お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

下猫路砦

2013-11-10 08:40:13 | 大阪府
 下猫路砦

2013/11/2

大阪府千早赤阪村のお城めぐり

 楠木正成が上赤阪城と同時に築いた城砦群のひとつ

≪ お城の概要 ≫

城名: 下猫路砦
よみ: シモネコジ
別称: 下猫路城
所在地: 大阪府南河内郡千早赤阪村東阪
現状: 山
築城年代: 元弘年間(1331-34)
築城者: 楠木正成
形式: 砦
遺構: 曲輪・堀切・土橋
規模:
文化財:
訪城日: 2013/11/2


≪ 訪城記 ≫

上赤阪城の本丸下案内板に猫路城方向が書いてある。その方向へ山道を歩いて行くと約5分で堀切があり、その上の台地上に砦跡と書かれた小さな木杭がある。この小さな削平地が「日本城郭大系の城郭一覧」に載っている下猫路砦と思われる。左手方向には舌状の曲輪跡と思われる出曲輪がある。
上猫路砦方向へ向かうとすぐに土橋がある。


≪ 歴 史 ≫

元弘二年 (1332) 篠崎六郎が守備する。

≪ 写 真 ≫


下猫路砦手前の堀切


舌状の出曲輪


下猫路砦


土橋

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
近鉄長野線富田林駅からバスで水分下車、徒歩約60分で上赤阪城本丸。さらに進むこと約5分で下猫路砦跡。
<車>
阪和道美原北ICで降りて、阪和道下道の府道36号を阪和道沿いに南下、下黒山交差点信号を左折、国道309号を南下、かなん道の駅を過ぎて、神山南交差点信号を右折、国道309号を南下、森屋三叉路信号を斜めに右折、府道705号を南下、千早赤阪村役場手前のT字路を左折、千早赤阪村郷土資料館前を通り過ぎ、二河原辺集落を通り過ぎた交差点を右折、すぐに学校給食センターがあり、学校給食センター前のT字路を左折、少し登ったところに上赤阪城の登城口がある。この登城口前に駐車場有。


≪ 位置図 ≫

下猫路砦


紹介したお城の数 147城



城めぐりがもっと楽しくなる!お城の地図帳 (タツミムック)
クリエーター情報なし
辰巳出版

上赤阪城

2013-11-09 06:19:04 | 大阪府
 上赤阪城

2013/11/2

大阪府千早赤阪村のお城めぐり

 鎌倉幕府の大軍を相手に防戦した楠木正成の本城

≪ お城の概要 ≫

城名: 上赤阪城
よみ: カミアカサカ
別称: 小根田城・桐山城・楠木本城
所在地: 大阪府南河内郡千早赤阪村桐山
現状: 山
築城年代: 元弘年間(1331-34)
築城者: 楠木正成
形式: 山城
遺構: 一の木戸・二の木戸・三の木戸・四の木戸・そろばん橋跡・二の丸(東の城)・茶碗原・本丸・腰曲輪
規模: 標高352m、比高150m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2013/11/2


≪ 訪城記 ≫

千早城から上赤阪城へ向かう。

一休茶屋の駐車場を出て府道705号を千早赤阪村役場方面へ戻る。上東阪集落を通り越して、次の下東阪集落へ入る手前の三叉路を右折、山の方へ入って行く。約1km走ったY字三叉路を右へ進み、学校給食センター手前の橋の前に、道の左側のみかん畑前に学校給食センターの駐車場がある。ここに車を駐車させてもらう。

学校給食センター前の南に入る案内板のある道を山へ登っていくと、駐車場があり、ここにも案内板がる。駐車場から山へ入る分かれ道があり、右側の道を登って行くと、畝道の入口左側に説明板がある。この辺りが一の木戸です。
畝道を登っていくと、小さな説明板のあるところが二の木戸、さらに進むと同じように小さな説明板があり、三の木戸です。
約15分でそろばん橋に着く。さらに約5分登ると本丸と二の丸の分かれ道に着く。ここが茶碗原と呼ばれるところで台所のあった場所だそうです。
まずは左側の二の丸(東の城)へ登る。すぐに杉林の小さな削平地に着く。ここが二の丸で東側下に腰曲輪が二段あります。
二の丸を降りて、茶碗原を通って本丸へ、本丸下に案内板があり、斜面を登ったところが千畳敷で西に進むと展望台のようなところに出る。展望台の先に大きな楠木城址碑と小さな上赤阪城趾碑が重なって建っている。展望台から下を覗くと腰曲輪が見える。
本丸の東側へ行くと二段曲輪になっていて、南側に降りていく道があり、降りたところに腰曲輪が広がっている。


≪ 歴 史 ≫

楠木正成が再挙をするときに千早城とともに整備して、大将に平野将監、副将に楠木正季を配していた。
元弘三年 (1333) 鎌倉幕府の大軍に包囲され、水路を絶たれ、本宮砦、猫路砦の搦手を落され、籠城十日で落城した。


≪ 写 真 ≫


学校給食センター前の登城口


一の木戸前の登城口


一の木戸付近


二の木戸付近


三の木戸付近


そろばん橋


四の木戸付近


本丸と二の丸の分かれ道


二の丸(東の城)


二の丸東側下の腰曲輪


本丸西側の展望台


楠木城址碑と上赤阪城趾碑


本丸西側下の腰曲輪


本丸東側の二段曲輪


本丸南側下の腰曲輪


本丸西側の切岸


本丸下の案内板


現地案内板案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
近鉄長野線富田林駅からバスで水分下車、徒歩約60分。
<車>
阪和道美原北ICで降りて、阪和道下道の府道36号を阪和道沿いに南下、下黒山交差点信号を左折、国道309号を南下、かなん道の駅を過ぎて、神山南交差点信号を右折、国道309号を南下、森屋三叉路信号を斜めに右折、府道705号を南下、千早赤阪村役場手前のT字路を左折、千早赤阪村郷土資料館前を通り過ぎ、二河原辺集落を通り過ぎた交差点を右折、すぐに学校給食センターがあり、学校給食センター前のT字路を左折、少し登ったところに上赤阪城の登城口がある。この登城口前に駐車場有。


≪ 位置図 ≫

上赤阪城


登城口


紹介したお城の数 146城



ビジュアル百科 日本の城1000城 1冊でまるわかり!
大野 信長,加唐 亜紀,有沢 重雄
西東社

千早城

2013-11-05 21:51:44 | 大阪府
 千早城

2013/11/2

大阪府千早赤阪村のお城めぐり

 鎌倉幕府の大軍を攻防の末、撃退した楠木正成の詰城 日本100名城

≪ お城の概要 ≫

城名: 千早城
よみ: チハヤ
別称: 楠木詰城・金剛山城
所在地: 大阪府南河内郡千早赤阪村千早
現状: 山・千早神社
築城年代: 正慶元年(元弘二年、1332)
築城者: 楠木正成
形式: 山城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・四の丸・茶屋の壇
規模: 標高670m、比高250m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2013/11/2


≪ 訪城記 ≫

自宅から千早城へ向かう。

名神高速道路から吹田JCTから近畿道、松原JCTから阪和道を通り美原北ICで降りて、阪和道下道の府道36号を阪和道沿いに南下、下黒山交差点信号を左折、国道309号を南下、かなん道の駅を過ぎて、神山南交差点信号を右折、国道309号を南下、森屋三叉路信号を斜めに右折、府道705号を南下、千早赤阪村役場を通り過ぎ、奥へ奥へと山の中進んでいく。千早集落に入り道が大きく左に曲がったとところの金剛山登山口バス停付近の一休茶屋横と山側に有料駐車場があり、一休茶屋横の駐車場に車を駐車する。

一休茶屋前の道の山側に公衆便所があり、その前に案内板がある。その横の千早神社へ登る急な石段の参道道を登ること約15分で千早城跡茶屋のある広い四の丸に着く。
参道を歩き、また石段を登ると三の丸、三の丸へ着いた左手に千早城趾碑が建っている。
その上へ石段を登ると二の丸で千早神社境内で、奥の石段を登ったところに社殿があります。
千早神社まで約25分。
社殿へ登る石段右側の山道を進むとコンクリート製の休憩所があり、休憩所の北側、社殿の裏山の頂上に石垣で整地されたところがあり、ここが本丸のようです。さらに北側にも削平地が広がっていて曲輪跡のようです。
休憩所から東側の山道を抜けると金剛山への登山道に出ます。


≪ 歴 史 ≫

正慶元年四月 (1332) 赤阪城を落ちた楠木正成が再起のために築城する。
正慶二年二月 (1333) 千早城に籠城した楠木正成が、鎌倉幕府の大軍を奇策を用いて撃退する。
その後、千早城は楠木氏の根拠地として、正行、正儀、正勝と続く。
明徳三年正月 (1392) 楠木正成の孫正勝のとき、畠山基国に攻められ落城し、廃城となった。


≪ 写 真 ≫


千早城登城口


千早城登城道の石段


四の丸入口


四の丸


三の丸入口の石段


三の丸


三の丸にある千早城趾碑


二の丸


千早神社社殿


本丸東側削平地


本丸


現地案内板案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
南海高野線・近鉄長野線河内長野駅から南海バス「金剛山ロープウェイ前行き」で約35分「金剛登山口」下車、徒歩約20分。または、近鉄長野線富田林駅から金剛バス「金剛山ロープウェイ前行き」で約35分「金剛登山口」下車、徒歩約20分。
<車>
阪和道美原北ICで降りて、阪和道下道の府道36号を阪和道沿いに南下、下黒山交差点信号を左折、国道309号を南下、かなん道の駅を過ぎて、神山南交差点信号を右折、国道309号を南下、森屋三叉路信号を斜めに右折、府道705号を南下、千早赤阪村役場を通り過ぎ、奥へ奥へと山の中進んでいく。千早集落に入り道が大きく左に曲がったとところの金剛山登山口バス停付近の一休茶屋横と山側に有料駐車場がある。他にも付近に有料駐車場有。


≪ 位置図 ≫

千早城


千早城登城口


紹介したお城の数 145城



日本100名城公式ガイドブック―日本の文化遺産「城」を見に行こう (歴史群像シリーズ)
福代徹,日本城郭協会
学習研究社

若江城

2013-08-06 05:08:39 | 大阪府
 若江城

2013/7/13

大阪府東大阪市のお城めぐり

 織田信長が石山本願寺攻めに使用したお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 若江城
よみ: ワカエ
別称:
所在地: 大阪府東大阪市若江北町・若江南町
現状: 若江公民館・若江幼稚園・神社・若江小学校
築城年代: 明徳・応永年間(1390-1428)
築城者: 畠山基国
形式: 平城
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2012/9/23・2013/7/13


≪ 訪城記 ≫

積善寺城から若江城へ向かう。

「美笹のゆ」の駐車場を出て積善橋北信号を左折、府道40号を北西に進み、側道を降りて畠中2丁目信号を右折、府道40号高架下をくぐり国道26号第二阪和国道を北上、道なりに進み葛の葉町北交差点信号を右折、堺泉北有料道路下の側道、府道36号を堺泉北有料道路沿いに東へ進み、途中に阪和道の側道に替わり、そのまま府道36号を進む、美原JCT付近で府道2号中央環状線に替わり北上、大和川に架かる新明治橋を渡り、さらにそのまま進み、近畿道の側道に替わり、巨摩橋西信号を右折、近畿道高架下をくぐり、府道24号を東へ約300m、道の北側のゲオ東大阪若江店の駐車場に車を駐車させてもらう。

ゲオから徒歩で府道24号沿いの道を東へ約250m行くと道の北側に若江公民館があり、公民館の南西隅の一角に説明板が建てられている。
公民館の東側信号を渡った道の南側に小さな神社があり、神社道側に若江城址碑が建っている。
若江小学校を含むこの一帯が若江城跡で遺構は何もない。


≪ 歴 史 ≫

明徳・応永年間 (1390-1428) 河内守護畠山氏が築城し、代々守護代遊佐氏が居城した。
宝徳二年 (1450) 基国の孫持国の子義就と養子政長の対立抗争から持国の死後、義就が河内国に下り、遊佐氏の守る若江城に入った。
応仁元年 (1467) 義就と政長の抗争をきっかけに応仁・文明の大乱が起こる。
文明九年 (1477) 応仁・文明の乱は終結したが、その後も義就と政長は河内・大和で戦闘を繰り返し、若江城は義就方が占拠する。
天文初年頃 近江守護佐々木六角氏の配下、若江下野守兼俊が居城する。
天文六年 (1537) 若江兼俊が佐々木氏に背き、佐々木氏の大軍に攻められ、開城降伏し、兼俊父子は高野山に追放、跡に堀江河内守時秀が城主として配され、以後、若江河内守実高、若江下野守行綱、堀江河内守実達、山田豊後守定兼と替わった。
永禄七年 (1564) 三好長慶の子義継が三好三人衆と対立していた松永久秀に擁立され信貴山城に入ったが、永禄十一年(1568)、織田信長から河内国北半分を与えられ若江城に入城する。
天正元年七月 (1573) 将軍足利義昭が織田信長に反旗を翻し、槇嶋城に籠城するが敗れ、十一月には義継の若江城も攻められ、内応者が続出し若江城は陥落、義継は自害する。若江城は池田丹後守教正に与えられた。
天正三年四月 (1575) 高屋城に籠る三好笑岩(康長)を攻めるため織田信長が若江城に着陣する。石山本願寺攻めの重要拠点として若江城は残される。
天正四年五月 (1576) 石山本願寺攻めに若江城に着陣・宿泊。
天正五年二月 (1577) 和泉・雑賀攻めに若江城に着陣・宿泊。
天正六年九月 (1578) 堺出張に着陣・宿泊。
天正八年四月 (1580) 石山本願寺が開城・退去したのち若江城は破却され、池田教正は八尾城へ移った。


≪ 写 真 ≫


若江公民館前の説明板


道の南側の神社


神社の若江城址碑

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
近鉄奈良線若江岩田駅から徒歩約20分。
<車>
近畿道東大阪南ICを降りて巨摩橋西信号を右折、近畿道高架下をくぐり、府道24号を東へ約550m、道の北側若江公民館前に説明板、道の南側神社に若江城址碑。
駐車場はない。


≪ 位置図 ≫

若江公民館


紹介したお城の数 105城



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積善寺城

2013-08-05 15:26:24 | 大阪府
 積善寺城

2013/7/13

大阪府貝塚市のお城めぐり

 根来衆が岸和田城の付城として築いたお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 積善寺城
よみ: シャクゼンジ
別称:
所在地: 大阪府貝塚市橋本
現状: 住宅街
築城年代: 桃山時代
築城者: 根来寺衆
形式: 平城
遺構:
規模: 東面140m、西面170m、南面220m、北面240m
文化財:
訪城日: 2012/9/23・2013/7/13


≪ 訪城記 ≫

岸和田城から積善寺城へ向かう。

岸和田市役所第4駐車場を出て岸和田城と岸和田市役所の前を通り過ぎ、岸和田本町信号を右折、府道を北東に進み、堺町交差点信号を右折、府道39号を南東に進み、南海本線の高架をくぐり、JR阪和線の高架下をくぐり、次の土生交差点信号を右折、府道30号を南西に進み、積善橋北交差点信号を斜めに渡り、交差点南側の「美笹のゆ」の駐車場に車を駐車させてもらう。

「美笹のゆ」駐車場から府道30号沿いに南西に歩き、隣の貝塚中央病院と近木川に架かる橋の手前に説明板が建っているのみで、遺構はない。
橋を渡った橋本集落内が城跡のようです。


≪ 歴 史 ≫

永禄元年 (1558) 根来衆が三好氏と争った際に砦を作ったのが始まりと言われている。
天正十二年 (1584) 小牧長久手の戦いに豊臣秀吉が出陣している隙を狙って一揆勢が岸和田城を囲んだ付城の一つが積善寺城で、岸和田城を攻撃したが、逆に中村一氏の反撃にあって敗れ、落城放火される。
天正十三年 (1585) 秀吉の根来・雑賀征伐の時には、卜半斎了珍の仲介で和談開城している。太田城が水攻めによって陥落したのち、積善寺城も破却されたと言われている。


≪ 写 真 ≫


貝塚中央病院と近木川の間の説明板


説明板根来出城配置図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR阪和線和泉橋本駅から徒歩約500m、約10分。
<車>
阪神高速4号湾岸線貝塚ICを降りて貝塚ランプ南信号を左折、次の脇浜西信号を右折、府道40号を南東へ進み、積善橋北信号を斜めに右折した貝塚中央病院前付近。
駐車場なし。


≪ 位置図 ≫

貝塚中央病院と近木川の間の説明板


紹介したお城の数 104城



城めぐりがもっと楽しくなる!お城の地図帳 (タツミムック)
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