1日1枚画像を作成して投稿するつもりのブログ、改め、一日一つの雑学を報告するつもりのブログ。
本日は『絵本の日』です!
1986(昭和61)年11月30日に、「絵本論」(福音館書店)の初版が出版されたことにちなんで制定されました。
「絵本論」は、戦後初めて、日本の絵本に関する基本的な考え方を示し、その後の絵本の世界に大きな影響を与えた瀬田貞二氏の著作です。
瀬田貞二氏という方は、作家、評論家、翻訳家として有名な人で、なんとあの「ナルニア国物語」や「指輪物語」「三びきのやぎのがらがらどん」の翻訳をした人です。
マジで!?!? めっちゃすごいな!?!?
そういえば、タイトルや著者は結構記憶に残ったりしますけど(ナルニアはC.S.ルイス、指輪物語はトールキン)、翻訳者って気に留めたことなかったなあ...。
この「絵本論」の中で、瀬田貞二氏は
「子どもを静かなところにさそいこんで、ゆっくり深々と、楽しくおもしろく美しく、いくどでも聞きたくなるようなすばらしい語り手を、私たちは絵本とよびましょう。」 参照:Biblio
と述べて、絵本を定義しているそうです。
絵本と似たようなイメージで「童話」というものもありますが、絵本が絵を中心にして文章を補助の意味で使うのに対し、童話は文章を中心に挿絵を補助的に使うものとされています。
私はこれまで、童話と称して小説を書いてきました。
文章がメインなのでそれであっていたのかもしれませんが、今日この話を知って、
「在り方は絵本がいいな」
と感じました。
「絵本論」はとりあえず読むとして、どうすれば童話として絵本のあり方に近づけるか、チャレンジしてみたいと思います。
私、霧ヶ原悠の作品は下記のサイトにあるので、気になった方は覗きにきてください!
感想をいただけると、泣いて喜びます!
○唄うビブリオドール(小説家になろう様)(カクヨム様)
○影絵童話集Ⅰ(ノベリズム様)
※文章のみの公開となっています。
○影絵童話集Ⅱ(ノベリズム様)
※文章のみの公開となっています。
今日は『議会開設記念日』だそうです。
1890(明治23)年の今日、近代的な立憲主義に基づいて草案された日本初の憲法「大日本帝国憲法」が施行されました。
これを受けて、日本初の帝国議会が開かれたことを記念して制定されました。
さらに、今年2020年は議会開設130周年にあたり、今日は式典も行われているそうです。
テレビでもしょっちゅう映りますから、国会議事堂を知らないという日本人はそうそういないんじゃないかと思いますが、この国会議事堂(東京都千代田区永田町にある)は1936(昭和11)年完成の建物です。
参照はこちら
では1890年の帝国議会始まりからそれまでの間、どこで議会をしていたかといえば、現在の東京都千代田区霞ヶ関に建てられた仮の議事堂で行っていました。
遡ること明治14(1881)年、明治天皇が「明治23年に国会を開く」と宣言しました。
そこで、明治19年(1886)年には海外から技術者を呼んで建築に着手する予定でしたが、なにぶん金も時間もかかる話、帝国議会開設に間に合いません。
なのでひとまず、仮議事堂を建築することになりました。
ところが木造洋風2階建のこの仮議事堂、明治23(1890)年11月に完成したばかりだというのに、翌年1月に漏電で焼失。
明治24年(1891)年10月に焼け跡に建て直された2代目仮議事堂も、大正14(1925)年9月に業者の不始末で焼失。
なんか...ドンマイ。
3代目仮議事堂は、2代目と同じ規模の建物ながら、不眠不休の工事によって80日あまりで再建されたそうです。
すげえ! 頑張った!
そしてこの3代目仮議事堂は無事、現在の国会議事堂が完成するまで使用されました。
これぞ三度目の正直(笑)!!
ちなみに、現在の国会議事堂は手を加えられすぎて設計者が特定できず、デザインモチーフも謎なままなんだそうです。
マジですか(笑)
今日は『太平洋記念日』というそうです。
1520(永正17)年11月28日、ポルトガルの航海者フェルディナンド・マゼラン氏が、後に「マゼラン海峡」と命名される南米大陸南端の海峡を通過して、太平洋へ出る航海に成功したことにちなんで制定されました。
聞いたことはあるような気がするけど、どこかよく分かってないマゼラン海峡。
実はこんなところにあるんだそうです↓
参照:世界史サロン
え、めっっっちゃ狭っ!
ていうか、なんというかすごく、間! って感じがしますね。
そこで「海峡」を辞書を引いてみると、「両側から陸地にはさまれ,二つの海をつなぐせまい海」の意味でした。
想像と全然違ってびっくりですよ...。
航海時は天候が良く、平和な日が続いたため、マゼランはこの海を「El Mare Pacificum」と呼びました。
これは「平穏な海」という意味で、そこから「太平の海=the Pacific Ocean」と名づけられました。
この航海の途中、フィリピンでマゼランは先住民に殺害されてしまいますが、残された船の乗組員は航海を続けて出発から約3年後、世界を一周してスペインに帰ってきました。
これにより「地球は丸い」ということが証明されました。
ちなみに太平洋の広さはおよそ1億6,525万㎢で、日本が437個入るらしいです。
うん、分からん!!
今日は『組立家具の日』だそうです。
1967(昭和42)年、木製のカラーボックスが大ヒットしたことを受けて、商品を考案・命名した深谷政男氏の誕生日(1941(昭和16)年11月27日)にちなんで制定されました。
Q. カラーボックスってどんなのだっけ?
A. こんなのです↓
参照:アイリスオーヤマ
参照:ニッセン
現在では「カラーボックス」という名前はこういった収納家具の総称となりましたが、発売当時は深谷氏が務めていた株式会社クロシオの商品名だったそうです。
当時、家具のほとんどは木材を板状にしたもので作られており、しかも完成形でしか販売されていなかったので運搬がとても大変でした。
深谷氏は、百貨店でカラフルなおもちゃやプラスチック製品を見ていて、「家具にもカラフルなものがあっていいのでは?」と思いついたそうです。
そこで、色紙を薄いベニヤ板に貼って合板を作り、幾度も改良を重ねた結果、特殊加工で軽い木製三段ボックス「カラーボックス」が出来上がりました。
客が自分でドライバーで組み立てるようにすることで運送費を抑え、それによって商品も安価にでき、「カラーボックス」は大ヒットとなりました。
正直、自分で組み立てた記憶がないのでアレなんですけど、カラーボックスじゃない家具って何だ? と思いました。
学習机とかタンスとかベッド、クローゼット...????
本棚とかってイマドキ全部カラーボックス になんの????
今日は『いい風呂の日』です!
急に寒くなってきたので、お風呂が気持ちよくなってきましたよね〜。
「い(1)い(1)ふ(2)ろ(6)」の語呂合わせから、日本浴用剤工業会が制定しました。
「風呂」という言葉の語源は、諸説ありますが「室(むろ)」から派生したと言われています。
もともとは、蒸気を浴びて身体の汚れをふやかし、こすりだした後に湯で流す「蒸し風呂」が一般的でした。
この蒸気を逃がさないための狭い部屋を「室」と呼んでおり、ムロ=(蒸し風呂を指す)フロという音に変わったそうです。
ところが江戸時代に入って公衆浴場が登場し、湯に全身を浸す入浴スタイルが確立すると、徐々に蒸し風呂は姿を消していきました。
こうして、「風呂」という言葉は「湯船に全身浸かる入浴方法」を指す今の意味に変わっていきました。
「湯治」という日本語もあるように、世界でも有数の温泉大国である日本は、古くから天然の温泉を利用して病気やけがの治療を行なってきました。
同様の目的で薬用植物の利用が盛んに行われ、端午の節句の菖蒲湯や冬至の柚子湯などは慣習として残っています。
これが入浴剤の始まりだとされています。
現在のような入浴剤が初めて発売されたのは、1897(明治30)年の銭湯向けに販売されたくすり湯『浴用中将湯』だそうです。
入浴剤の基本的な効果は、そもそも入浴によって得られる温浴効果と清浄効果を促進することにあります。
参考HP:日本浴用剤工業会
入浴剤といえば、インテリアにもなるようなシャレオツなものを誕プレにもらったことがありました。
使いどころが分からなくてずっとインテリアにしてたんですけど、こないだ思い切って使ってみたら効果切れだったみたいで、思ったような泡風呂になってくれませんでした...。
まあ5年以上放置してたわけだし、そうなるかぁ(◞‸◟)トホホ