先日の神算の講演会。
正確に一言一句を再現できせんが、自分にとってずっとブログに書きたいテーマが、質疑応答されていたので、私なりにその内容を再現します。
ある受講生の方が、こういう主旨の質問をされた。
「学長と同じ世界をみるための、私の心構えとしてはどういう心構えをしたらいいのか。」
その方の質問への学長の答えが、まさに私がブログで発信したいと思っていた内容だった。
学長の答えは
「(佐藤学長がやっていること、言っていることを)1回、自分の脳を通すと違うものになってしまう。
自分の脳を通さないで、1回私の言う通りにやってみる。
自分の脳を通さないで、きれいにするために、自分ができることは、真我の実践を唱えることはすぐできること。
そうすると私と同じ光景が見れる。」
要は、「私の心構え」が要らないと仰っている。ただ、佐藤学長に言われた通りにやってみなさいと。
そして、昔、佐藤学長が、せんだみつおと二人で赤坂の街を歩いていた時の話をされた。
「せんだみつおと以前飲みに行こうと、一緒に赤坂の街を歩いた。
せんたみつおの横を歩いていたら、私の景色が変わった。
みんながワーッと寄ってくる。街全体が知り合いのようになった。
あ~有名になるとこういことが起こるんだなと。
同じ目線で見ると、同じ世界が見える。
せんだみつおと並行に歩いたら、せんだみつおが見てる世界が見えた。
それは、私が見ている景色と全然違った。」
そうすると、質問された方は
「あ~、佐藤学長の言われた通りにすればいいんですね。」と言われ、
佐藤学長は、少し申し訳なさそうに、ニコッと頭を下げられた。
「出過ぎたことを言っていたら、申し訳ないね。」と私には、聞こえた。
どこまでも人に対して謙虚で、下座の姿勢である学長の姿にも感動した。
私はこう思った。
もし、佐藤学長と同じ景色を見たいのなら、私が佐藤学長を外側から見て、「佐藤学長は凄い凄い。」と言っている立ち位置からは、佐藤学長と同じ景色は、絶対に見れない。
なぜなら佐藤学長と私の立ち位置が違うから、全く違う世界を見ていることになる。
佐藤学長と同じ世界に立って、佐藤学長と並行に歩かなければならない。
「佐藤学長を」見るのではない。
「佐藤学長が見ている景色と同じ景色を」見るのだ。
決して、良い悪いではないし、きっかけにはなるけど、佐藤学長を中心に起こる奇跡を凄い凄いといっているのは、プロ野球のイチロー選手を凄い凄いと、外野席から見ているようなものだと思う。
イチロー選手から見えている崇高な世界を、私が垣間見たければ、私が、草野球レベルでもグランドに立って、バッターボックスに立たない限りは、絶対に同じ景色は見れないと思う。
私がバッターボックスに立ったところで、イチローと同じ景色は見れないと思いますが(笑)、
佐藤学長は、佐藤学長と同じ景色が、私にも見れるんだよと仰ってくれている。
ここが、他の精神世界を唱えている人との大きな違いであり、佐藤学長の素晴らしいところだと思う。
だれもが佐藤学長が見ている景色が見れる。
そのためには、私の脳を挟まず、佐藤学長の言われた通りにやること。
真我の実践をひたすら唱えること。
1000以上ある、佐藤学長の真我のワークをやっていくこと。
そして、佐藤学長と同じく、真我の発信者として生きていくこと。
ここに尽きると思いました。
以上です。
ありがとうございました。
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