会社から最寄りのターミナル駅までの帰り道に、ふと思ったことです。
とにかく、この駅の構内は、人人人人・・・・・・ばかり。
とにかく人が縦横無尽、四方八方、斜めに人が行き交う。
人を、かき分けかき分け歩いていたら、突然立ち止まった人に、私がぶつかってしまった。
ここで、『あっ』と思った。
いつも私は,このターミナル駅の構内で立ち止まると『容赦なく人にぶつかられる、なんてひどい人たちだ。』と思っていた。
実際にそうだったし、そうずっと思っていた。何年も。
『何て都会の人たちは、冷たいんだろう。何で自分をよけてくれないんだ。ひどい人たちだ。』ぐらいに思っていた。
しかし、今日の出来事は、逆の立場の出来事だった。
自分は、決して人にぶつかろうとしたわけではないのですが、「ぶつかってしまった。」のです。
たった1秒の出来事。
もしかしたら、私は今まで何年も勘違いをして生きてきたのかもしれない、と思った。
もしかしたら、今まで私にぶつかってきた人たちも、わざとぶつかってきたのではない。ぶつかってしまったのではないかと思った。
立場が変わると、全く同じ出来事の景色が違った景色に見えると思った。
それで思い出したもう一つのこと。
私のマンションの郵便受けの前に、いつも大家の自転車が止まっている。
自転車置き場が狭く、自転車の出し入れが不自由なので、自転車をいつも奥に入れず手前に置いているのです。
それが、私の郵便受けの前に立ちはだかっているのです。
いつも邪魔だと思って腹が立っていた。
しかし、たまに、こんなことがある。
私は大きなカバンを持って自宅に戻ってくるので、私が郵便受けを開けるときに、この自転車の後ろの荷台がちょうど目の前にあるので、カバンをこの荷台に置くと、郵便物がすごく取りやすい。
邪魔なはずの自転車が、郵便を取るときに、時にはマイバッグを置ける便利な場所に変わってしまう(笑)。
自分の都合や立場の違いによって、同じ景色でも見える景色が違う。
・・・ということは、佐藤学長が仰るように、「心は自由自在」という言葉につながってくると思った。
心に実体はないので、心はどうにでもなるのだ。
ふと、そう思いました。
ありがとうございました。
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