お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

田頭城

2014-10-22 06:00:48 | 北海道・青森県・岩手県
 田頭城

2014/9/18

岩手県八幡平市のお城めぐり

 田頭左衛門佐直祐が築城した田頭氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 田頭城
よみ: デンドウ
別称:
所在地: 岩手県八幡平市田頭第23地割68
現状: 田頭城址館山公園
築城年代: 天正年間(1573-93)
築城者: 田頭左衛門佐直祐
形式: 山城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・腰曲輪・土塁・空堀
規模: 150m×70m、標高320m、比高51m
文化財:
訪城日: 2014/9/18


≪ 訪城記 ≫

姉帯城から田頭城へ向かう。

姉帯城へ行く林道を戻り、馬淵川を渡り、侍村の三叉路右折、県道15号を西進、いわて銀河鉄道踏切を渡り、姉帯入口交差点信号を左折、国道4号を南下、久保口交差点信号を右折、県道17号を西進、久保第18地割三叉路を斜め左折、県道257号を西進、土川第4地割付近で南西に進み、八幡平市に入り西進、十和田八幡平四季彩ラインと国道282号を越えて次の交差点信号を右折、道が右に曲がり八幡平市役所の突き当り三叉路信号を右折、国道282号を南下、大更第24地割三叉路信号を右折、県道23号を西進、田頭第22地割交差点信号を過ぎてすぐの田頭郵便局の右側に田頭城址館山公園駐車場がある。この駐車場に車を駐車する。駐車場の西の山が田頭城跡です。

駐車場と郵便局の間に田頭城址館山公園入口があり、登り口に説明板がある。階段を登っていくと両脇に腰曲輪らしい削平地を過ぎた左側に遊具のある三の丸、その上に二の丸、さらに登ると本丸があり、到着口に詳しい説明板がある。本丸奥の土塁跡の前に二重の鳥居がある。本丸の右側に本丸橋があり、渡った左隅に土塁跡、ぐるりと回って橋の下に空堀跡がある。さらに下に数段の腰曲輪を見られる。


≪ 歴 史 ≫

天正末年、葛巻信祐の二男田頭直祐が田頭氏を興し田頭城主となる。
天正十九年二月 (1591) 九戸政実が南部信直に反旗を翻し、九戸政実に加担した平舘城の一戸信濃守政包に田頭城は攻撃され落城する。


≪ 写 真 ≫


田頭城本丸


二の丸


三の丸


腰曲輪


本丸右側


本丸橋


本丸橋を渡った土塁跡


本丸橋下の空堀跡


本丸橋下の腰曲輪


田頭城址館山公園入口


現地説明板縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
十和田八幡平四季彩ライン大更駅から徒歩約1.5㎞、約30分で田頭城址館山公園駐車場、ここから本丸まで約20分。
<車>
東北道西根ICを降りてインター入口信号を左折、次の三叉路信号を斜め左折、国道282号を北上、大更第24地割三叉路信号を左折、県道23号を西進、田頭第22地割交差点信号を過ぎてすぐの田頭郵便局の右側に田頭城址館山公園駐車場がある。ここから本丸まで約20分。


≪ 位置図 ≫

田頭城


田頭城址館山公園入口


紹介したお城の数 286城



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知れば知るほど面白い 戦国の城 攻めと守り (じっぴコンパクト新書)
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姉帯城

2014-10-21 06:00:06 | 北海道・青森県・岩手県
 姉帯城

2014/9/18

岩手県一戸町のお城めぐり

 九戸政実の乱の前哨戦で落城した姉帯氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 姉帯城
よみ: アネタイ
別称:
所在地: 岩手県二戸郡一戸町姉帯川久保
現状: 山
築城年代: 天正年間(1573-93)
築城者: 姉帯兼政
形式: 山城
遺構: 西の郭・東の郭・空堀・土塁
規模: 西の郭 東西130m×南北60m、東の郭 東西120m×南北100m
文化財: 町指定史跡
訪城日: 2014/9/18


≪ 訪城記 ≫

一戸城から姉帯城へ向かう。

一戸公園を出て国道4号を南下、姉帯入口交差点信号を左折、県道15号を東進、いわて銀河鉄道踏切を渡り、川を渡って右に大きく曲り南下、道が東に向き侍村付近で小さな姉帯城跡の標柱のある三叉路を左折、馬淵川を渡り、道が左へ曲がる地点の三叉路を右折、北上した最後の住宅裏の林道を東へ約400m進んだ行き止まりに車を路上駐車する。

行き止まりから南側の山へ舗装道があり、登った先に広がる郭が西の郭で入口に説明板がある。広い郭の東側に供養塔があり、この裏側に土塁が残り、下が深い空堀となっている。この空堀の東側が東の郭で山林となっている。


≪ 歴 史 ≫

天正年間 (1573-93) 九戸南部氏の一族、姉帯氏の姉帯兼政が築城する。
天正十九年 (1591) 九戸政実の乱の前哨戦で、姉帯城は豊臣軍の攻撃を受け、城主姉帯兼興、兼信兄弟らが討死、落城する。


≪ 写 真 ≫


姉帯城西の郭東側の供養塔


西の郭


姉帯城西の郭東側の土塁


西の郭と東の郭の間の空堀


東の郭


林道行き止まりからの登り道


林道入口


現地姉帯城全体図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
いわて銀河鉄道小鳥谷駅から徒歩約3㎞、約60分。
<車>
八戸道一戸ICを降りて一戸インター入口信号を右折、国道4号をを南下、姉帯入口交差点信号を左折、県道15号を東進、いわて銀河鉄道踏切を渡り、川を渡って右に大きく曲り南下、道が東に向き侍村付近で小さな姉帯城跡の標柱のある三叉路を左折、馬淵川を渡り、道が左へ曲がる地点の三叉路を右折、北上した最後の住宅裏の林道を東へ約400m進んだ行き止まりのスペースに車を路上駐車可能。


≪ 位置図 ≫

姉帯城


林道入口


紹介したお城の数 285城



城を攻める 城を守る (講談社現代新書)
伊東 潤
講談社




戦国の城 (学研新書)
小和田哲男
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一戸城

2014-10-20 06:23:07 | 北海道・青森県・岩手県
 一戸城

2014/9/18

岩手県一戸町のお城めぐり

 南部氏初代南部光行の庶子行朝の子、南部義実が築いた一戸南部氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 一戸城
よみ: イチノヘ
別称: 北館
所在地: 岩手県二戸郡一戸町一戸北舘
現状: 一戸公園・神社
築城年代: 建長年間(1249-56)
築城者: 南部義実
形式: 平山城
遺構:
規模: 100m×100m
文化財:
訪城日: 2014/9/18


≪ 訪城記 ≫

九戸城から一戸城に向かう。

九戸城跡を出て案内図のある三叉路を右折、北上して岩屋観音像付近の川を渡った交差点信号を左折、馬淵川を渡り、県道24号を西進、中曽根三叉路信号を左折、国道4号を南下、馬淵川に架かる馬仙大橋を渡って一戸町に入る。そのまま国道4号を南下、一戸インター入口前を通り、約1.0㎞進んだ道の右側に一戸公園がある。入口に駐車場がある。ここに車を駐車する。

奥に入って行くと忠魂碑や水道施設のある広場に出る。ここが一戸公園で南に降りた神社社殿前に一戸城跡の木製標柱があるのみです。
公園入口の南側に国道4号に沿って道があり、両側が高く断崖になっている。この道は深い空堀跡ではないか。


≪ 歴 史 ≫

建長年間 (1249-56) 南部氏初代南部光行の庶子行朝の子、南部義実が築き、一戸南部氏の居城とする。一戸氏は、平舘、荒木田、千徳、津軽石、堀切、寄木、野田、谷内、中村、金田一の諸氏の祖と言われている。
天正九年七月 (1581) 一戸政連父子が刺殺され、一戸氏本家は断絶した。
天正十九年 (1591) 九戸政実の乱で、一戸城の攻防戦が行われる。
文禄元年 (1592) 一戸城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


一戸城趾碑


一戸公園


空堀跡?

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
いわて銀河鉄道一戸駅から徒歩約30分。
<車>
八戸道一戸ICを降りて一戸インター入口信号を右折、国道4号を約1.0㎞南下した道の右側に一戸公園がある。入口に駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

一戸城(一戸公園)


紹介したお城の数 284城



お城へ行こう! (岩波ジュニア新書)
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岩波書店




図説厳選日本の名城探訪ガイド―お城へ行こう!もっとお城を楽しもう! (歴史群像シリーズ)
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九戸城

2014-10-19 08:39:22 | 北海道・青森県・岩手県
 九戸城

2014/9/18

岩手県二戸市のお城めぐり

 南部氏に謀反した九戸政実らが豊臣秀吉の奥州仕置に籠城した、九戸政実の乱の舞台となった九戸氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 九戸城
よみ: クノヘ
別称: 白鳥城・宮野城・福岡城
所在地: 岩手県二戸市福岡城ノ内
現状: 史跡九戸城跡
築城年代: 明応年間(1492-1500)
築城者: 九戸光政
形式: 平山城
遺構: 本丸・二の丸・松の丸・外館(石沢館)・若狭館・大手門跡・搦手門跡・本丸虎口・桝形虎口・空堀・石垣・土塁・西南隅櫓跡・西北隅櫓跡
規模: 850m×650m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/9/18


≪ 訪城記 ≫

四戸城から九戸城へ向かう。

長壽寺の駐車場を出て前面道路を約1.35㎞北上したいわて銀河鉄道踏切に入る三叉路を右折、踏切を渡ってすぐの三叉路を右折、約180m南下した三叉路を左折して約300m東進した金田一温泉入口交差点信号を右折、国道4号を南下、金田一交差点信号を左折、すぐに大きく右に曲がり、馬淵川を渡り、県道274号を南下、岩屋観音堂付近の交差点信号を直進、約360m進んだ九戸城周辺文化財案内図のある三叉路を左折、約450m南西に細い道を進み、途中、大手門脇堀跡があり、道の左側上に九戸城趾碑がある方向へ左折すると九戸城跡に着く。奥の二の丸搦手門跡前に駐車スペースがある。ここに車を駐車する。

まずは入口三叉路の案内板が気になったので見に行き、入ってきた道沿いの大手門脇堀跡と二の丸南側の見事な断崖絶壁を見て、南側に松の丸を先に見に行きました。松の丸は一番南側の九戸政実神社付近の遊具のある広場に説明板付の石柱がある。
大手門跡へ戻り、綺麗な芝生で緑一色になった二の丸を見ながら、奥の二の丸搦手門跡を東に行くと、本丸入口の堀に架かる橋を渡り、追手門跡の桝形を通って本丸に入る。本丸は土塁と空堀に囲まれ東と西側に区画されているようで、東側が少し高く、断崖絶壁になっている。
南西隅櫓付近に本丸跡碑があり、桝形虎口になっていて、土塁と空堀が南東隅櫓につながっている。桝形虎口を出ると二の丸で、ここも東側が少し高い。中央付近に城跡の模型が造られている。
搦手門跡に戻り、西側に空堀を降りていくと、台地上になった外館(石沢館)跡、さらに奥に若狭館がある。
各郭ごとに石柱が建てられていて説明板が付いているので非常にありがたい。


九戸城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

明応年間 (1492-1500) 九戸政実の四代前の九戸光政の頃に築城したと言われている。
永禄十一年 (1568) 鹿角郡奪還の戦いで九戸政実が戦功をたて、二戸郡福岡を給され移ったと言われている。
天正八年 (1580) 三戸城主南部晴政が死去。政実は妾腹の子晴継を後継に推していた。それより前にも、南部信直が世子となっていたにもかかわらず、晴政の弟実親を推していたことが対立の引鉄となったようです。
天正十八年 (1590) 豊臣秀吉は小田原を攻略し、続いて奥州仕置を開始する。
天正十九年三月 (1591) 九戸城主九戸政実らが三戸南部氏に反逆し、南部信直と合戦に及ぶが、八月に蒲生氏郷を主将とする奥州仕置の軍勢が到着、九月一日には姉帯、根反の二城を攻略、二日、九戸城に迫り、政実らは籠城する。四日、政実らが降伏して九戸城は落城する。信直は三戸城から九戸城へ移って修築、福岡城と改める。
寛永十三年 (1636) 南部利直が盛岡城に本拠を移したため、九戸城は廃城となった。


≪ 写 真 ≫


九戸城本丸


本丸空堀


本丸追手門跡


本丸跡南側


本丸桝形虎口


西南隅櫓跡


二の丸跡


本丸桝形虎口付近の土塁


追手門桝形虎口


西北隅櫓跡


本丸跡北側


本丸虎口付近


本丸西南隅櫓跡付近


二の丸と石沢館の間の空堀


外館(石沢館)南西側


外館(石沢館)南東側


外館(石沢館)跡


若狭館


大手門跡


九戸城趾碑


大手門脇堀跡


二の丸南側断崖絶壁


松の丸跡


二の丸搦手門跡


九戸城周辺文化財案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東北新幹線、いわて銀河鉄道二戸駅から徒歩約25分。
<車>
八戸道一戸ICを降りて一戸インター入口信号を左折、国道4号を北上、中曽根三叉路信号を右折、県道24号を西進、馬淵川を渡り、岩屋観音堂付近の交差点信号を右折、約360m進んだ九戸城周辺文化財案内図のある三叉路を左折、約450m南西に細い道を進み、途中、大手門脇堀跡があり、道の左側上に九戸城趾碑がある方向へ左折すると九戸城跡に着く。奥の二の丸搦手門跡前に駐車スペースがある。


≪ 位置図 ≫

九戸城


紹介したお城の数 283城



お城へ行こう! (岩波ジュニア新書)
萩原 さちこ
岩波書店




わくわく城めぐり ビギナーも楽しめる〈城旅〉34
萩原さちこ
山と渓谷社

四戸城

2014-10-18 05:50:00 | 北海道・青森県・岩手県
 四戸城

2014/9/18

岩手県二戸市のお城めぐり

 南部光行の四男孫四郎宗朝を祖とする四戸氏代々の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 四戸城
よみ: シノヘ
別称: 金田一城
所在地: 岩手県二戸市金田一舘
現状: 長壽寺・墓地・空き地
築城年代:
築城者:
形式: 平城
遺構:
規模: 700m×100m
文化財:
訪城日: 2014/9/18


≪ 訪城記 ≫

ホテルから四戸城へ向かう。

ホテルを出て根城跡と八戸市立博物館前を通り、国道104号を南西に進み、馬淵川に架かる櫛引橋を渡り、突き当りの一日市三叉路信号を左折、八戸道高架下をくぐり、南部町役場前を通り、しばらく青い森鉄道沿いを並走して、斗賀付近で大きく左へ曲がり南下、こんどは右へ大きく曲り西進、突き当りの剣吉三叉路信号を左折、国道4号を南下、諏訪ノ平駅付近で右へ曲がり西進、町役場南部分庁舎前を通り、三戸町を通って南下、岩手県に入り、金田一温泉入口交差点信号を右折、西進した突き当りの三叉路を右折、約180m北上した三叉路を左折していわて銀河鉄道踏切を渡り、すぐの三叉路を左折、約1.3㎞南下した三叉路を約50m直進した三叉路を右折、右手に長壽寺の駐車場があり、奥に四戸城跡の長壽寺がある。寺の駐車場に車を駐車させてもらう。

長壽寺と八坂神社の間の墓地へ行く階段を登って、墓地の東側の空き地に大きな石と四戸城跡の看板とその下に消えかかった小さな説明板があるのみです。
日本城郭大系によると、長壽寺と八坂神社一帯が上館、その北側が中館、さらに北側の秋葉神社付近が下館だそうです。


≪ 歴 史 ≫

南部光行の四男孫四郎宗朝を祖とする四戸氏代々の居城。
天正元年 (1573) 十五代四戸宗春は九戸政実の叔母を室としていたが、政実の謀反が発覚すると秋田に逃れ病死している。こののち、南部信直は四戸城代として大光寺左衛門を配している。
慶長年間 (1596-1615) 四戸一族の中野氏が居城する。


≪ 写 真 ≫


四戸城跡の看板


四戸城跡付近


長壽寺

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
いわて銀河鉄道金田一温泉駅から徒歩で約1.8㎞、約30分で長壽寺。
<車>
八戸道一戸ICを降りて一戸インター入口信号を左折、国道4号を北上、金田一温泉入口交差点信号を左折、西進した突き当りの三叉路を右折、約180m北上した三叉路を左折していわて銀河鉄道踏切を渡り、すぐの三叉路を左折、約1.3㎞南下した三叉路を約50m直進した三叉路を右折、右手に長壽寺の駐車場があり、奥に四戸城跡の長壽寺がある。


≪ 位置図 ≫

四戸城(長壽寺)


紹介したお城の数 282城



城を攻める 城を守る (講談社現代新書)
伊東 潤
講談社




信長軍の司令官―部将たちの出世競争 (中公新書)
谷口 克広
中央公論新社