吉田健一の短編『辰三の場合』の冒頭に次のような部分がある ------ 小説の書き出しとしては、はなはだ掟破りでアナーキーだが。
小説というものは妙なもので、空で小説を書くことを考えていれば、言葉が幾らでも頭に浮かんで来て繋がる。
丹念にノートなどを取ってから仕事に掛かったところで、ノートはノート、それを使って始めたつもりの仕事はまた別なもので、言葉に弾みが付いてノートに書いてあるのとは反対のことが出て来ても、それでは話が違うからというので引っ込めるのも惜しい気がすることがある。ノートを取っている時は、そう何にでも眼が配れる訳ではないので、それが出来る位なら、そんなことをしなくても書ける。つまり、どっちにしても、ノートなどというものは当てにならなくて、話が頭の中で決まっていても、いなくても、書き出せばその通りに行かなくなる。言葉に弾みが付くというのは、漸く何か感じが出て来たことで、そうすると人物の方も勝手に動き始めるだろうし、それが小説家、あるいは小説家は違うならば、小説の読者の念願である以上、小説家も人物の勝手にさせて置く他ない。それ故に益々ただ書いて見るだけのことなのである。
吉田特有の、いつもながらの不思議な文体。人が『書くという行為』の扉を叩く時の心構えとして含蓄に富む一節である。
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文章を書く者にとって短篇『辰三の場合』は、執筆に行き詰まった時の解決策指南書をも兼ねる。
【Roman Andrén - Til Another Day】
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