1日1枚画像を作成して投稿するつもりのブログ、改め、一日一つの雑学を報告するつもりのブログ。
本日は『愛妻の日』👩❤️💋👩です。
1をアルファベットのI(アイ)に見立て、あい(I)さ(3)い(1)の語呂合わせにちなんで、日本愛妻家協会が制定しました。
忙しかったりシャイだったりする日本人も、今日は夫から妻へ感謝や愛情を普段よりもしっかり伝えてみようと呼びかけが行われています。
この日に合わせて愛妻協会は、大声大会「キャベツ畑の中心で妻に愛を叫ぶ」や、早く帰って妻を労う「男の帰宅大作戦」などを企画しています。
どっちもハードル高そうな企画ですねえ...😅
ちなみに、この愛妻協会の名誉会長は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)だそうです。
ふーん、ん??
日本書紀によると、妻・弟橘姫(オトタチバナヒメ)が亡くなったとき、大きな声で人目もはばからず「吾が妻恋し・・・」と叫んだほどの愛妻家だから、だそうです。
ふーん、ん???
今日は同時に、愛妻感謝ひろめ隊が定めた『愛妻感謝の日』でもあります。
さらに、富山県砺波市の砺波切花研究会は、
「真実の愛を伝えるチューリップを贈ってもらいたい」
ということで、1月31日を『チューリップを贈る日』に制定しています。
チューリップのそれぞれの色の花言葉などはこちらへ。
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私、霧ヶ原悠の作品は下記のサイトにあるので、気になった方は覗きにきてください!
○唄うビブリオドール(小説家になろう様)(カクヨム様)
○「こうして英雄は魔女を討った」(カクヨム様)
○あの日あの時の、短い夢を永遠へ(小説家になろう様)
○影絵童話集Ⅰ(ノベリズム様)
※文章のみの公開となっています。
○影絵童話集Ⅱ(ノベリズム様)
※文章のみの公開となっています。
今日は『3分間電話の日』です。
1970(昭和45)年1月30日、公衆電話から市内通話の料金が3分10円に設定されたことにちなんで制定されました。
これを「3分打ち切り制」というそうです。
それまでは時間無制限で1通話10円という破格の料金設定でした。
電話機が各家庭に1台ではなく、商店や集会所に置かれたものを共有していた時代です。
物珍しさや、通話時間に応じて料金が計算される固定電話ではなく、公衆電話からの長電話があいつぎました。
その結果、「本当に必要な時に使えねえ!」とクレームが入り、制限時間が設けられるようになりました。
3分という時間は、公衆電話での市内通話の大半は、3分以内に通話が終わっていたことから決められたそうです。
初めの1分で用件を話し、次の1分で相手の話を聞き、最後の1分で話の結論をつける、という計算らしいですが、そんなうまくいったんでしょうか?
それにしても、カップラーメンとかウルトラマンとか、3分ってなんか区切りがいいんですかね。
この後はしばらく3分10円が維持されていましたが、1993(平成5)年には通話時間が90秒に値上げされます。
現在は消費税増税に伴い、午前8時〜午後11時までは10円で56秒(区域内・公衆電話から固定電話へかける場合)だそうですよ。
用件言って終わりやんΣ( ̄ロ ̄lll) ガビーン
ちなみに、公衆電話からドコモの携帯へかけた場合は10円で約15秒。
用件も言えずに終わりやんΣ( ̄ロ ̄lll) ガビーン Σ( ̄ロ ̄lll) ガビーン
災害時には無料になり、通話制御も受けないので力強い味方になりますので、ご安心を。
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○「こうして英雄は魔女を討った」(カクヨム様)
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○影絵童話集Ⅰ(ノベリズム様)
※文章のみの公開となっています。
○影絵童話集Ⅱ(ノベリズム様)
※文章のみの公開となっています。
今日は『タウン情報』の日です。
1973(昭和48)年1月29日に、日本初となるタウン情報誌「ながの情報」が発行されたことにちなんで、タウン情報全国ネットワークが記念日に制定しました。
参照:タウン情報全国ネットワーク
タウン情報誌は、地域情報誌とも呼ばれており、都市や隣接する複数の地域にスポットを当てたものを言います。
中小の出版社が発行するのが主で、読者の性別、年齢、趣向などを絞ってコンテンツを展開していたそうです。
現在は大手出版社による「じゃらん」シリーズや無料配布されるフリーペーパータイプなど、工夫を凝らした新しいものが登場しています。
その地域の名産品や観光スポットのほか、コアな情報が掲載されていることもあり、観光案内誌としての需要も増えています。
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※文章のみの公開となっています。
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今日は『コピーライターの日』です。
1956(昭和31)年1月28日に、万国著作権条約が公布され、著作権(コピーライト)を表すマークとして「©︎」が制定されました。
これと、主に広告文案作成者を指す言葉コピーライターの発音が似ていることを掛けて、記念日に定められました。
そこまできて、なぜ『コピーライトの日』じゃないのか……(^◇^;)
コピーというと、普段「これA4コピーしといて」みたいな感じで使いますよね。
この複製、複写の意味が一番に思い浮かびますが、実はそれだけではありません。
「印象に残るキャッチコピー」のように、広告媒体などでの文字伝達という意味もあります。
日本には、「コピーライターといえば糸井重里」と一部では言われるぐらい有名な人がいらっしゃいますね。
「このへんないきものは まだ日本にいるのです。たぶん。」
「生きろ。」
「トンネルのむこうは、不思議の町でした。」
糸井重里氏は、上のような映画のキャッチコピーを手掛けられました。
さて、どうして有名なのか分かりましたか?
ちなみに、義務ではありませんが無断転載を抑止するため、Webページの下の方にはだいたい©️の表記があります。
参照:DMM GAMES 刀剣乱舞-ONLINE-
「コピーライトのマーク + 著作物の発行年 + 著作権者の名前」
が、最低限必要な項目だそうです。
前に自分で作ったホームページにも入れてたけど、めっちゃ適当だった気がしてきた...。
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※文章のみの公開となっています。
○影絵童話集Ⅱ(ノベリズム様)
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今日は『国旗制定記念日』です。
1870(明治3)年1月27日、太政官布告の商船規則にて、日本国旗のデザインや規格が定められたことにちなんで制定されました。
日の丸国旗(正しくは日章旗)のデザインは、江戸幕府が日本惚船印として認めていたものを踏襲しています。
これは、源平合戦の頃にはすでに扇や旗に使われ、流行していたデザインです。
白が素直な心を、赤が日出づる国の象徴である太陽を表しています。
薩摩藩の島津斉彬が、新造船の旗印としてこの日の丸を使用したことが、対外的には初めてだと言われています。
当時は船によってまちまちの旗が掲げられていて、「どれが日本の船やねん」状態だったそうです。
それをこの規則にて、「縦:横=7:10の比率」、「日の丸位置は、旗の中心から旗ざお側に横の長さの100分の1ずれたところ」と定めました。
微妙に細けぇ……(ー ー;)
その後、1999(平成11)年8月13日に公布・施行された「国旗及び国歌に関する法律」にて以下のように改定されています。
比率:縦が2、横が3
日の丸の位置:旗の中央
日の丸の大きさ:縦の長さの5分の3
旗の色:白と紅色
ちなみにこのとき、国旗とともに国歌は「君が代」であると正式に法制化されました。
いや、めっちゃ最近やん。
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