お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

高水寺城

2014-11-02 06:38:25 | 北海道・青森県・岩手県
 高水寺城

2014/9/19

岩手県紫波町のお城めぐり

 足利尊氏が斯波高経の長子家長を奥州管領として下向させ築いた奥州斯波氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 高水寺城
よみ: コウスイジ
別称: 斯波館・郡山城
所在地: 岩手県紫波郡紫波町二日町古舘21-2
現状: 城山公園
築城年代: 建武二年(1335)
築城者: 斯波家長
形式: 平山城
遺構: 本丸・二の丸(若殿屋敷)・姫御殿跡・帯曲輪・空堀
規模: 550m×700m、標高180m、比高84m
文化財: 町指定史跡
訪城日: 2014/9/19


≪ 訪城記 ≫

徳丹城から高水寺城に向かう。

徳田小学校北側の空き地を出て国道4号を南下、紫波町に入り、城山入口交差点信号を左折、約500m東進した突き当りの小高い山が高水寺城跡の城山公園で右への曲がり口を左折して少し登った所に公園の駐車場がある。ここに車を駐車する。
さらに山を登っていくと本丸西側下にも駐車場がある。こちらを利用する方が良い。

駐車場の北側に空堀跡があり、空堀に架かる橋を渡って登っていくと、本丸下の遊具のある曲輪に出る。この上の広い曲輪が南側と東側に広がっている。東側には管理事務所と小さな動物園がある。
中央に一段高くなったところが本丸で、南側の階段前に説明板がある。登ると広い削平地で御殿跡だったようで大きな看板があり、その横に高水寺城趾碑、北側奥には愛宕神社がある。
東側に延びる尾根上に二の丸(若殿御殿)があり、工事中で何もない。北側下の削平地が姫御殿跡のようです。西側の斜面には数段の帯曲輪がある。


高水寺城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

建武二年 (1335) 足利尊氏が斯波高経の長子家長を奥州管領として下向させ、家長が奥州斯波氏の居城として高水寺城を築く。
大永元年 (1521) 南部氏と戦う。
天文六年 (1537) 再度、南部氏と交戦し、岩手郡を攻略する。
天正十四年 (1586) 三戸南部氏との対立抗争が激化し、九戸政実の弟弥五郎(吉兵衛)を入婿させていたが、吉兵衛が出奔してからは斯波氏の威勢は衰える。
天正十六年 (1588) 斯波詮直のとき、家臣石清水右京の謀反を契機に南部信直の攻撃を受け、落城する。南部信直は高水寺城を郡山城と改め、中野康実(吉兵衛)を城代に任じる。のちに盛岡城築城時には、南部利直の仮の居城となった。
寛文七年 (1667) 廃城となり、古材は盛岡城に用いられた。


≪ 写 真 ≫


高水寺城本丸入口


本丸御殿跡


高水寺城趾碑


広い本丸御殿跡


愛宕神社


本丸西側切岸


姫御殿跡


西側斜面の帯曲輪


本丸下東側の曲輪


遊具のある曲輪


二の丸(若殿御殿)


駐車場北側の空堀跡


城山公園入口

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東北本線紫波中央駅から徒歩約2㎞、約40分。
<車>
東北道紫波ICを降りて県道46号を東進、JR東北本線高架下をくぐり、続いて東北新幹線高架下もくぐり、桜町交差点信号を左折、国道4号を北上、城山入口交差点信号を左折、約500m東進した突き当りの小高い山が高水寺城跡の城山公園で右への曲がり口を左折して少し登った所に公園の駐車場がある。さらに山を登っていくと本丸西側下にも駐車場がある。こちらを利用する方が良い。


≪ 位置図 ≫

高水寺城(城山公園)


紹介したお城の数 291城



城 2015 壁掛 (写真工房カレンダー / B-2)
山口博之
写真工房




国別 戦国大名城郭事典
クリエーター情報なし
東京堂出版

徳丹城

2014-11-01 05:59:05 | 北海道・青森県・岩手県
 徳丹城

2014/9/19

岩手県矢巾町のお城めぐり

 志波城から移転によって文室綿麻呂が築城した古代城柵官衙

≪ お城の概要 ≫

城名: 徳丹城
よみ: トクタン
別称:
所在地: 岩手県紫波郡矢巾町西徳田第6地割
現状: 徳田小学校・徳丹城跡
築城年代: 弘仁四年(813)
築城者: 文室綿麻呂
形式: 平城
遺構: 政庁跡・北門跡・南門跡・掘立柱建物跡
規模: 350m×350m、標高100m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/9/19


≪ 訪城記 ≫

志波城から徳丹城へ向かう。

志波城古代公園を出て前の県道16号を東進、上鹿妻田貝の交差点信号を直進、斜め右に進み、道が右に大きく曲り本宮6丁目交差点信号を右折、国道46号盛岡西バイパスを東進、本宮2丁目交差点信号を直進、東北新幹線とJR東北本線高架下をくぐり、次の仙北2丁目交差点信号を右折、盛岡環状線を南下、川久保三叉路信号を斜め右折、国道4号に合流して南下、矢巾町に入り、矢幅駅入口交差点信号を直進、約400mで道の東側に徳田小学校があり、小学校南側が徳丹城跡です。左折して徳田小学校北側の道に入り、すぐの空き地に車を駐車する。

徳田小学校の北側に徳丹城北門跡があり、徳丹城北門跡碑と説明板がある。
小学校西側に国道4号沿いの歩道橋付近に徳丹城趾碑と発掘調査の説明板がある。小学校南側が政庁跡で掘立柱建物跡が復元されている。さらに南側の徳田神社北側で発掘調査中のようでした。
この徳田神社には南門跡があるそうです。
国道4号沿いの歩道橋南に徳丹城跡の案内板がある。

国道4号の西側には、矢巾町歴史民俗資料館があるので、資料館の駐車場を利用すると良い。


徳丹城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

弘仁二年 (811) 志波城がたびたび水害を受けるため移転が計画される。
弘仁四年 (813) 文室綿麻呂によって徳丹城が築かれる。


≪ 写 真 ≫


徳丹城跡


徳丹城北門跡


徳丹城北門跡碑


徳丹城趾碑と説明板


徳丹城趾碑


政庁跡の掘立柱建物跡


徳田神社北側の発掘調査現場


徳丹城跡の広場


現地徳丹城跡遺構概念図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東北本線矢幅駅からバスで徳田小学校前バス停下車すぐ。
<車>
東北道盛岡南ICを降りて県道36号を東進、東北新幹線高架下をくぐり、盛岡南IC入口交差点信号を右折、国道4号を南下、矢巾町に入り、矢幅駅入口交差点信号を直進、約400mで道の東側に徳田小学校があり、小学校南側が徳丹城跡です。国道4号の西側には、矢巾町歴史民俗資料館があるので、資料館の駐車場を利用すると良い。


≪ 位置図 ≫

徳丹城


北門跡


紹介したお城の数 290城



レンズが撮らえた幕末日本の城―永久保存版
來本 雅之
山川出版社




城を攻める 城を守る (講談社現代新書)
伊東 潤
講談社

志波城

2014-10-27 06:34:58 | 北海道・青森県・岩手県
 志波城

2014/9/19

岩手県盛岡市のお城めぐり

 坂上田村麻呂が築いた日本最北の古代官衙城柵

≪ お城の概要 ≫

城名: 志波城
よみ: シワ
別称: 志和城・方八丁
所在地: 岩手県盛岡市下太田方八丁
現状: 志波城古代公園
築城年代: 延暦二十二年(803)
築城者: 坂上田村麻呂
形式: 平城
遺構: 復元外郭南門・築地塀・櫓・政庁南門・東門・西門・北門跡・正殿跡・東脇殿跡・西脇殿跡・堀
規模: 840m×840m、標高130m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/9/19


≪ 訪城記 ≫

安倍館から志波城へ向かう。

天昌寺駐車場を出て国道46号を西進、稲荷町三叉路信号を直進、西バイパス北口交差点信号を左折、雫石川を渡り、国道46号盛岡西バイパスを南下、道が大きく左に曲がった下太田林崎交差点信号を斜め右折、県道13号を南下、自動車教習所を過ぎた上鹿妻田貝交差点信号を右折、県道16号盛岡環状線を約500m西進したところに志波城古代公園の看板がある道の北側が志波城跡で案内所の左側に駐車場がある。

最初、案内所によってパンフレットをもらうと良い。
案内所の右側から入って行くと、とても広い方形の政庁跡が復元されていて、大きな外郭南門と両側に広がった築地塀、塀の上には約60m間隔で矢倉が乗っている。前面には堀跡が残る。
外郭南門をくぐると両翼に堀跡、中央政庁南門に向かって一直線の広い南大路が続き、方形の政庁跡には南門、東門、西門と両側の築地塀が復元され、政庁内の正殿、東脇殿、西脇殿跡が区画されている。
とても広い古代城柵が見事に復元されている。


志波城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

延暦二十二年 (803) 征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷統治のための行政府として志波城を築く。
弘仁二年 (811) 坂上田村麻呂が徳丹城を築き移る。


≪ 写 真 ≫


志波城外郭南門


外郭南門の土塀と矢倉


空堀


南大路


政庁南門


土塀と南門外側空堀


土塀と南門内側空堀


政庁内


西脇殿跡


政庁西門


西門外側空堀


西門内側空堀


正殿跡


東脇殿跡


政庁東門


東門内側空堀


東門外側空堀


政庁北門跡


北門内側空堀


北門外側空堀


現地志波城古代公園案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東北本線・東北新幹線盛岡駅からバスで志波城古代公園前バス停下車すぐ。
<車>
東北道盛岡ICを降りて国道46号を東進、すぐの西バイパス北口交差点信号を右折、雫石川を渡り、国道46号盛岡西バイパスを南下、道が大きく左に曲がった下太田林崎交差点信号を斜め右折、県道13号を南下、自動車教習所を過ぎた上鹿妻田貝交差点信号を右折、県道16号盛岡環状線を約500m西進したところに志波城古代公園の看板がある道の北側が志波城跡で案内所の西側に駐車場有。


≪ 位置図 ≫

志波城(志波城古代公園)


紹介したお城の数 289城



東北の争乱と奥州合戦―「日本国」の成立 (戦争の日本史)
関 幸彦
吉川弘文館




知識ゼロからの日本の城入門
小和田 哲男
幻冬舎

安倍館

2014-10-26 07:33:15 | 北海道・青森県・岩手県
 安倍館

2014/9/19

岩手県盛岡市のお城めぐり

 陸奥の豪族安倍氏が築いた最北端で前九年の役最後の拠点城柵

≪ お城の概要 ≫

城名: 安倍館
よみ: アベ
別称: 厨川城・厨川柵・栗谷川古城
所在地: 岩手県盛岡市安倍館町
現状: 厨川八幡宮・住宅地
築城年代: 平安時代
築城者: 安倍氏
形式: 居館
遺構: 空堀
規模:
文化財:
訪城日: 2014/9/19


≪ 訪城記 ≫

盛岡城から安倍館へ向かう。

盛岡城跡公園前の岩手県産業会館有料駐車場を出て岩手公園下三叉路信号を右折、西進して開運橋東複合交差点信号を斜め左折、北上川に架かる開運橋を渡り、JR盛岡駅前の信号を右折、北上川沿いに北西に進む、夕顔瀬橋西信号を直進、ここから県道220号になり、館坂複合交差点信号を約600m直進した安倍館バス停を左折、住宅地を東に入った奥の北上川沿いに安倍館公民館があり、公民館前の空き地に車を駐車させてもらう。

公民館から県道220号へ出て約100m北上した道脇に安倍館遺跡標柱や説明板があり、空堀跡が残っている。ここから住宅地を東に入って行くと厨川八幡宮があり、八幡宮の北側に深い空堀跡、八幡宮を中心に住宅地の周りにコの字形の空堀跡が残る。

公民館前を出て県道220号を南下、館坂複合交差点信号を右折、国道46号を西進、東北新幹線高架下をくぐり、約200m進んだ道の南側に天昌寺があり、道沿いの塀の前に厨川柵の説明板が飾られている。


厨川柵の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

陸奥の豪族安倍氏が厨川柵を築いた最北端の城柵で安倍貞任が配されていた。
天喜四年 (1056) 前九年の役が起こり、最初は安倍氏が優勢であったが、出羽の豪族清原氏が源頼義・義家の討伐軍に加わり、次第に劣勢となる。
康平五年 (1062) 厨川柵で最後の決戦が行われ、安倍貞任・宗任が敗れ、安倍氏は滅亡する。
文治五年 (1189) 源頼朝の奥州藤原氏討伐戦で戦功を立てた伊豆の工藤小次郎行光が岩手郡を給され、安倍館に居館を構える。
天正二十年 (1592) 安倍館は、豊臣秀吉の命により破却される。


≪ 写 真 ≫


厨川八幡宮


厨川八幡宮入口の空堀跡


空堀前の安倍館遺跡標柱


厨川八幡宮北側の空堀跡


道端の厨川柵の碑


厨川八幡宮南側の空堀跡


天昌寺


現地安倍館図面(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東北本線・東北新幹線盛岡駅からバスで安倍館バス停下車すぐ。
<車>
東北道盛岡ICで降りて国道46号秋田街道を東進、稲荷町三叉路信号を斜め左折、東北新幹線高架下をくぐり、館坂交差点信号を左折、約600m北上した安倍館バス停を左折、住宅地を東に入った奥の北上川沿いに安倍館公民館があり、公民館前の空き地に駐車可能。ここから県道220号を約100m北上した厨川八幡宮入口付近に空堀が残る。


≪ 位置図 ≫

安倍館(厨川八幡宮)


天昌寺


紹介したお城の数 288城



東北の争乱と奥州合戦―「日本国」の成立 (戦争の日本史)
関 幸彦
吉川弘文館




意外と知らない! こんなにすごい「日本の城」 (じっぴコンパクト)
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実業之日本社

盛岡城

2014-10-25 07:03:09 | 北海道・青森県・岩手県
 盛岡城

2014/9/19

岩手県盛岡市のお城めぐり

 四十一年かけて完成した総石垣造の南部氏の居城

 日本100名城

≪ お城の概要 ≫

城名: 盛岡城
よみ: モリオカ
別称: 不来方城
所在地: 岩手県盛岡市内丸
現状: 盛岡城跡公園
築城年代: 着手・文禄二年(1593)、完成・寛永十年(1633)
築城者: 南部信直・利直・重直
形式: 平城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・淡路丸・榊山稲荷曲輪・腰曲輪・下曲輪・御三階櫓跡・石垣・水堀・彦御蔵・桝形虎口・井戸跡
規模: 本丸70m×55m、二の丸90m×60m、三の丸100m×40m、標高143m、比高15m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2011/12/15・2014/9/19


≪ 訪城記 ≫

ホテルを出て盛岡城に向かう。

ホテルを出て北上川沿いの道を南下、盛岡駅前の交差点信号を左折、開運橋を渡り、開運橋東複合交差点信号を斜め右折、東進した突き当りが盛岡城跡で、岩手公園下三叉路信号を左折、盛岡城の高石垣を右手に見ながら次の交差点信号左側の岩手県産業会館有料駐車場に車を駐車する。

岩手県産業会館前の道を渡り、水堀跡の亀ヶ池沿いの道を入って行き、櫻山神社手前を南に進むと三の丸入口横に盛岡城趾碑があり、桝形虎口を入った東側が三の丸跡で烏帽子岩がある。
三の丸から南に進むと二の丸入口の桝形虎口があり、庭園が広がる。南詰の石垣空堀に架かる赤い渡雲橋を渡った広場が本丸で中央に南部中尉銅像のあった台座が残されている。本丸南東隅が御三階櫓跡です。
東側の桝形虎口を降りていくと本丸廻りの淡路丸、腰曲輪、榊山稲荷曲輪と時計回りに本丸の見事な高石垣を見ながら回り、渡雲橋下の空堀を歩き、今度は淡路丸、腰曲輪、榊山稲荷曲輪下の見事な高石垣を同じように見て感動しましたが、二の丸下と三の丸下の高石垣も素晴らしいのですが、かなり孕んできているようで少し気になりました。
その後、櫻山神社北側の商店街がある下曲輪廻りの水堀、もりおか歴史文化館の間にある庭園風になった水堀跡の鶴池が美しいです。


盛岡城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

天正十八年 (1590) 二十六代南部直信が小田原の陣への参陣により、豊臣秀吉から所領を安堵される。
天正十九年 (1591) 九戸政実の乱が終り、豊臣秀吉から派遣された軍監浅野長政の勧めで岩手郡不来方に築城することとなる。
文禄二年 (1593) 築城工事に着手する。
慶長四年 (1599) 南部信直が福岡城で没し、嫡子利直が築城工事を引き継ぐ。
元和年間 (1615-24) 不来方城を盛岡城と改め、利直が福岡城より移る。
寛永十年 (1633) 四十一年かけて二十八代南部重直のときに完成する。以後、明治維新まで南部氏代々の居城となる。
延宝元年 (1673) 火災で焼失した三層の天守閣が再建される。
明治六年 (1873) 石垣、水堀を残し破却される。


≪ 写 真 ≫


盛岡城南西隅高石垣


榊山稲荷曲輪高石垣


二の丸高石垣


三の丸西面高石垣


二の丸高石垣側面


三の丸北面高石垣


腰曲輪南面高石垣


淡路丸南東隅高石垣


本丸西側高石垣


二の丸東側二段石垣


本丸と二の丸の間の空堀


本丸北東隅高石垣


本丸御三階櫓跡


南部中尉銅像台座


本丸


本丸南西隅櫓跡


二の丸


二の丸桝形虎口


三の丸


三の丸桝形虎口


盛岡城趾碑


水堀跡の亀ヶ池


彦御蔵


吹上坂付近


烏帽子岩


南部稲荷神社


櫻山神社


下曲輪水堀跡


水堀跡の鶴池


現地盛岡城跡公園案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東北本線・東北新幹線盛岡駅からバスで約10分。盛岡城跡公園バス停下車すぐ。
<車>
東北道盛岡ICで降りて国道46号秋田街道を東進、稲荷町三叉路信号を斜め左折、東北新幹線高架下をくぐり、館坂交差点信号を右折、北上川沿いの県道220号を南下、盛岡駅前の交差点信号を左折、開運橋を渡り、開運橋東複合交差点信号を斜め右折、東進した突き当りが盛岡城跡の盛岡城跡公園で付近に有料駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

盛岡城(盛岡城跡公園)


紹介したお城の数 287城



もっと知りたい 日本100名城 近世の城編 (歴史群像シリーズ)
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学研パブリッシング




もっと知りたい 日本100名城 古代・中世の城編 (歴史群像シリーズ)
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