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嫌気性細菌の培養:北里柴三郎の偉業(2)

2024-09-18 08:04:46 | 医学
 さて北里柴三郎の破傷風菌の純粋培養についてはテルモ社の「医療の挑戦者たち 30」[Ref-4a]に詳しく載っています。北里の仕事のみならず先駆者の仕事も述べているので、事情がよくわかります。

 まず参考に、当時までの歴史を並べると
1847 消毒による産褥熱の防止;センメルヴェイス・イグナーツ
1862 腐敗発酵の微生物説証明;ルイ・パスツール
1865 フェノール消毒の開発;ジョセフ・リスター
1876 炭疽菌発見;ロベルト・コッホ
1879 鶏コレラワクチンの開発;ルイ・パスツール
1881 炭疽菌ワクチンの開発;ルイ・パスツール
1882 結核菌発見;ロベルト・コッホ
1884 コレラ菌の純粋培養;ロベルト・コッホ
1885 狂犬病ワクチンの開発;ルイ・パスツール
1885 長崎でコレラ患者からコレラ菌を確認;北里柴三郎
1886 北里柴三郎がドイツに留学
1889 破傷風菌の純粋培養;北里柴三郎
1890 破傷風菌抗毒素(抗体)の発見と血清療法の確立;北里柴三郎

 こう見ると、炭疽菌発見以後は怒涛の発展ですね。なお、北里柴三郎記念博物館のデジタルパンフレットの年譜リーフレットの記載によれば、北里柴三郎のドイツ留学は長崎でのコレラ菌確認という実績も要因だったそうです。当時、ドイツには日本から多くの医学生が留学していて、それは国がドイツ方式の医学に合わせようと決定していたからとのことです[Ref-4d]

 実験技術としては、ロベルト・コッホが固形培地を開発し、その弟子ユリウス・ペトリペトリ皿(シャーレ)を考案しました。シャーレ以前はガラス板(いわゆるスライドガラスでしょうか)に培地を載せていたのを、こぼれにくい皿型に埃が入らないよう蓋をかぶせたという当然すぎるような発想に見えますが、ガラス製となるとなかなか思いつけなかったのかも知れません。

 ところがペトリ皿での培養で、どうしても破傷風菌以外の雑菌を除くことができません。それを寒天が固まる前に材料を入れて混合し垂直の試験管に流し込んで培養したところ、表層には雑菌が、底には破傷風菌が増殖していました。試験管高層培地と呼ばれます。さらに加熱により破傷風菌だけを残す方法も見つけ出して、培養は試験管高層培地の底部に菌を植えるという方法で純粋培養に成功したのです。
 でもこの方法は難しいということで開発したのが「亀の子シャーレ」です。この密閉ガラス容器に培地と菌を入れて水素を流して空気を追い出したのち、出入り口を溶融して閉じる。出入り口をも閉じて完全密室にしていますから温度管理さえすれば放置してもOKです。

===========引用開始=====================
だがこの嫌気性培養装置の欠点を挙げるとすれば、それは、ときどき爆発を起こすことだった。空気を追い出すのに水素ガスを用い、しかもシャーレの口を閉じるのに火炎でガラスを融かすので、ときどき水素に火がついて爆発を起こすのだ。しかし北里はそんなことにはめげず、着実に実験を重ねていった。
===========引用終り=====================

 いやいやそこは「そんなことにはめげず」なんて褒めるところじゃないでしょう。若いもんが真似したらどうすんの? 私もガラス管やガラス容器の溶封くらいは何回も経験してますが、可燃性ガスの詰まった容器の溶封のノウハウなんて知りませんよ。まあやるとするならば、まず出入口の管を事前にできるだけ細長く引き伸ばしておいてから、(むろん室温まで十分に冷却した後に)試料をいれる。そして水素を充填したら、出来る限り手早く焼き切る。手早くやるためにはバーナーもすぐ使える位置に置いておく。思いつけるのはこれくらいですかね。容器内には水素はあっても酸素はないから反応は起きないし、口からは極々わずかな水素しか漏れてないはずだから持続的燃焼はそうそうは起きないでしょう。うん、なんとかいけそう。北里先生もやってたことだし。さあ新規な技術に挑戦だ・・。

 だめーーーーー、絶対。こんな作業は、現在ならどこの実験室でも厳禁でしょう。

 でも記事を読んでいて窒素ではなく水素を使った理由がわかりました。水素なら亜鉛に希硫酸を反応させて簡単に作ることができたのです。一方の窒素ガスには簡単に作れるような化学反応がなく、リンデ(Carl von Linde)による空気からの分離方法の開発(1902年)までは普通の実験室で手軽に使えるものではありませんでした[Ref-8,9]。現在では窒素も酸素も使える所では湯水のごとく使え[*1]、嫌気性細菌の実験すべてを無酸素環境下で継続的に行うなんてことも、難しいことではないはずです。ですが、北里やコッホの時代はまだ夜明け前。危険な作業を強いられる劣悪な実験環境での偉業には頭が下がります。

 えっ? 無酸素環境下で溶封はどうするかって? だから酸素も使えるって言ってるじゃないですか。酸素バーナーがあるんですから。あれっ? 今ならブラスチック製容器が主流なくらいだから、こう、もっと低温のやつで安全に封じることもできますかね。

 うむ? 何か水素充填容器の溶封操作手順に手抜かりがあるような気がするが? ま、いっか。実際にやるわけじゃあるまいし。

続く

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*1) 実際、窒素や酸素と超純水とどれが高いことやら。使い方からして、室温大気圧での体積当たりの価格で比較するのが妥当でしょうけど。

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Ref-1) 「英雄たちの選択」リスト
Ref-2) 1-a) Paul de Kruif(ポール・ド・クライフ)の "Microbe Hunters"(1926)。日本語訳は以下。
  ポール・ド・クライフ ;秋元寿恵夫(訳)『微生物の狩人 上 (岩波文庫 青 928-1)』岩波書店 (1980/11/16)
  ポール・ド・クライフ ;秋元寿恵夫(訳)『微生物の狩人 下 (岩波文庫 青 928-2)』岩波書店 (1980/12/16)
Ref-3) 国立感染症研究所「破傷風とは」
Ref-4) 企業広告「医療の挑戦者たち」
 Ref-4a) 破傷風菌の純粋培養。世の中は、けっして行き詰まらぬ。
 Ref-4b) 血清療法の確立。救いたい命がある。救える方法は、まだない。
 Ref-4c) 「命の杖」
 Ref-4d) 「熱と誠」から、「ドイツに多く集中した日本の医学留学生」。
Ref-5) デジタルパンフレット。学校法人北里研究所北里柴三郎記念博物館の公式サイトです。
Ref-6) 上山明博『北里柴三郎: 感染症と闘いつづけた男』青土社 (2021/09/15)
  参考:「北里柴三郎の「医道論」に学べ──令和日本の新型コロナ対策に足りないもの」(2021/12/26)
Ref-7) 海堂尊『奏鳴曲 北里と鷗外』文藝春秋(2024/07/09)
  参考:本の話「海堂 尊インタビュー」(2024/07/12)
Ref-8) 認定化学遺産第040号「日本の酸素工業の発祥と発展を示す資料」
Ref-9) ガスの科学・目次
 Ref-9a) 1章 ガスビジネス>1-4 空気分離>(3)深冷空気分離>②深冷空気分離の歴史

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