徒然日誌(旧:1日1コラ)

1日1枚画像を作成して投稿するつもりのブログ、改め、一日一つの雑学を報告するつもりのブログ。

6/10は何の日?

2020-06-10 14:58:48 | 日記


 時の記念日だそうです。
 『日本書記』に、671年6月10日(天智10年4月25日)に時計に関する日本最古の記録があることから、1920年に制定されました。


 「漏刻を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。」という記述です。「水時計を作って計測し、太鼓によって時刻を知らせます」という感じの意味らしいです。漏刻とは、階段上にいくつか容器を置いて水を上から下へ流し、目盛りや矢の浮き沈みで時を測る水時計の一種です。天智天皇ゆかりの近江神宮(天智天皇が政治を執り行ったのは近江大津宮なので)では、毎年6月10日に「漏刻祭」が行われています。

 その後の時、時計の変遷がどうなっているのか調べてみたのですが、なぜか一気に江戸時代まで話が飛ぶんですよね。
 一応、漏刻の時代は一昼夜を12等分する方法が取られていた...みたいです。2時間を一刻として順に十二支を配する方法で、今で言う23時から1時(0時から2時とする説もある)』を子の刻(ねのこく)というふうに呼びました。それがいつまで続いたかはよく分かりませんでした。平安...室町...うーん。
 さて江戸時代ですが、一日を夜明けと日暮れを基準にして昼と夜に分けてそれぞれ6等分し、その長さを一刻(いっとき)と呼んでいました。なので数自体は上と変わらないのですが、昼と夜で一刻の長さは変わり、季節でも変わるという複雑な時刻制度でした。これを正確に民衆に伝え、規則正しい生活ができるようにするために「時の鐘」という時報システムがありました。

 太陽と共に起きて働き、日没と共に眠りにつく生活を送っていた当時の日本人はこれでよかったのですが、開国して明治に入ると世界基準に合わせる必要があります。
 1873年に現在の太陽暦と1日24時間の定時法が採用され、西洋式の時計も作られるようになりました。『時の記念日』を制定したのも、「時間をきちんと守り、欧米のように生活の改善・合理化を図ろう」と呼びかけるためであったといいます。


 秒刻みの正確な電波時計と一緒に生活してる身からすると、ゆるそうでいいなあと思いますよね。


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