風の強い朝です
街まで出かけましたが半島の北側は白波が立っていました
雪にも負けず元気に咲いてくれました
人生80余年の中で生まれたときからこの世を終えるまで
世界中には戦いの中で生きている人がいかに多いか思い知らされています。
ウクライナも西側諸国と東のロシアの狭間にあって
苦難の歴史を経てきている。
又もや平穏な日常を切り裂くようにかの国からの侵略に
積み上げてきた人生を武力を持って砕かれて 戦争とはこういう物なのか。
大国が小国を力ずくで攻め入って 統治下に置くことがまかり通るのか
どこに正義が有るのか分からない。
連日の報道をなるべく見ないようにしている物の
苦しんでいる人を放っておけない 一人の力の弱いことも知っている。
ウクライナ国歌をブログで聴いた。
侵略の歴史に苦しんできた過去から立ち上がろうとする力強さを感じた
老人が息子達に平和が訪れるならば自身の身を捧げるとまで言わしめた。
それ程侵略の歴史耐え勝ち得た自由を失いたくなかったのだと
国歌を聴いて思ったのです。
未だに近隣諸国ではかの国の侵略に怯えている国の多いことに驚かされています。
昔平和ボケしていると日本人を揶揄していたが
だからと言って憲法9条を変えては成らないと思うのです。
多民族の大陸の国々には
昔から争いが絶えず
単一民族で平和な日本には
今の戦争の意味の理解に苦しみます。憎しみには憎しみでしか返せないことだけはわかります。
どうしたらわかり合えるのでしょうか
人の上に人を作って人の下に人を作って
優越感を感じているのでしょうか。
独裁者の意のままに出来る民衆を作り上げ専制主義国家にアグラをかいて人々の苦しみを封印し
意に沿わぬと粛正を繰り返し恐怖政治で物言えぬ国民を作り上げています。
抑圧された中では人々の明るい発想は生まれないのでしょう。
憎しみの連鎖を断ち切らねば成らないのですがね。
クリミア戦争には、あのトルストイもナイチンゲールも行っていますね。
トルストイは伯爵の息子だったせいか、将校としてクリミア戦争に行っています。
もっとも、当時はオスマン帝国との戦いで今とは背景が違いますが。
読書好きなガーベラさんは読んでいるかもしれませんが、辺見庸の「1937」などを読むと侵略した旧日本軍の残虐行為に慄然とします。
「三人寄れば文殊の知恵」と言いますが、「三人寄れば派閥ができる」とも言います。
私も憲法9条を変えるのは反対です。
核を威嚇の手段として保有する国が現れるのが不安です。
日本軍が大陸で犯した行為は人間のなせる業ではなく
その様な状況下に置かれたとき人間は変われる物なのでしょうか
戦時下の特攻も凄まじかったようで多喜二の「蟹工船」も胸が締め付けられる思いで読みました。
当時の抑圧された人々の代弁者として書き遺し当の本人も拷問による壮絶な最期でしたが時代を知る手掛かりの一つになっているのかと思います。
戦争は憎悪と悲しみを生むばかりで生産性が何も有りません。
早くウクライナに静かな暮らしが訪れることを願うばかりです。
ソ連邦が解体した時、エストニア国旗を揚げ、国歌を歌いながら泣いている数人の女性の映像を見たことがあります。
これまでどれほどの人達が泣き怒り、胸を掻きむしる思いをして来たことか…それでも人は変わらないのですね。
毎日、毎日流されるニュースを見ていられない、目をつぶる、でもやはり見なければとも思うのですが、日々の自分の暮らしは平らかにあって欲しいし…もしも今のこの辛さが終わったとしても、また…なのでしょうか。
いったい何が欲しいのか…自分の国を自分の国だと言っているだけなのに…辛く不思議な思いでいます。
不満の多い質ではありますが「自分が」と言っていられることの有難さを感じています。
ウクライナの少年少女が笑いこけている様子を早く見たいと願います。
毎日暗いニュースに胸が痛みます。
世の中が戦いの場に変わっていくのではないかと恐れています。
此れでもかと言うほど強力な兵器が投入されて安穏と暮らしている者に取って驚きです。
科学者は兵器を作るために科学者になったのでは無いはずで人殺しの道具にされたことに心が痛んでいると思いたいのです。
兵器が無い医薬品も無い 無い無い尽くしのウクライナ兵の無念さ士気の高さだけでは悲しいかな限界が見えているようです。
戦争に乗じて悪の手が子供達を待ち構えていることも辛いです。
情報統制によって自国民を押さえ込んでも憎しみを受けたウクライナの人々の心までも押さえ込むことは出来ないでしょう 人々は普通の暮らしがしたいだけなのに。
季節の移ろいを感じながら暑い寒いといっておられる身が幸せです。
海の照り返しもキツくなりましたので醜い顔が醜くならないために日焼け止め対策です 炎天下暑くなりましたよー。