以下、2つの作品のネタバレがありますので、御注意ください。
アルセーヌ・ルパンと言えばシャーロック・ホームズとならぶ古典探偵小説のヒーローですが、そのデビューは『怪盗紳士ルパン(Arsène Lupin, gentleman-cambrioleur)』という短編集にまとめられています。邦訳では平岡敦訳の『怪盗紳士ルパン (ハヤカワ文庫 HM)』早川書房(2005/09/09)、少年向けでは南洋一郎訳の『怪盗紳士』ポプラ社(2005/02)があります。
『怪盗紳士ルパン』は1907年刊行で、フランスの月刊誌「ジュ・セ・トゥ(Je sais tout)」に掲載した短編をまとめたものですが、その最初の作品が第6号(1905/07/15)掲載の「アルセーヌ・ルパンの逮捕」です[Ref-1a]。フランスからアメリカに渡る客船に「神出鬼没の怪盗ルパン。その武勇の数々が、数ヶ月前から新聞の紙上をにぎわしている謎の人物」が乗っているという情報が届き、アメリカ到着までの推理劇(と言ってもいいかな)が展開されるという作品です。
「アルセーヌ・ルパンの逮捕」はもちろん上記の邦訳に入っていますが、『ルパンの恋』[Ref-1]にも収録されています。こちらが本当に最初に月刊誌に掲載された作品そのもので、短編集に収録された時には多少変更がありました。というか、追加がありました。さてこの作品は私も子供の頃におもしろく読んだのですが、ルパンの正体はパレバレだなあと思っていました。が、どうもそれは私の勘違いでした。
確かにルパンをすでによく知っている読者にとってはパレバレなんですが、「アルセーヌ・ルパンの逮捕」はルパン物の第1作です。作品中の船客たちはもちろん、フランス中の読者もルパンが何者でありどんな人物なのかは全く知りません。知っていることは作品冒頭で紹介されたことだけであり、それは、数か月前から世に知られた、名刑事ガニマールと死闘を繰り広げている、貴族の城館や金持ちのサロンだけ狙う、人を食ったところがある、変装の名手である、という点だけでした。「ルパンは人は殺さない」という信用もまだ得られてはいませんから、「もしかしたら、殺人だっておきかねないかもしれない」という一文もリアルだと言えるでしょう。
しかも作者のモーリス・ルブラン自身が実はこの作品を書いたときにはルパンを主人公とする続編を書くつもりは全くなかったのです。編集者から続編を書くように頼まれて、「投獄されたから続きはないよ」というと「脱獄させればいい」と返されて続きを書くことになったそうです[Ref-1b]。つまり「アルセーヌ・ルパンの逮捕」はルパン・シリーズの1作としてではなく、他作品とは完全に独立した1作として書かれたものなのです。
そういう目で読むと十分に意外な真相という推理劇としても成り立ちますし、しかも恐らくはかなり斬新だったトリックを使っています。すなわち「真犯人は語り手だった!」。これはアガサ・クリスティが採用したときに「アンフェアーだ」という声もあがったといういわくつきのトリックですが、何のことはない20年も前にすでにルブランが使っていたのでした。
とはいえ「アルセーヌ・ルパンの逮捕」の場合は、紹介された人物でルパンの人物像に合うのは2人だけなので、目の利いた読者にはパレバレにも思えます。この作品のポイントはトリックよりもむしろルパンの心情を示す最後の場面なのでしょう。それでも目の利いた読者というのもそう多くはなかったでしょうから、多くの読者は意表を突く真相に騙されることを楽しめたのではないかとも思います。
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Ref-1) 平岡敦訳の『ルパン、最後の恋 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』早川書房(2013/05/24)
a)「あとがき」訳者
b)「アルセーヌ・ルパンはいかにして生まれたか?」モーリス・ルブラン(1933/11/11);竹若理衣訳
アルセーヌ・ルパンと言えばシャーロック・ホームズとならぶ古典探偵小説のヒーローですが、そのデビューは『怪盗紳士ルパン(Arsène Lupin, gentleman-cambrioleur)』という短編集にまとめられています。邦訳では平岡敦訳の『怪盗紳士ルパン (ハヤカワ文庫 HM)』早川書房(2005/09/09)、少年向けでは南洋一郎訳の『怪盗紳士』ポプラ社(2005/02)があります。
『怪盗紳士ルパン』は1907年刊行で、フランスの月刊誌「ジュ・セ・トゥ(Je sais tout)」に掲載した短編をまとめたものですが、その最初の作品が第6号(1905/07/15)掲載の「アルセーヌ・ルパンの逮捕」です[Ref-1a]。フランスからアメリカに渡る客船に「神出鬼没の怪盗ルパン。その武勇の数々が、数ヶ月前から新聞の紙上をにぎわしている謎の人物」が乗っているという情報が届き、アメリカ到着までの推理劇(と言ってもいいかな)が展開されるという作品です。
「アルセーヌ・ルパンの逮捕」はもちろん上記の邦訳に入っていますが、『ルパンの恋』[Ref-1]にも収録されています。こちらが本当に最初に月刊誌に掲載された作品そのもので、短編集に収録された時には多少変更がありました。というか、追加がありました。さてこの作品は私も子供の頃におもしろく読んだのですが、ルパンの正体はパレバレだなあと思っていました。が、どうもそれは私の勘違いでした。
確かにルパンをすでによく知っている読者にとってはパレバレなんですが、「アルセーヌ・ルパンの逮捕」はルパン物の第1作です。作品中の船客たちはもちろん、フランス中の読者もルパンが何者でありどんな人物なのかは全く知りません。知っていることは作品冒頭で紹介されたことだけであり、それは、数か月前から世に知られた、名刑事ガニマールと死闘を繰り広げている、貴族の城館や金持ちのサロンだけ狙う、人を食ったところがある、変装の名手である、という点だけでした。「ルパンは人は殺さない」という信用もまだ得られてはいませんから、「もしかしたら、殺人だっておきかねないかもしれない」という一文もリアルだと言えるでしょう。
しかも作者のモーリス・ルブラン自身が実はこの作品を書いたときにはルパンを主人公とする続編を書くつもりは全くなかったのです。編集者から続編を書くように頼まれて、「投獄されたから続きはないよ」というと「脱獄させればいい」と返されて続きを書くことになったそうです[Ref-1b]。つまり「アルセーヌ・ルパンの逮捕」はルパン・シリーズの1作としてではなく、他作品とは完全に独立した1作として書かれたものなのです。
そういう目で読むと十分に意外な真相という推理劇としても成り立ちますし、しかも恐らくはかなり斬新だったトリックを使っています。すなわち「真犯人は語り手だった!」。これはアガサ・クリスティが採用したときに「アンフェアーだ」という声もあがったといういわくつきのトリックですが、何のことはない20年も前にすでにルブランが使っていたのでした。
とはいえ「アルセーヌ・ルパンの逮捕」の場合は、紹介された人物でルパンの人物像に合うのは2人だけなので、目の利いた読者にはパレバレにも思えます。この作品のポイントはトリックよりもむしろルパンの心情を示す最後の場面なのでしょう。それでも目の利いた読者というのもそう多くはなかったでしょうから、多くの読者は意表を突く真相に騙されることを楽しめたのではないかとも思います。
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Ref-1) 平岡敦訳の『ルパン、最後の恋 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』早川書房(2013/05/24)
a)「あとがき」訳者
b)「アルセーヌ・ルパンはいかにして生まれたか?」モーリス・ルブラン(1933/11/11);竹若理衣訳
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