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★花火2万発★スカイツリーと初共演

2012年07月29日 | ★東京スカイツリー★
東京の隅田川では、毎年恒例の隅田川花火大会が開催され、およそ2万発もの花火が東京の夜空を彩り、ライトアップされた東京スカイツリーと初の共演となりました。

東京の隅田川で開催された第35回隅田川花火大会は、好天にも恵まれ、予定通り午後7時すぎから始まりました。主催者によりますと、見物客はおよそ95万人で、東京の夜空を彩ったおよそ2万発の花火は、ライトアップされた東京スカイツリーと初の共演となりました。






















隅田川花火大会は、隅田川沿い(浅草、向島周辺)の河川敷において毎年7月最終土曜日に行われる花火大会である。毎年8月に開催される東京湾大華火祭や神宮外苑花火大会とともに東京三大花火大会の一つに数えられる。

この大会は、1732年に発生した大飢饉とコレラの死者を弔うため、1733年7月9日(享保18年5月28日)旧暦、両国の川開きに花火を催したのが始まりとされる。この当時は20発前後の花火で、かなりのんびりとしたものであった。打ち上げは最初期は鍵屋が担当したが、1810年に鍵屋の分家の玉屋(創業者は玉屋清吉、のちの玉屋市兵衛)が創業し、2業者体制となり、双方が腕を競いあっていた。

鍵屋と玉屋は異なる打ち揚げ場所から交互に花火を揚げたため、観客は双方の花火が上がったところで、よいと感じた業者の名を呼んだ。これが、花火見物でおなじみの「たまやー」「かぎやー」の掛け声の由来といわれる。当時評判がよかったのは玉屋のほうで、「玉やだと又またぬかすわと鍵や云ひ」と川柳にあるように、玉屋の掛け声ばかりで鍵屋の名を呼ぶものがいない、といわれた時代もある。

ただし、玉屋は1843年に火災を起こし、江戸処払いを命じられ、一代限りで断絶した。ただし、その後も江戸のすぐ近くで細々と営業していたという説もある。

両国川開きの花火は、明治維新や第二次世界大戦などにより数度中断した。1961年から1977年まで、交通事情の悪化等により中断するが、1978年に現在の名称として復活し、以後毎年続けられている。

毎年100万人近い人出が見込まれるこの大会は、桜橋下流から言問橋上流までの第1会場と、駒形橋下流から厩橋上流の第2会場合計で2万発以上の花火が打ち上がり、同時に、花火コンクールが行われる。

なお、3年に一度、7月に参議院議員選挙が行われるため、開催日が選挙期間中になる場合もあり、その年、開催日(土曜日)の翌日が選挙投票日にあたる場合は当日開催のみで、当日雨天や強風の場合の順延はなし(事実上中止)となる。これは投票所が花火大会会場内にあるため、安全上の理由によるものである。

2011年は東日本大震災の影響で都内の花火大会が次々と中止を決める中、東京都副知事猪瀬直樹が8月27日に日程を変更して開催することを表明した。この影響により、浅草サンバカーニバルの開催が中止となっている。

地域への影響

本大会の花火の眺望を期待して周辺のマンションを購入する動きも見られる。2006年には、マンション分譲業者が別のマンションを建設したことにより花火が見られなくなったとして提訴したことに対する判決が出された(眺望の価値を認める一方で「いかなる場合にも法的に保護すべき利益とまではいえないこと」とした)。


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