東北本線を挟んで東側が「あすと長町」エリア、西側が旧市電通りと旧長町エリアになります。長町駅前、岩手銀行長町支店から左に曲がる角に、”笹谷道”の道標があります。ここから山形へ向かう笹谷街道の起点です。※グーグルマップでは、二口街道と標記されています。
笹谷街道は、一方通行路ですが、仙台では希少な銭湯、伝統ある餅屋、酒店、魚屋、神社仏閣が鎮座し、旧街道沿いの雰囲気を醸し出します。またこの通りの南側には、昭和のにおいがする飲食街が集中しています。
通りから1本路地に入ると、蛸薬師如来堂と舞台八幡神社がありました。恥ずかしながら参拝するは初めてです。
隣どおし、整然と鎮座されています。
「蛸薬師」は創建は不詳ですが、昔この一帯は海で、ご本尊は蛸が薬師瑠璃光如来像に付着して漂着したものと言い伝えられています。以来この像は「蛸薬師」と呼ばれています。
舞台八幡神社の縁起は、天喜4年(1057)にさかのぼります。陸奥国で乱が起こり、その鎮圧のため源頼義が勅命を受け、河内国平岡(枚岡、現在の東大阪市内)の平岡八幡宮を勧請し、名取郡舞台の地に八幡大神を奉斎したのが始まりとされています。明治初頭に、二度焼失した八幡宮は、明治23年(1888)長町西浦の蛸薬師堂境内に再建されました。舞台八幡神社は、舞台成功の祈願成就に御利益があるといわれています。
街道にもどり、「郡山餅屋」にお邪魔しました。創業百三十年(明治二十年創業)ということで、歴史を感じさせる佇まいです。午後だったせいか、残りは、大福餅2つだけ、後にきた老夫婦に譲ることにし、名物の草餅、大福、おこわ、ずんだなど日を改めて買うことにしました、残念。
こちらの酒店も創業は、昭和十年代です。
長町小学校の門前に
辻標79番「笹谷街道(ささやかいどう)/長町(ながまち)」があります。
長町は、仙台城下から江戸に向かう最初の宿駅。奥州街道を開き仙台城下に入る南の入り口でした。宮沢渡戸(宮沢橋)使っていましたが、のちに長町渡戸(長町橋、現在の広瀬橋)ができました。戦後は、物資の集積地としてにぎわいました。
街灯には、我が町の歴史を誇るように、”笹谷街道”の表示版が国道286号の接続点まで、設置されています。
東北本線東側の「あすと長町」の発展とは真逆で、取り残された感もありますが、歴史の厚みを大事にしたいですね。
参考資料
「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課
「仙台城下の町名由来と町割」 著者 古田義弘 発行所 本の森