きみの靴の中の砂

きみ、ぼくを知ってるの?





 大学では第二外国語として独逸語を選択した。理由は、当時の読書傾向がフランスよりドイツの作家に馴染みがあったというに過ぎない。当時読み込んでいた鴎外や堀辰雄の影響が大きかったと思う。だから、ハウプトマンやリルケ、ヘッセなどの作品には思い入れが深い。
 さて、そのドイツ語履修最初の時間のことだ。それまで講師の名前など気にも留めなかったが、その時初めて、それがマツモト・ツルオという人であると知った。それは、聞いたことが有るような無いような名前だった。何度かその名を頭の中で繰り返すうち、覚えのある、ひとりの文芸批評家が記憶の端に浮かんだ。しかし、その人の経歴からして、大学で語学教師をするような人にはとても思えなかった。
 自ら経歴を語るわけでもない、その四十代の寡黙な教師に、授業が終わった後に尋ねた。
「先生は、もしかして丹羽文雄さんの『文学者』にいらした方ですか」
 一見無気力そうにも見える地味な先生の動きが止まり、眼鏡越しに見開いた目で振り返った。
「きみ、ぼくを知ってるの?」

 当時、売出し中の文芸批評家・秋山駿(既に同じ学科で『文芸批評論』という講義を持っていた)には知名度で遙かに及ばないものの、松本鶴雄は、特異な視点と論点から文芸批評を行っていた。吉村昭や瀬戸内晴美などがメンバーに名を連ねた丹羽文雄主催の同人誌『文学者』の執筆者の一人として、ぼくは、その名を記憶にとどめていたのだった。

 翌週の講義終了後、帰りかけたぼくを先生が呼び止め、
「きみに、これをあげよう」と言って、一冊の本をぼくに手渡してくれた。それは、先生の当時の最新作『背理と狂気 : 現代作家の宿命』であった。ぼくは有難く押し頂いた。
 多くの生徒がただの語学教師としてしか知らない中で、文芸批評家・松本鶴雄の文業を知って声を掛けた新入生に、先生が褒美を取らせてくれたのだと思った。

 調べたところ、ぼくが人生で最初に話をした生身の文学者・松本鶴雄は2016年に84歳で亡くなられていた。満足のいく文業を為されたことと信じている。




【We Five - You Were On My Mind】

 

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