6月15日発表の2010年版科学技術白書について思うところあり。
「まじですかい?」
報道各社の記事によれば、白書の内容は概ね以下のようにまとめられる。
*現在の問題 → 日本の科学技術の競争力低下
*今後の大きな目標 → 新しい価値を創造できる人材育成を急ぐ / そのためにさらなる博士の増産
*ハードル → 研究費の政府負担比率が小さい / 博士の就職難
*対策 → 博士号取得者の社会での幅広い活用を支援
*希望的観測 → 企業における採用率のアップ / 研究に限らない道の開拓(新聞記者や高校教師など) / 博士の知を共有できる社会の実現
科学技術白書なんで「文系博士」に全く触れられていないのはまあいいとして、これまで推し進めてきた「大学院重点化」の総括もほとんどなされていないように見えるのは、一体どういうことなのか?
表面的には「博士の就職難」といった現象を採り上げてはいる。だが、なぜそういうことが起こったのか、どこに問題の本質があったのか、政策で増やしたはずの博士が十万人余りも職に就けず社会から姿を消そうとしているのはなぜなのか、それなのになぜ今また博士を増産しようとするのか、そして現在どれほどの非正規雇用状態にある博士が存在するのか。こういったことに触れず、科学技術の競争力低下を防ぐため「博士人材の育成が急務」と言われても、「すでに余りに余ってるんですけど・・」。
そもそも我が国の科学技術環境の底上げを謳って、政策として博士を増産してきたはずですよね?、この二〇年近く。 なのになぜ「日本の科学技術の競争力低下」が起こっているのか? よく「量が増えたから質が低下した」―私はこれを支持しない立場だが―などの発言も聞かれるが、「さらに増やすべし」というなら、どう答えるつもりなのか。
また、多大な税金を投入して作り上げた博士たちは、これまで国のどこにも配置されず、そのほとんどが非正規雇用に甘んじているが、博士のより一層の増産はこれをさらに悪化させるだけではないのか。
そもそも質の低下や科学技術の競争力低下は本当なのか?言い切れるほど根拠は十分なのか? 原発や水資源開発、超高速鉄道などの我が国がNo.1とされている技術について、耳にする機会は少なくないが・・。
思うに、現在の〝本当の〟問題は、政策で作った博士を有効活用する「制度」ができていないことにあるのではないか。企業の採用枠増に期待するとは、約二〇年前から唱えられている台詞だが、現在に至るまでほとんど実現していない。企業は、初任給が上がり(人件費)コストに響く大学院修了者なぞお呼びでないのだから。
大学においても、未だに四〇代以上の教員は終身雇用で守られ、リストラはまずない。しかも、定年は平均65歳とやたら長い。少子化で定員割れ大学が増えるなか、ポストは少なくなるばかり。しわ寄せは、20代・30代の博士たちにいく。
長期にわたり安定的立場で大学に残ることができる博士は若手を中心に減少の一途をたどっている。
博士号を取得し数年経ち、油がのってきて、研究者人生で最も質の高い論文を書くチャンスに恵まれるはずの三〇代を、日々の生活や将来を憂う不安定な状態で過ごさねばならない博士たちが圧倒的に多いのだ。加えて、彼らは専任教員に採用されなかった人たちが、非正規雇用の半永久ループや、高齢ポスドクになり切り捨てされる姿など、非人間的な扱いを受けるのを繰り返し目にする。たとえどんなに優秀な人材であっても気力が萎えていくのではなかろうか?
もし、我が国の科学技術の競争力が低下しているというなら、それは雇用問題に端を発している可能性にこそ目を向けるべきだろう。正規雇用され安定した立場にいる教員の多くは四〇代以上と言われる。超一流の研究成果を国が求めていることを考えると、その芽を育てる(あるいは実現する)最も重要な時期にある三〇代以下の研究者(正規雇用)があまりに少ない今の状況はいささか不安ではなかろうか。研究能力のピークを迎えようとする世代を、おかしな雇用環境が潰しまくっている。
「まじですかい?」
報道各社の記事によれば、白書の内容は概ね以下のようにまとめられる。
*現在の問題 → 日本の科学技術の競争力低下
*今後の大きな目標 → 新しい価値を創造できる人材育成を急ぐ / そのためにさらなる博士の増産
*ハードル → 研究費の政府負担比率が小さい / 博士の就職難
*対策 → 博士号取得者の社会での幅広い活用を支援
*希望的観測 → 企業における採用率のアップ / 研究に限らない道の開拓(新聞記者や高校教師など) / 博士の知を共有できる社会の実現
科学技術白書なんで「文系博士」に全く触れられていないのはまあいいとして、これまで推し進めてきた「大学院重点化」の総括もほとんどなされていないように見えるのは、一体どういうことなのか?
表面的には「博士の就職難」といった現象を採り上げてはいる。だが、なぜそういうことが起こったのか、どこに問題の本質があったのか、政策で増やしたはずの博士が十万人余りも職に就けず社会から姿を消そうとしているのはなぜなのか、それなのになぜ今また博士を増産しようとするのか、そして現在どれほどの非正規雇用状態にある博士が存在するのか。こういったことに触れず、科学技術の競争力低下を防ぐため「博士人材の育成が急務」と言われても、「すでに余りに余ってるんですけど・・」。
そもそも我が国の科学技術環境の底上げを謳って、政策として博士を増産してきたはずですよね?、この二〇年近く。 なのになぜ「日本の科学技術の競争力低下」が起こっているのか? よく「量が増えたから質が低下した」―私はこれを支持しない立場だが―などの発言も聞かれるが、「さらに増やすべし」というなら、どう答えるつもりなのか。
また、多大な税金を投入して作り上げた博士たちは、これまで国のどこにも配置されず、そのほとんどが非正規雇用に甘んじているが、博士のより一層の増産はこれをさらに悪化させるだけではないのか。
そもそも質の低下や科学技術の競争力低下は本当なのか?言い切れるほど根拠は十分なのか? 原発や水資源開発、超高速鉄道などの我が国がNo.1とされている技術について、耳にする機会は少なくないが・・。
思うに、現在の〝本当の〟問題は、政策で作った博士を有効活用する「制度」ができていないことにあるのではないか。企業の採用枠増に期待するとは、約二〇年前から唱えられている台詞だが、現在に至るまでほとんど実現していない。企業は、初任給が上がり(人件費)コストに響く大学院修了者なぞお呼びでないのだから。
大学においても、未だに四〇代以上の教員は終身雇用で守られ、リストラはまずない。しかも、定年は平均65歳とやたら長い。少子化で定員割れ大学が増えるなか、ポストは少なくなるばかり。しわ寄せは、20代・30代の博士たちにいく。
長期にわたり安定的立場で大学に残ることができる博士は若手を中心に減少の一途をたどっている。
博士号を取得し数年経ち、油がのってきて、研究者人生で最も質の高い論文を書くチャンスに恵まれるはずの三〇代を、日々の生活や将来を憂う不安定な状態で過ごさねばならない博士たちが圧倒的に多いのだ。加えて、彼らは専任教員に採用されなかった人たちが、非正規雇用の半永久ループや、高齢ポスドクになり切り捨てされる姿など、非人間的な扱いを受けるのを繰り返し目にする。たとえどんなに優秀な人材であっても気力が萎えていくのではなかろうか?
もし、我が国の科学技術の競争力が低下しているというなら、それは雇用問題に端を発している可能性にこそ目を向けるべきだろう。正規雇用され安定した立場にいる教員の多くは四〇代以上と言われる。超一流の研究成果を国が求めていることを考えると、その芽を育てる(あるいは実現する)最も重要な時期にある三〇代以下の研究者(正規雇用)があまりに少ない今の状況はいささか不安ではなかろうか。研究能力のピークを迎えようとする世代を、おかしな雇用環境が潰しまくっている。