打下城
2014/10/1
滋賀県高島市のお城めぐり
織田信長の甥織田信澄が拠点を大溝城に移す前の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 打下城
よみ: ウチオロシ
別称: 大溝古城・城山
所在地: 滋賀県高島市勝野
現状: 山
築城年代: 永正二年(1505)
築城者: 高島玄蕃允
形式: 山城
遺構: 中主郭・北主郭・小曲輪群・二重堀・畝堀・土塁・虎口・土橋・石垣跡
規模: 標高379m、比高255m
文化財:
訪城日: 2011/9/8・2014/10/1
≪ 訪城記 ≫
自宅から打下城へ向かう。
自宅を出て国道8号を北上、木之本三叉路信号を左折、北陸道木之本IC前を通り、賤ヶ岳トンネル、藤ヶ崎トンネルを通り、塩津三叉路信号を左折、国道303号を西進、岩熊トンネル、奥琵琶湖トンネルを通り、突き当りの野口三叉路信号を左折、マキノ追坂峠を下り、国道161号を西進、途中、大きく左に曲がり南下、道の駅藤樹の里あどがわを通り過ぎ、勝野で側道を降りて、国道勝野交差点信号を右折、高架下をくぐり県道296号を西進、勝野交差点信号を左折、県道300号を南下、近江高島駅口三叉路信号を右折、JR湖西線近江高島駅前を通り、湖西線高架下をくぐり、突き当りの城山台自治会館横交差点を右折、約130m北上したところを左折、約30m進んで左側に日吉神社があり、神社前に駐車スペースがある。ここに車を駐車させてもらう。
日吉神社南側の谷川を渡ってすぐを谷川に沿って進む。入口が笹の群生に隠れて判りにくいので注意。踏付け道があるので笹をかき分け進むと登城道に出る。
獣除け柵の扉を開けて、谷川沿いに登っていくと砂防ダムのある地点からつづら折りの急勾配道になり、途中ところどころに小さな案内板があり助かる。登り詰めたところに打下城と下の鼻打方向の分かれ道看板がある。
下の鼻打方向に行くと馬の足、下の鼻打へ行ける。
打下城方向へ進むと二重堀跡、畝堀跡のある中主郭下に出る。ロープを使って登る急な坂道を登り詰めると中主郭の土塁上に出る。ここが主郭で土塁に囲まれた円形の削平地で東側虎口前に説明板がある。虎口の出口左側に石垣跡が少し残っている。
登城口から中主郭まで約1時間30分もかかってしまった。
尾根伝いに東側へ降りていくと小曲輪群が見られ、約15分で北主郭に着く。
入口に土橋と虎口があり、ここも土塁に囲まれた円形の削平地で、馬蹄状になっている。東側虎口に石垣跡が残り、畝堀、小曲輪群がある。
≪ 歴 史 ≫
永正二年 (1505) 高島玄蕃允が長宝寺の廃寺後に打下城を築く。
元亀年間 (1570-73) 打下城城主は林与次左衛門員清であったが、織田信長の高島攻略により支配される。この林員清が打下城を築城したとも言われている。
天正元年 (1573) 磯野員昌が城主となる。員昌出奔後は、織田信長の弟信行の子信澄が城主となるが、天正六年(1578)、湖上交通の要港大溝港に大溝城を築き移る。
≪ 写 真 ≫
打下城中主郭虎口
中主郭虎口石垣跡
中主郭前の二重堀
縦状畝堀と土塁
中主郭土塁
中主郭
小曲輪群
北主郭西虎口と土橋
北主郭西虎口と土塁
北主郭土塁
北主郭東側の馬蹄状土塁
北主郭東虎口の石垣跡
分れ道
登城道
登城口付近
現地説明板図面(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR湖西線近江高島駅から徒歩約10分で登城口の日吉神社に着く。ここから主郭まで約1時間。
<車>
名神高速大津ICを降りて大津IC口信号を左折、坂を北へ降りていき本宮二丁目南信号を左折、国道1号東海道とJR東海道本線高架下をくぐり、北上して琵琶湖に向かい、京阪電気鉄道石山坂本線踏切を渡ってすぐの打出浜交差点信号を左折、県道18号を西進、大津港口から国道161号を琵琶湖岸沿いに北上、琵琶湖大橋交差点信号を左折、JR湖西線高架下をくぐり西進、真野IC口信号を右折して国道161号湖西道路へ側道を入り北上、白髭神社を通り過ぎて約1.5㎞で近江高島駅方面へ行く三叉路分れ道を斜め左に入り、乙女が池沿いに北上、大溝城跡を過ぎ、道が左に曲がったところの近江高島駅口三叉路信号を左折、JR湖西線近江高島駅前を通り、湖西線高架下をくぐり、突き当りの城山台自治会館横交差点を右折、約130m北上したところを左折、約30m進んで左側に日吉神社があり、神社前に駐車スペースがある。ここから主郭まで徒歩約1時間。
≪ 位置図 ≫
打下城
登城口の日吉神社
紹介したお城の数 296城
2014/10/1
滋賀県高島市のお城めぐり
織田信長の甥織田信澄が拠点を大溝城に移す前の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 打下城
よみ: ウチオロシ
別称: 大溝古城・城山
所在地: 滋賀県高島市勝野
現状: 山
築城年代: 永正二年(1505)
築城者: 高島玄蕃允
形式: 山城
遺構: 中主郭・北主郭・小曲輪群・二重堀・畝堀・土塁・虎口・土橋・石垣跡
規模: 標高379m、比高255m
文化財:
訪城日: 2011/9/8・2014/10/1
≪ 訪城記 ≫
自宅から打下城へ向かう。
自宅を出て国道8号を北上、木之本三叉路信号を左折、北陸道木之本IC前を通り、賤ヶ岳トンネル、藤ヶ崎トンネルを通り、塩津三叉路信号を左折、国道303号を西進、岩熊トンネル、奥琵琶湖トンネルを通り、突き当りの野口三叉路信号を左折、マキノ追坂峠を下り、国道161号を西進、途中、大きく左に曲がり南下、道の駅藤樹の里あどがわを通り過ぎ、勝野で側道を降りて、国道勝野交差点信号を右折、高架下をくぐり県道296号を西進、勝野交差点信号を左折、県道300号を南下、近江高島駅口三叉路信号を右折、JR湖西線近江高島駅前を通り、湖西線高架下をくぐり、突き当りの城山台自治会館横交差点を右折、約130m北上したところを左折、約30m進んで左側に日吉神社があり、神社前に駐車スペースがある。ここに車を駐車させてもらう。
日吉神社南側の谷川を渡ってすぐを谷川に沿って進む。入口が笹の群生に隠れて判りにくいので注意。踏付け道があるので笹をかき分け進むと登城道に出る。
獣除け柵の扉を開けて、谷川沿いに登っていくと砂防ダムのある地点からつづら折りの急勾配道になり、途中ところどころに小さな案内板があり助かる。登り詰めたところに打下城と下の鼻打方向の分かれ道看板がある。
下の鼻打方向に行くと馬の足、下の鼻打へ行ける。
打下城方向へ進むと二重堀跡、畝堀跡のある中主郭下に出る。ロープを使って登る急な坂道を登り詰めると中主郭の土塁上に出る。ここが主郭で土塁に囲まれた円形の削平地で東側虎口前に説明板がある。虎口の出口左側に石垣跡が少し残っている。
登城口から中主郭まで約1時間30分もかかってしまった。
尾根伝いに東側へ降りていくと小曲輪群が見られ、約15分で北主郭に着く。
入口に土橋と虎口があり、ここも土塁に囲まれた円形の削平地で、馬蹄状になっている。東側虎口に石垣跡が残り、畝堀、小曲輪群がある。
≪ 歴 史 ≫
永正二年 (1505) 高島玄蕃允が長宝寺の廃寺後に打下城を築く。
元亀年間 (1570-73) 打下城城主は林与次左衛門員清であったが、織田信長の高島攻略により支配される。この林員清が打下城を築城したとも言われている。
天正元年 (1573) 磯野員昌が城主となる。員昌出奔後は、織田信長の弟信行の子信澄が城主となるが、天正六年(1578)、湖上交通の要港大溝港に大溝城を築き移る。
≪ 写 真 ≫
打下城中主郭虎口
中主郭虎口石垣跡
中主郭前の二重堀
縦状畝堀と土塁
中主郭土塁
中主郭
小曲輪群
北主郭西虎口と土橋
北主郭西虎口と土塁
北主郭土塁
北主郭東側の馬蹄状土塁
北主郭東虎口の石垣跡
分れ道
登城道
登城口付近
現地説明板図面(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR湖西線近江高島駅から徒歩約10分で登城口の日吉神社に着く。ここから主郭まで約1時間。
<車>
名神高速大津ICを降りて大津IC口信号を左折、坂を北へ降りていき本宮二丁目南信号を左折、国道1号東海道とJR東海道本線高架下をくぐり、北上して琵琶湖に向かい、京阪電気鉄道石山坂本線踏切を渡ってすぐの打出浜交差点信号を左折、県道18号を西進、大津港口から国道161号を琵琶湖岸沿いに北上、琵琶湖大橋交差点信号を左折、JR湖西線高架下をくぐり西進、真野IC口信号を右折して国道161号湖西道路へ側道を入り北上、白髭神社を通り過ぎて約1.5㎞で近江高島駅方面へ行く三叉路分れ道を斜め左に入り、乙女が池沿いに北上、大溝城跡を過ぎ、道が左に曲がったところの近江高島駅口三叉路信号を左折、JR湖西線近江高島駅前を通り、湖西線高架下をくぐり、突き当りの城山台自治会館横交差点を右折、約130m北上したところを左折、約30m進んで左側に日吉神社があり、神社前に駐車スペースがある。ここから主郭まで徒歩約1時間。
≪ 位置図 ≫
打下城
登城口の日吉神社
紹介したお城の数 296城
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