お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

黒田城

2014-11-21 05:55:44 | 滋賀県
 黒田城

2014/10/8

滋賀県長浜市のお城めぐり

 筑前国福岡藩主黒田氏始祖の屋敷跡

≪ お城の概要 ≫

城名: 黒田城
よみ: クロダ
別称:
所在地: 滋賀県長浜市木之本町黒田
現状: 黒田集会所
築城年代:
築城者: 源宗清(黒田判官)
形式: 平城
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2010/11/12・2014/10/8


≪ 訪城記 ≫

自宅から黒田城へ向かう。

自宅を出て国道8号を北上、木之本三叉路信号を左折、北陸道高架下をくぐり、木之本IC前の木之本IC口交差点信号を右折、国道365号を約800m北上した交差点信号を右折して黒田集落に入る。入ってすぐに黒田官兵衛博覧会臨時駐車場があるのでここに車を駐車する。

信号から約350m東進した道の北側に黒田集会所があり、東側の庭園の北東角の御廟所の石塔と碑、説明板があるのみで遺構はない。


≪ 歴 史 ≫

筑前国福岡藩主黒田氏の始祖、源宗清(黒田判官)が館を構える。
永正八年 (1511) 六代黒田高政が船岡山の戦いで軍令違反を咎められ、黒田の地を去り、備前国邑久郡福岡に移り住む。


≪ 写 真 ≫


黒田城御廟所石塔と碑


御廟所石塔


黒田集会所

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸本線木之本駅から徒歩約1㎞、約20分。
<車>
北陸道木之本ICを降りて木之本IC口交差点信号を直進、国道365号を約800m北上した交差点信号を右折して黒田集落に入る。信号から約350m東進した道の北側に黒田集会所があり、東側の庭園の北東角の御廟所の石塔と碑、説明板がある。
信号を入ってすぐに黒田官兵衛博覧会臨時駐車場があるのでここに駐車すると良い。


≪ 位置図 ≫

黒田城(黒田集会所)


紹介したお城の数 299城



近江城郭探訪―合戦の舞台を歩く
滋賀県教育委員会
滋賀県文化財保護協会




戦国の城 (学研新書)
小和田 哲男
学習研究社

小川城

2014-11-17 05:56:39 | 滋賀県
 小川城

2014/10/1

滋賀県高島市のお城めぐり

 佐々木氏(高島氏)の家臣小川主膳正秀の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 小川城
よみ: オガワ
別称:
所在地: 滋賀県高島市安曇川町上小川
現状: 畑・田
築城年代:
築城者:
形式: 平城
遺構: 土塁
規模:
文化財:
訪城日: 2014/10/1


≪ 訪城記 ≫

大溝城から小川城に向かう。

打下城登城口の日吉神社まで戻り、JR近江高島駅前を通り近江高島駅口三叉路信号を左折、県道300号を北上、勝野交差点信号を右折、東進して国道勝野交差点信号を左折、国道161号側道を通って国道161号高島バイパスを北上、道の駅藤樹の里あどがわのある藤樹神社口信号を右折Uターンして約300m南下したところで側道に入り、約150m南下した交差点東側に小川城跡の小さな案内板北側畑地にL字型の土塁跡が残る。


≪ 歴 史 ≫

元亀年間 (1570-73) 織田信長の高島征服時に落城する。

≪ 写 真 ≫


小川城跡


土塁跡


小川城跡案内板

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR湖西線安曇川駅から徒歩約25分。
<車>
名神高速大津ICを降りて大津IC口信号を左折、坂を北へ降りていき本宮二丁目南信号を左折、国道1号東海道とJR東海道本線高架下をくぐり、北上して琵琶湖に向かい、京阪電気鉄道石山坂本線踏切を渡ってすぐの打出浜交差点信号を左折、県道18号を西進、大津港口から国道161号を琵琶湖岸沿いに北上、琵琶湖大橋交差点信号を左折、JR湖西線高架下をくぐり西進、真野IC口信号を右折して国道161号湖西道路へ側道を入り北上、道の駅藤樹の里あどがわのある藤樹神社口信号を右折Uターンして約300m南下したところで側道に入り、約150m南下した交差点東側に小川城跡の小さな案内板がある。


≪ 位置図 ≫

小川城


紹介したお城の数 298城



シンポジウム織田信長と謎の清水山城―近江・高嶋郡をめぐる攻防
新旭町教育委員会
サンライズ出版




近江の城―城が語る湖国の戦国史 (淡海文庫 (9))
中井 均
サンライズ印刷出版部

大溝城

2014-11-16 06:50:59 | 滋賀県
 大溝城

2014/10/1

滋賀県高島市のお城めぐり

 織田信長の甥織田信澄が築いた水城

≪ お城の概要 ≫

城名: 大溝城
よみ: オオミゾ
別称: 高島城
所在地: 滋賀県高島市勝野1667-14
現状: 大溝城跡
築城年代: 天正六年(1578)
築城者: 織田信澄
形式: 平城
遺構: 本丸天守台跡・石垣
規模: 600m×1,000m、標高86m
文化財: 市指定文化財
訪城日: 2009/12/25・2014/10/1


≪ 訪城記 ≫

打下城から大溝城へ向かう。

打下城登城口の日吉神社から徒歩で大溝城跡へ向かう。緩やかな坂道を降り、城山台自治会館横を左折、西進してJR湖西線高架下をくぐり、近江高島駅前を過ぎて近江高島駅口三叉路信号を斜め右折して約50m進んだ介護老人保健施設陽光の里東端に三の丸碑と大溝城案内板があるところを右に入り、施設沿いの道を南下すると左側の雑草池のような奥に石垣と竹林が見える。高島市民病院の駐車場柵沿いに進むと天守台跡正面に出る。徒歩約15分。
天守台跡石垣前に説明板と大溝城趾碑があり、天守台跡の石垣が残るのみです。
近江高島駅の駐車場前にも説明板がある。


大溝城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

天正六年 (1578) 織田信長の甥(信行の子)織田信澄が湖上交通の要港大溝港に大溝城を築く。縄張は明智光秀と伝わる。
天正十年六月二日 (1582) 明智光秀が謀反を起こし、本能寺の変で織田信長が討たれ、明智光秀の娘を妻としている織田信澄にも嫌疑がかかり、信澄は織田信長三男信孝と丹羽長秀に攻められ、大坂城二の丸千貫櫓で自害する。その後、大溝城主は丹羽長秀、長秀代官植田重安、加藤光泰、生駒親正、京極高次、織田三四郎、吉田修理と代わる。
元和五年 (1619) 伊勢上野から分部光信入部して旧大溝城に陣屋を構え大溝藩となり、以後、十三代続き明治維新を迎える。


≪ 写 真 ≫


大溝城天守台跡


天守台階段付近


大溝城趾碑


天守台南面石垣


天守台跡


天守台北側


天守台北西石垣


三の丸碑と案内板入口


現地説明板図面(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR湖西線近江高島駅から徒歩約10分。
<車>
名神高速大津ICを降りて大津IC口信号を左折、坂を北へ降りていき本宮二丁目南信号を左折、国道1号東海道とJR東海道本線高架下をくぐり、北上して琵琶湖に向かい、京阪電気鉄道石山坂本線踏切を渡ってすぐの打出浜交差点信号を左折、県道18号を西進、大津港口から国道161号を琵琶湖岸沿いに北上、琵琶湖大橋交差点信号を左折、JR湖西線高架下をくぐり西進、真野IC口信号を右折して国道161号湖西道路へ側道を入り北上、白髭神社を通り過ぎて約1.5㎞で近江高島駅方面へ行く三叉路分れ道を斜め左に入り、乙女が池沿いに北上、道が左に曲がった先の近江高島駅口三叉路信号手前の介護老人保健施設陽光の里東端に三の丸碑と大溝城案内板があるところを右に入り、施設沿いの道を南下すると左側の雑草池のような奥に石垣と竹林が見えるところが大溝城天守台跡です。駐車場は近江高島駅の駐車場を利用すると良い。


≪ 位置図 ≫

大溝城


紹介したお城の数 297城



近江の山城ベスト50を歩く
中井 均
サンライズ出版




近江城郭探訪―合戦の舞台を歩く
滋賀県教育委員会
滋賀県文化財保護協会

打下城

2014-11-15 05:58:16 | 滋賀県
 打下城

2014/10/1

滋賀県高島市のお城めぐり

 織田信長の甥織田信澄が拠点を大溝城に移す前の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 打下城
よみ: ウチオロシ
別称: 大溝古城・城山
所在地: 滋賀県高島市勝野
現状: 山
築城年代: 永正二年(1505)
築城者: 高島玄蕃允
形式: 山城
遺構: 中主郭・北主郭・小曲輪群・二重堀・畝堀・土塁・虎口・土橋・石垣跡
規模: 標高379m、比高255m
文化財:
訪城日: 2011/9/8・2014/10/1


≪ 訪城記 ≫

自宅から打下城へ向かう。

自宅を出て国道8号を北上、木之本三叉路信号を左折、北陸道木之本IC前を通り、賤ヶ岳トンネル、藤ヶ崎トンネルを通り、塩津三叉路信号を左折、国道303号を西進、岩熊トンネル、奥琵琶湖トンネルを通り、突き当りの野口三叉路信号を左折、マキノ追坂峠を下り、国道161号を西進、途中、大きく左に曲がり南下、道の駅藤樹の里あどがわを通り過ぎ、勝野で側道を降りて、国道勝野交差点信号を右折、高架下をくぐり県道296号を西進、勝野交差点信号を左折、県道300号を南下、近江高島駅口三叉路信号を右折、JR湖西線近江高島駅前を通り、湖西線高架下をくぐり、突き当りの城山台自治会館横交差点を右折、約130m北上したところを左折、約30m進んで左側に日吉神社があり、神社前に駐車スペースがある。ここに車を駐車させてもらう。

日吉神社南側の谷川を渡ってすぐを谷川に沿って進む。入口が笹の群生に隠れて判りにくいので注意。踏付け道があるので笹をかき分け進むと登城道に出る。
獣除け柵の扉を開けて、谷川沿いに登っていくと砂防ダムのある地点からつづら折りの急勾配道になり、途中ところどころに小さな案内板があり助かる。登り詰めたところに打下城と下の鼻打方向の分かれ道看板がある。
下の鼻打方向に行くと馬の足、下の鼻打へ行ける。
打下城方向へ進むと二重堀跡、畝堀跡のある中主郭下に出る。ロープを使って登る急な坂道を登り詰めると中主郭の土塁上に出る。ここが主郭で土塁に囲まれた円形の削平地で東側虎口前に説明板がある。虎口の出口左側に石垣跡が少し残っている。
登城口から中主郭まで約1時間30分もかかってしまった。
尾根伝いに東側へ降りていくと小曲輪群が見られ、約15分で北主郭に着く。
入口に土橋と虎口があり、ここも土塁に囲まれた円形の削平地で、馬蹄状になっている。東側虎口に石垣跡が残り、畝堀、小曲輪群がある。


≪ 歴 史 ≫

永正二年 (1505) 高島玄蕃允が長宝寺の廃寺後に打下城を築く。
元亀年間 (1570-73) 打下城城主は林与次左衛門員清であったが、織田信長の高島攻略により支配される。この林員清が打下城を築城したとも言われている。
天正元年 (1573) 磯野員昌が城主となる。員昌出奔後は、織田信長の弟信行の子信澄が城主となるが、天正六年(1578)、湖上交通の要港大溝港に大溝城を築き移る。


≪ 写 真 ≫


打下城中主郭虎口


中主郭虎口石垣跡


中主郭前の二重堀


縦状畝堀と土塁


中主郭土塁


中主郭


小曲輪群


北主郭西虎口と土橋


北主郭西虎口と土塁


北主郭土塁


北主郭東側の馬蹄状土塁


北主郭東虎口の石垣跡


分れ道


登城道


登城口付近


現地説明板図面(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR湖西線近江高島駅から徒歩約10分で登城口の日吉神社に着く。ここから主郭まで約1時間。
<車>
名神高速大津ICを降りて大津IC口信号を左折、坂を北へ降りていき本宮二丁目南信号を左折、国道1号東海道とJR東海道本線高架下をくぐり、北上して琵琶湖に向かい、京阪電気鉄道石山坂本線踏切を渡ってすぐの打出浜交差点信号を左折、県道18号を西進、大津港口から国道161号を琵琶湖岸沿いに北上、琵琶湖大橋交差点信号を左折、JR湖西線高架下をくぐり西進、真野IC口信号を右折して国道161号湖西道路へ側道を入り北上、白髭神社を通り過ぎて約1.5㎞で近江高島駅方面へ行く三叉路分れ道を斜め左に入り、乙女が池沿いに北上、大溝城跡を過ぎ、道が左に曲がったところの近江高島駅口三叉路信号を左折、JR湖西線近江高島駅前を通り、湖西線高架下をくぐり、突き当りの城山台自治会館横交差点を右折、約130m北上したところを左折、約30m進んで左側に日吉神社があり、神社前に駐車スペースがある。ここから主郭まで徒歩約1時間。


≪ 位置図 ≫

打下城


登城口の日吉神社


紹介したお城の数 296城



近江の山城ベスト50を歩く
中井 均
サンライズ出版




近江城郭探訪―合戦の舞台を歩く
滋賀県教育委員会
滋賀県文化財保護協会

佐久良城

2014-08-08 05:40:57 | 滋賀県
 佐久良城

2014/6/15

滋賀県日野町のお城めぐり

 下の山城と呼ばれる小倉氏の本城

≪ お城の概要 ≫

城名: 佐久良城
よみ: サクラ
別称: 下の城山
所在地: 滋賀県蒲生郡日野町佐久良
現状: 山
築城年代: 文明年間(1469-1487)
築城者: 小倉氏
形式: 山城
遺構: 主郭・帯曲輪・土塁・堀切・竪堀・虎口・大手門跡・搦手門跡・櫓跡・御馬洗い跡
規模: 東西約250m×南北160m、標高210m、比高約50m
文化財:
訪城日: 2010/8/1・2014/6/15


≪ 訪城記 ≫

長寸城から佐久良城へ向かう。

桜谷小学校前の県道525号を西に向かい、道が山にぶつかり大きく左に曲がったところの山が佐久良城跡で麓の小さな空き地に車を駐車する。

空き地の上に佐久良城趾碑と大きな説明板が建っていて、右側の道を登ってすぐに登城口があり、入口にパンフレットが置いてある。
山へ入って行くと獣除けの柵があり、扉を開いて中に入る。必ず閉めてください。
フェンス沿いに西へ入って行くと薄い土塁跡が見られ、さらに進んでいくと右側に堀切跡があり、その西側に土橋とその左右に深い竪堀があり、右側の竪堀を降りていくと入り組んだ竪堀群が見られる。土橋を渡った先が大手門跡の虎口で土塁に囲まれた主郭がある。虎口から入って右側の窪地が庭園跡だそうです。左側の土塁上を回ると南東隅と南西隅に土を盛った櫓跡があり、西側が搦手門跡で周遊路を巡っていくと北側に御馬洗い池跡がある。


≪ 歴 史 ≫

文明年間(1469-1487)に小倉実澄が築城したものと思われる。
永禄七年三月十六日 (1564) 小倉実澄の二代後に蒲生氏から養子として迎えた実隆が小倉右京太夫との合戦で討死する。


≪ 写 真 ≫


佐久良城趾碑と説明板


土橋前の堀切


大手門前の土橋


土橋右側の深い竪堀


竪堀群


大手門跡虎口


主郭土塁上


南東隅の櫓跡


南西隅の櫓跡


搦手門跡虎口


御馬洗い池跡


帯曲輪


主郭の土塁


主郭


登城口

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
近江鉄道本線日野駅からバスで佐久良バス停下車、徒歩約5分
<車>
新名神高速甲南ICを降りて広域農道を北上、新治口交差点信号を左折、広域農道を北西へ進み、杉谷南交差点信号を右折、県道132号を北上、途中県道49号に代わり矢川橋東三叉路交差点信号を左折、杣川沿いを北上、庚申口交差点信号を右折、国道307号近江グリーンロードを北上、松尾北交差点信号を右折、国道477号を東進、わたむきホール前を通り、河原西交差点信号を左折、県道508号を北上、中之郷交差点信号を左折、県道525号西進した桜谷小学校前を通って道が山にぶつかり大きく左に曲がったところの山が佐久良城跡で麓の小さな空き地に駐車可能。


≪ 位置図 ≫

佐久良城


登城口


紹介したお城の数 248城



近江の山城ベスト50を歩く
中井 均
サンライズ出版




近江城郭探訪―合戦の舞台を歩く
滋賀県教育委員会
滋賀県文化財保護協会