
夜が明ける前に起きて

昨日今日と氷で締めた大鰺を市場に出荷
何か食べたいもの有る?と聞くと決まってステーキと応える。
何時もの問答と思いきや「ちらし寿司も良いね」そう言えばここ暫く作っていなかった。
55年4月と書かれた寿司桶が手元にある。
母が亡くなり荷物を全て処分する時に真新しい寿司桶を見つけた。
帰省すると決まってちらし寿司を作って待っていた 私一人の為に寿司桶を一杯にして。
「こんなに沢山誰が食べるの?」って母を困らせて
そんなことがあってちらし寿司が好きではなくなった。
息子が生まれ大人数で訪ねた時に母は一回り大きな寿司桶を新調していた。
足らないのが嫌な性分の母は何時も多めに作る。
捨てられなかった母の寿司桶 今では我が家の定位置を得てあれから40数年使い続けている。
寿司桶を出すたびに母が思い出され 何時しか多めにちらし寿司を作っている私がいる。
美味しいねって。
ガーベラ様がお作りになられますちらし寿司は「美味しいねって。」↑
ご家族の笑顔が思い浮かんでまいります。
何時になっても母の思い出は懐かしいですね。
「大鰺を市場に出荷・・・」↑ お疲れ様でございました。
ガーベラ様の充実された日常を思い浮かべて居ります。
やっぱり母と同じことをしています。
お母さまもきっと喜んでいらっしゃることでしょう。
皆さん早く回復なされるといいですね。
朝方に目覚めると、私も母のようにしてる自分を独り笑います
寿司桶は
新聞紙で包んで紐掛けしてましたが、屋根の低い倉庫では高温になりバラケていました 適当に使えば良かったのが狭いキッチンの流しでは洗い辛く、タッパーになってました母の存命中に処分しました
簡単ちらし寿司や酢を使わない「おもぶり」モノの無い時代の生活の知恵でもありました
私は3合弱で散らし寿司もやります 鯛のお頭198円の鯛めしも 笑い
反抗ばかりしていた子供でした。
母の縫ってくれた七五三の着物 手放せずにおります。
気丈な母の背中が小さくなって 何時も有り難うを言っていた母に親孝行らしき事が出来ずに後悔しながら涙しております。
ちらし寿司を作るたびに母を思います。
何時も義母を立て母は後回しにして 其れが平穏と言わしめる人です。
愛情を一杯掛けてくれましたなのに反抗ばかりして。
親から与えて貰った愛情の順送りをしようと思っています。
沢山作って残ると持たせてくれてぼた餅も作ってくれましたね。
私も釣志さんと同じで母親がしてくれたように子や孫達にしております
親子似てくるのかしらと笑えてきます。
息子家族が来ますと7合のお米を炊き残れば持ち帰って貰います。
ちらし寿司の好きな家族ですので。
生活の知恵を色々学ばせて頂いております有り難うございました。
暑さで食べたい物もあまり思い付かず、毎日困ったものです(^^)
…が、立派な鯵のお写真を見て「美味しそ〜う!」って、思えました\(^o^)/
新鮮な物ってそれだけでご馳走ですよね。
いつもお気遣いありがとうございますm(_ _)m
午前中から35度近くにTVで当地の名前が流れていました。
39.9度が想像つきません。
菜園の水遣りもそこそこに引きこもり生活をしていますよ。
一人なら食事もやり過ごすのですがそうもいきません。
干上がらないように土用の丑の日だといって既に我が家は3回土用の丑の日がやって来ました。
其れにしても何とかならない物かしら
一日も早く笑顔が見られますように・・・
こんなに綺麗にきらきら光るお魚✨を見たのは
久しぶりかもしれません。
ガーベラさんのお母様のちらし寿司の思い出のお話は、
うまく書けませんがとてもせつないけれど、
やはり素敵なお話だと思いました🌼lily
額に飾られた母の国防婦人会会長の賞状に違和感を覚えた小学高学年の頃
特攻隊の話をしながら涙していた母に
戦争反対を何故しなかったのかと食ってかかり
今にして思えば無理な話だったと理解できますが反発して困らせていました。
どの様な気持ちだったのか知る由もありませんが辛い時代の青春だったのでしょう。
最期まで新聞を読んでいましたが英語を知らない母は新聞を読んでいて横文字が分からないのが辛いと私に。
其れでもイギリス国歌を教えてくれましたが何処でと。
遠慮しいの母でしたが私は息子達にどんな母なのかと思うときがあります。
lilyさんのホンワカしたブログ大好きです。