例祭は毎年4月18日で、この日には神前に奉納する能が演じられる習わしになっている。このように祭りなど決められた日に能を披くことを定能という。
また佐渡に能の広がるきっかけとなった国仲の4つの能舞台を「国仲四ヶ所の御能場」とよび、大膳神社もその一つになっている。
能楽協会のシテ方には観世流、金剛流、金春流、喜多流、宝生流の五流派があるが、江戸時代、佐渡で主流となったのは観世流と宝生流である。現在、佐渡の人が務める演能のシテ方は全て宝生流となっている。
また、佐渡で能に携わる人たちの多くはプロではなく、それぞれ仕事をしながら能の研鑽に努めている。大膳神社の定能は、そんな能楽グループのひとつ真野能楽会により披かれていて、静寂の中に作り出される幽玄の世界は見る人の感動を誘う。
なお、大膳神社能舞台では6月上旬に観光用に薪能も行われている。
このあと、妙宣寺方向へ向かった。