前回から続きます。
あくまでも、私個人が思っている事ですが┅
佐藤学長のカリキュラム、コンテンツは、全て
満月(無限、愛、神)という前提から言葉を出す。
形から入る
言葉が先、心は後。
から成り立っていると思っています。
キリストの言葉にも『初めに言葉ありき。言葉は神なりき。』という言葉があります。
この言葉を、具現化しているのが、佐藤学長のコンテンツだとも言えるのではないでしょうか。
真我開発講座も、
今の自分の思いに関係なく、そう思えなくても、
ある言葉を先に言い切って進めていきます。
真我瞑想も、ひたすら言霊を心の中で唱え続けます。
真我開発講座の受講生なら、ご存じの通りです。
全ての人は神だ、満月だ、全ての出来事は吉報であるという前提から出てくる言葉を、ひたすらアウトプットし続けていく。
心では、そう思えなくても。
そうすると、その言葉の力に引っ張られて、後から真我の心が溢れてくるのです。
まさに、佐藤学長のメソッドは、全て言葉が先、心が後なのだと思います。
言葉が心を造っていると言っていいかもしれません。
全てが神である。愛である。満月である。
私たち1人ひとりにも、神なる心がある。無限なる心がある。
その前提から言葉を出していく。
その言葉が、神なる心、人を愛する心を引き出していく。
形から入るとは言うが、人を愛し、人に感謝し、人が大好きですという心こそが、そもそも究極の本音なのだ。
だからこそ、今の私にはそうとは思えなくても、愛と感謝の言葉を出していくのです。
佐藤学長の真我心経に
『人の言動は、愛を求める叫びなり。それは無限に存在するなり。』
とありますが。
それこそが、まさに佐藤学長の仰る神シーズです。
その究極の本音、相手の神シーズを満たす言葉、表情を相手に届けていく。
そうすると、相手の神シーズが満たされ、相手から、愛と感謝と喜びの表情、言葉が返ってきます。
そして、満月の反射鏡が、私と相手で反射仕合い、お互いがどんどん素晴らしくなっていく。
まとまりのない文章になってしまいましたが、
形から入る、形を先にする事の大切さを切にお伝えしたいと思った次第です。
ありがとうございました。
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