本日は! 『考古学出発の日』らしいです!
1877(明治10)年、のちに大森貝塚を発見するアメリカの動物学者 エドワード・モース博士が来日したことにちなみます。...発見した日じゃないのか。ややこしいな。
モース博士は貝を専門に研究しており、日本には腕足類という貝の研究のため来日しました。汽車で横浜から新橋へ向かう途中に貝殻が堆積しているのを発見し、その年の9月から博士主導で発掘調査が行われました。これが日本初の学術的発掘調査であり、このことから大森貝塚は「日本考古学発祥の地」とも呼ばれています。
ちなみに「貝塚」は大昔のゴミ捨て場のことなので、貝以外にも土器やら動物の骨やらがたくさん出土しています。現在、大森貝塚は大森貝塚遺跡庭園として整備されています。
現在では道路を作ったり大きな団地を作ったりするときは、だいたい発掘調査が行われます。しっかり調査して記録がとれてから工事は本格的に始まるのですが、まれに「この遺跡は実は超すごいやつだ!」ということで、工事を中止して文化財指定されたり歴史公園に整備されたりすることがあります。佐賀県の吉野ヶ里遺跡や青森県の三内丸山遺跡などがそうです。
710年に奈良に開かれた平城京は現在、平城宮跡歴史公園としてめっちゃくっちゃでっかい公園として整備されています。子どもの頃、ここへ凧揚げをしに行ってました。都が平城京であった時代は奈良時代といい、律令国家としての仕組みが完成し、天平文化が花開いた時代であります。2010年には平城遷都1300年祭が行われ、世間をある意味で騒がせた「せんとくん」が初登場しました。せんとくんは1300年祭の公式マスコットキャラクターでしたが、今では奈良県のゆるキャラになっています。

一方、794年に桓武天皇が開いた平安京は、明治に東京へ遷都されるまで実に千年以上、日本の都としてありました。そして東京へ都が移っても、大規模な人口の移動は起こりませんでした。なぜ平城京と違い、「平安京跡歴史公園」というものがないのか? それは、昔も今も人が現在進行形で住み続けているからです!!
発掘調査したり公園として整備したりなんて、とてもできません。
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