きみの靴の中の砂

四百年の昔から届いたクリスマス・プレゼント





 水口イチ子の仙台に住む祖母の喜寿祝いがあって、イチ子は一週間ほど宮城へ行っていた。五年振りの杜の都とかで、従姉達がなかなか帰してくれなくて往生したという。

 今日、クリスマス・イヴの午後、イチ子は帰ってきた。

 夕方からふたりで近隣百貨店の総菜売場に行って、どうにかクリスマスらしい食材をいくつか調達してきた。
 ツリーは、ぼくが描いたイラスト。絵に描いた餅というのは聞いたことがあるが、絵に描いたツリーは記憶にない。
 ケーキ売場ではシュトーレンが売り切れていて、代わりに買ったチョコレート・ケーキをデザートに、神輿会の忘年会でもらってきた残りもののオールド・パーをふたりで飲んだ。

 いい気持ちに酔った頃、イチ子が祖母から聞いたという『事実は小説より奇なり』のストーリーを聞かせてくれた。

                              

「長崎の遣欧少年使節は殉教もあって殊更有名だけど、それより三十年程後に仙台・伊達藩が、石巻から出帆させた慶長遣欧使節というのがあるのよ ----- 十五世紀の初め ----- 今から四百年位前の話ね。藩士三十人と船乗り合わせて百八十人ほどの航海。太平洋を渡ってメキシコに上陸、陸路大西洋まで行き、そこからスペイン艦隊の軍艦に乗せてもらってキューバ経由でジブラルタル海峡付近に上陸したみたい。そこで藩士半分を残し、お偉方半分でローマを目指してローマ法王に拝謁。数ヶ月後、お偉方達が戻ってきたとき、さて、すぐに帰途に着いたかというと、理由はわからないんだけど、そこで二、三年待機状態になったらしいの。そうこうするうち帰国の準備も整い、いざ乗船する段階になって、どうやら四、五人、残留を望んだ人達がいるんですって。恋人ができたり、病気で航海に耐えられなかったりといろんな事情があったとは思うんだけど...。
 その日本に帰って来なかった人達の中に、どうやら祖母の先祖がいるらしいの。そんなことから話がだんだん面白くなってきて、続きを調べてみたら、彼等が逗留した町の周辺にハポン姓の人達が今では六、七百人いるっていうことなのよ」
「ハポンって日本ってことだよね」と確認すると、
「そう。日本っていう苗字なのよ。スペイン人にも興味を持った研究者がいて、調べてみると、残留した人達以前の時代の出生証明書、婚姻証明書、死亡証明書、いずれにもハポン姓は存在しないんだって。不思議な話でしょ。しかも、その辺りは昔から長粒種のお米を栽培していた地域らしく ----- まあ、お隣のバレンシア県の郷土料理がパエリアだからもっともな話なんだけど ----- ハポン姓の栽培農家では、今でもナエドコから作ってるんですって」
「ナエドコって、あの苗床?」
「そう、その苗床」
「日本式農法なんだね?」
「そう。『スペイン・ハポン協会』というのがあって、ホームページに沢山の写真があるわよ。見てみる?」と言うと、イチ子は、食卓にブック・コンピュータを持ってきてスウィッチを入れた。
「きみ、スペイン語もできたっけ?」とぼく。
「英語ページもあるの、ほらっ。あらっ、速報ニュースがアップされてるわ」
「なんて書いてある?」
「えーと、クリスマス・イヴに協会員の家族に男の赤ちゃんが生まれたということなんだけど、どうやらそれが速報理由ではなくて、七年振りにお尻に可愛い蒙古斑がある赤ちゃんが生まれたということのようよ」
「四百年後の子孫の赤ちゃんだから混血も進んで、顔立ちだって白人のはずなのに、今でも蒙古斑のある赤ちゃんが生まれるの!?」
「そりゃあ頻度は下がったでしょうけど、今でも希にあるみたい。ハポン姓の人達のルーツを示してるっていうわけね」
「ハポン協会の人達にとっては、出自を自覚する貴重な出来事なんだね」
「そうね、それが今日っていうことは、四百年の昔から届いたクリスマス・プレゼントかも知れないわね」
「まったくだ。お金では用意できないプレゼントって、あるもんなんだな」

 日本とスペインの時差は八時間。スペインは、今頃やっとイヴの正午。蒙古斑の赤ちゃんの楽しいクリスマスは、まだまだ続きそう...。




Chris Rea / Driving Home For Christmas


 

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