英語圏では一般的に日記はダイアリーといわれ、それがより文学的な場合にジャーナルと呼称される、と研究社の新英和辞典にある。要するに没後、他人に読まれることを前提として書かれるか否かにより、そのクオリティと内容に差がでるようだ。
さて、過去の作家の場合、他人に読まれることを想定せず本音が書かれたものは、人生のある時点で全文焼却処分されるか、不都合のある頁が廃棄されるのがほとんどという中、面白いのは、没するまで毎日休まず書かれた永井荷風の日記で、生涯ほとんどを独身で過ごした彼は、女性関係についても女房子供に隠すべきことはなく、興味深い描写がある反面、戦中の極端な反体制的記述は胡粉(ごふん)で徹底的に判読不能なまで塗りつぶした —— 彼は、毛筆書きで自ら和本綴じにしていた。
人それぞれ立場により、他人に見られてはならない部分が異なるから、境遇の違う人の日記は面白い。