古い新聞記事を漁っていたら、2007年の朝日新聞12月2日(土)朝刊の「逸品! お取り寄せ」欄に山梨県勝沼町の中央葡萄酒株式会社が『県北明野村に新しいワイナリーを開き、昨秋に初めて仕込んだワインが飲み頃になった』という記事を見つけた。
勝沼町等々力交差点の中央葡萄酒旧醸造所(旧本社)の夏の午後の風景を思い出すと、つねになつかしさがこみ上げてくる。
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葡萄畑は日当たりの良い丘陵地に作られる。丘陵地の地形の特徴として、断層面が地表に露出していることが比較的多い。断層は、ある一線を境に突然地質が変わるから、高品質の葡萄を収穫できる畑の、細い農道一本隔てた隣の畑では、その品質が格段に落ちるなどという話はよく聞く。
くだんの中央葡萄酒の所有する畑は勝沼でも特別良い土壌であるといわれている所で、余談になるが、やはりこの醸造所のワインが他とは違うことに早くから気付いていた作家・山本周五郎が、ここの『マディラタイプ・ワイン』の愛飲者だった話は、知る人ぞ知る話である。
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以前、山梨県に用事がある度に勝沼の中央葡萄酒でワインを買った。
葡萄収穫前の週日の昼過ぎなどに行くと、醸造家一家は皆、社員と一緒に畑に出ていて、販売所を兼ねた本社事務所には-----と言っても、古い大きな木造農家の母屋の土間の一隅である-----今は、もう亡くなってしまった、おばあさん(現社長の母堂)が一人で留守番をされていることが多かった。
おばあさんに葡萄酒の代金を支払おうとすると、
「値段がいくらだったか憶えてないんで、お客さんの方が(単価を)良く知ってらっしゃるようだから、ご自分で計算なさって、お金を置いていって下さい」という商いが繰り返された。
さて、そんなおばあさんが事務所の鴨居に掲げてある何枚かの賞状のうちの一枚を指差し、何度か同じ話をされた事がある。
その欧文筆記体で書かれた日本では珍しい縦長の書面は、当時の駐日フランス大使が書いたということであった。
東京オリンピックが開催される2年前の1962年、遠洋訓練航海中のフランス海軍練習巡洋艦『ジャンヌ・ダルク』が日本に親善寄港した際、ここ中央葡萄酒の商標グレイスワインを単独指名し、購入。書面は、その時の指定認定書であるという。
ワインの本場・フランスの海軍に、日本の自分の畑から生まれた葡萄酒を納入する事が、このおばあさんにとって、どれほど誇らしい事であったか。
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サントリーやメルシャンなど、勝沼に多数の契約農家の畑を持つナショナル・ブランドを除けば、『中央葡萄酒』は勝沼の醸造家の中では出世頭であろう。しかし、昔を知っている者にとっては、今はあまりにも現代的で立派なワイナリーに成長してしまい、おばあさんが元気でいらっしゃった頃のような-----フランス風に言うならば-----《シャトー元詰(独立生産者醸造所内直詰)》の看板を掲げるにふさわしい鄙びた雰囲気が失われてしまったのは残念である。
かつて、僕が好んだグレイスワインの上級シリーズ《メダイユ・ドール(金メダル)》は、もうすでになく、今は、さらに上級のシリーズと置き換えられてしまった。
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"The Days of Wine and Roses" Bill Evans Trio
『酒とバラの日々』 ビル・エヴァンス・トリオ
ビル・エヴァンス、51才での肝硬変による急逝ひと月前のライヴ(1980)より
FINIS
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