ダルヴァザのように地表にある地質学的な「地獄の門」ではなく、地球上の為政者、あるいは政府が国民の憤怒の感情を制御できないほどの陰惨な虐殺の歴史を繰り返し、長い間国民にその事実を隠してきた国家がある。
自由主義陣営とされてきた韓国内で、成立当初から(表向き共産主義とされる)北朝鮮による工作(スパイ活動)によって、敵味方の区別のつかないほどの疑心暗鬼にみちたカオスに近い状態で、朝鮮戦争当初など、政府による自国民虐殺事件の数々が起きている。
70年代以降の「漢字教育の廃止」で、日韓併合時代のことも、朝鮮戦争当時の新聞なども漢字交じりの文章を読める人々が少なくなってしまい、一般の韓国人は自国の歴史を正しく知る機会を奪われているが、何故過去史に「蓋」をしなければならなかったのか。
■「共産主義者スパイ」の影に怯え続けた韓国の歴史
韓国の西江(ソガン)大学校法科大学院教授で「刑法における歴史認識と過去清算」という本の著者の、李昊重(イ・ホジュン )という人物の論文に、以下のような文章がある。
「1970年代と80年代,マスメディアで数多くのスパイ事件が報道された。 選挙の直前の時期,また民衆の抵抗によって独裁政権が政治的危機に陥った時,間違いなくスパイ(団)事件がマスメディアに登場した。」
「韓国が北朝鮮と対峙していた冷戦時代において,スパイ事件の持つ政治的・イデオロギー的威力は大きかった。」
「しかし,2005年の真実和解のための過去整理基本法に基づいて設置された真実和解のための過去整理委員会そして国家情報院や警察などが自ら設置した過去委員会の調査を通じて、大部分のスパイ事件が捏造された事件であったことが次々と明らかになった。」とある。
しかし、どこまでが捏造でどこまでが事実であったのだろうか?
現在の韓国政府そのものが既に北朝鮮に乗っ取られた共産主義政府のようなものになってしまったことからもわかるように、韓国という国は建国当初から、共産主義者による国家の乗っ取りに怯え続けていた国だったようだ。
■朝鮮戦争の発生要因
1950年1月12日、米国政府のディーン・アチソン国務長官が、「アメリカが責任を持つ防衛ラインは、フィリピン - 沖縄 - 日本 - アリューシャン列島までである。それ以外の地域は責任を持たない」と発言(「アチソンライン」宣言)。
このとき台湾、インドシナなどとともに朝鮮半島には言及がなかったそうだ。
これは、米国の国防政策において「西太平洋の制海権だけは絶対に渡さない」という意味であったが、台湾や朝鮮半島は地政学上大陸と大洋の境界に位置していることや、長く日本の統治下にあったこともあって、判断が難しい地域でもあったそうだ。
アチソンは、広く知られる上記の発言のあと「米国の安全保障に関する限り、これらの地域(韓国・台湾)への軍事的攻撃について何らかの保障ができる者はいない。そのような攻撃が行われた際には(略)最初は攻撃された人々に頼るしかないのだ。」と続け、彼らが断固として戦うならば国連憲章に基づき国連の裁定に訴えることができるだろうと、最後を曖昧に結んだ、とある。
極東地域の連合国軍を統括していた連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサーは占領下の日本統治に専念し、1945年8月に着任して以降、朝鮮半島に足を運んだのは1回のみだったそうだ。
米国のトルーマン政権が中国大陸が共産化しても台湾不介入という声明を出したため、米国の対中政策を観察していた金日成は、朝鮮半島にもこれを当てはめ、「米国による西側陣営の南半部(韓国)放棄」と思い定め、GHQの戦力が少しづつ半島から引き揚げていたことをからも南進を決意。
極東地域の連合国軍を統括していた連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサーは占領下の日本統治に専念し、1945年8月に着任して以降、朝鮮半島に足を運んだのは1回のみだったそうだ。
米国のトルーマン政権が中国大陸が共産化しても台湾不介入という声明を出したため、米国の対中政策を観察していた金日成は、朝鮮半島にもこれを当てはめ、「米国による西側陣営の南半部(韓国)放棄」と思い定め、GHQの戦力が少しづつ半島から引き揚げていたことをからも南進を決意。
■「日本亡命要請」をした初代大統領李承晩
1950年6月25日に金日成率いる北朝鮮が事実上の国境線と化していた38度線を越えて韓国に侵略を仕掛け、勃発したのが朝鮮戦争。
軍事的に北が圧倒的に優位だったこと、不意を突かれたことで、朝鮮戦争発生直後、わずか3日間でソウルが占領されるなど絶望的な状況だったらしい。
朝鮮戦争勃発直後、初代韓国大統領の李承晩は日本政府に山口県への亡命を要請していたそうなのだ。現在の韓国政府の公式記録ではこの事実を認めていないらしいのだが、日本には記録が残っている。
■山口県の記録
「亡命地域」要請された山口県の歴史を記録した 「山口県史」の1950年の記録によると、当時の田中龍夫山口県知事は、朝鮮戦争発生2日後の6月27日、外務省を通じて、「韓国政府が6万人の亡命政権を山口県に立てたい」という電報を受け取ったと書かれてあるそうだ。
これに対して、 当時の山口県の田中知事は最終的には現在の地域住民にも配給が適切に行われていないなど食糧問題が深刻だと、「韓国人亡命」の受け入れに反対の意思を示した。
「山口県史」の1950年の記述
「在日韓国人3世」の教授が朝鮮戦争当時のこの問題と関連した米国公文書保管所の「米軍政ドキュメント」マイクロフィルムを所蔵している京都大学を訪れて、この当時のことを確認したそうだ。
この文書は、朝鮮戦争発生十日後の1950年7月7日の記録で、山口県の田中知事は、日本中国地方地域の5つの県知事会議に出席した席で、「韓国人5万人収容計画」を示していた。
田中知事は英語で書かれた「緊急措置計画」というタイトルのこのレポートで、山口県阿武などの4つの自治体に20個の避難キャンプや村を作成し、一時的テント1つに200人ずつ、全250兵舎に5万人の韓国軍を収容するという計画を立てていた。
因みに当時の日本は戦後の武装解除で、国軍というものはなかったし、今でも憲法上では日本には「国軍」が存在しないことになっている。
英語で書かれた「緊急措置計画」というタイトルのレポート
この英語のレポートを当時山口県は米軍政に提出し、予算支援を要請、その中には病室などの医療施設と衛生施設、食糧支援などの内容も含まれていたそうだ。
■「朝鮮情報室」とは
当時山口県の田中知事は、韓国が北朝鮮と中国、ソ連など共産主義勢力の「1次阻止線」であり、山口県は日本本土の 防波堤のような役割をすると考え、朝鮮半島情勢の変化を入念に確認していたそうだ。
山口県は独自の「朝鮮情報室」と呼ばれる特別な組織を運営していたそうだ。
この「朝鮮情報室」は、日本植民地時代と朝鮮総督府や警察に韓国で働いていた韓国語が流暢な日本人を特別採用し、韓国のラジオ放送などを毎日聴取し、山口地域の在日韓国人たちに会って韓国関連の情報を収集。
これらの情報を集めて、「朝鮮情報」という文書を作成、日本の首相と内閣閣僚たちに頻繁に報告。
田中知事は6月21日に上京し、韓国戦争発生2日前の6月23日に吉田茂首相を訪ね、「北朝鮮が南侵する危険性が非常に高いので対策が必要である」という文書を当時の吉田茂首相に伝えていたらしい。
状況を聞いた吉田首相はわずか3日前に38度線視察の帰路に日本に立ち寄ったジョン・フォスター・ダレスから「米軍の士気は旺盛で、装備も充実しており、まったく心配ない。」と聞いたばかりだとして激怒したそうだ。
当時の北朝鮮と韓国との軍事的な格差に関しては朝鮮総連の人が書いていると思しき詳細なものが「国境会戦 」(朝鮮戦争)というタイトルで以下のサイトにあるので、興味のある方はそちらをご覧ください。
山口県知事が最終的には断り、李承晩政府の「日本亡命」も米軍を中心とする国連軍の仁川上陸作戦などで戦争の様相が完全に変わり、実行に移されなかった。
しかし、果たして李承晩の意図はどこにあったのだろうか。もし彼が今の文在寅のように根っからの民族主義者で、心底「民族の共通の敵は日本」だと思っている人物だったとすれば、6万人の軍人を率いて山口県に上陸しようとした本当の意図は何だったのだろうか?
6万人の韓国軍を率いて韓国の「亡命政府」を日本の山口県に上陸させ、当時武装解除され、「プレスコード」で情報統制されていた(ごく最近まで日本のメディアには韓国や北朝鮮を無条件に擁護する「プレスコード」が健在だった)日本の内部に潜り込んで、中国が現在進行形で狙っているように、西日本を事実上支配下に置く「”朝鮮進駐軍”の正規軍化」、「日本列島の朝鮮支配」を狙っていたとも考えられる。
そこまでの野望があったのかどうかは李承晩本人にしかわからないことではあろうが、李承晩が極めて狡猾で冷酷非情な人物であったことはまちがいない。
■朝鮮戦争が悲惨だった理由
ところで朝鮮戦争のとき、連合国連軍が戻って来なければ間違いなく自国民や国を捨てて(亡命政府をつくるなどと体よく)逃げ出していたであろう李承晩政府が朝鮮戦争のときにやったことといえば、自国民を北のスパイとみなして大量虐殺(注)したこと。
このような最低な人物が初代韓国大統領であり、「HELL KOREA」の歴史の始まりだったということなのだ。
(注)韓国政府による自国民虐殺事件:
保導連盟事件(보도연맹 사건 )1950年6月25日発生。
1960年李承晩の亡命後にこの事件の遺族会である全国血虐殺者遺族会が遺族の申告をもとに報告書を作成したが、その報告書は虐殺された人数を114万人としている。
江華良民虐殺事件( 강화 양민학살 사건)1951年1月6日~1月9日に起こった事件。韓国軍、韓国警察、民兵は北朝鮮統治時代に北朝鮮に協力したなどとして、江華島の島民が212人~1300人が虐殺されたといわれている。2006年2月26日、大韓民国国家記録院は1951年8月30日に趙眞晩司法長官という人物が張勉首相に江華良民虐殺事件について報告した公式文書の存在を明らかにしている。
引用:
file:///C:/Users/ymhgt/Downloads/J2012_3LeeHojoong.pdf
参考:
自国民の大量虐殺をなんとも思わないのですね。
これが韓国の初代大統領ですか。
朝鮮人に甘い顔はしていけないと支那でさえいっているようですから、山口県上陸がなくて良かったです。
まさに李承晩は典型的な朝鮮人なのでしょう。
在韓米軍司令官ジョン・リード・ホッジは李承晩のことを「よこしまで情緒不安定、冷酷で腐敗し、度し難いお天気屋」と考えていたそうです。
例えば、自国にとっても歴史の一部で、当時東洋一壮麗な歴史的建造物であった朝鮮総督府を自分の人気取りのために爆破解体破壊させた金泳三なども負け犬根性丸出しで、日本への憎悪むき出し、度し難いお天気屋だし、セウォル号事件のときに7時間も国民の前に姿を見せず部屋に籠っていた「千年被害者」発言の朴槿恵前大統領もリーダーとしてはあまりに無自覚で、やはりどこかうつろな感じがします。
文在寅現大統領も米国のボルトン前大統領補佐官から「統合失調症のような人物」とまで酷評されていますが、国と国との約束などおかまいなしで、発言も日本への憎悪むき出しで、しかもどれもこれも見当外れで、そういう意味で「統合失調症のような」ということでしょうね。こんな人物を大統領にしてまった韓国の人々は彼らも恐ろしくて仕方ないようです。「文災害」と呼ばれているようです。真のリーダーが不在であるところが今も昔も南北朝鮮の悲劇の原因でしょうね。