きみの靴の中の砂

夏の月いま上がりたるばかりかな





 人それぞれに文章を書く楽しみ方があるが、ぼくは、表現力が損なわれないのなら、なるべく短い文章・言葉、少ない文字数で表現する、そんなところに面白味を感じて書いている。それなら定型詩がよかろうと言ってくれる友がいるが、やはりそれを散文でやるところにこだわりがあるし、それがまた楽しい。

 ところで、いまはもう廃刊になって久しいが、フランスの前衛小説作家達の機関誌とも言われた『テル・ケル』。寄稿作家のうち誰が書いていたかは忘れてしまったが ------ ル・クレジオだったかもしれない ------ 『現代小説を読むということは、作家の創作過程における思考の流れを読者が追体験することにある』のようなことを書いていた。

 夏の月いま上がりたるばかりかな 万太郎

 例えば、この句を読者が理解しようとするとき、夏の月が何時に上がるかを知る必要がある。仮にお盆のお中日を例にとれば、月の出は、およそ21時20分頃。意外と遅い時間である。太陽と入れ替わりに月が出るのは、精々七月の末日頃までだから、万太郎の句には『もう、とっくに上がったとばかり思っていた月が、こんな時間になって、やっと出てきたのかぁ』という感慨を伴う。

 盛夏の頃の月は何時頃に上るかという知識が読者にないと、作家は長々と夏の月の出についてのウンチクを語る必要を生じ、言葉を省略するのが難しくなる。




【The Ventures - Blue Moon】

 

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