お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

小山城

2014-06-13 06:00:04 | 静岡県
 小山城

2014/5/5

静岡県吉田町のお城めぐり

 武田軍と徳川軍が攻防を繰り返した境目のお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 小山城
よみ: コヤマ
別称:
所在地: 静岡県榛原郡吉田町片岡
現状: 能満寺公園
築城年代: 元亀二年(1571)
築城者: 武田信玄
形式: 平山城
遺構: 模擬天守・曲輪・三重堀・馬出・三日月堀・空堀・土塁・勘助井戸
規模: 200m×150m、標高30m、比高20m
文化財:
訪城日: 2014/5/5


≪ 訪城記 ≫

諏訪原城から小山城へ向かう。

諏訪原城の見学者用駐車場を出て西側の交差点を左折、県道234号を南下、次の交差点を直進、茶畑の丘を進み道が左へ大きく曲り東進した空港入口北交差点信号をそのまま東進、道が右に大きく曲がった空港入口東交差点信号を左折、県道73号を東進した富士山静岡空港交差点信号を右折、県73号を南東へ進み工業団地を抜けて坂部交差点信号を左折、坂口谷川沿いを進み県道79号へ出る交差点信号を左折、川を渡り東名高速の高架下をくぐり、次の三叉路を県道79号のまま左折、道が曲り信号手前の交差点を右折、しばらく進み道が大きく左に曲がり、約1km進み道が右に曲がったところの道の左側に能満寺があり、手前に駐車スペースがある。ここに車を駐車する。

駐車場北側に虚空蔵尊へ登る石段を登った先に小山城へ出る別れ階段があり、登り切った先に空堀のある馬出付近に出る。
城の中央部分に馬出と三日月堀が復元されていて東側の三角形の削平地が本郭です。
南側には模擬天守が建てられていて入場料200円で見学できます。
西側には三日月型の空堀が三段になった三重堀が現存していて、北側には大手門があり、近くの堀内に勘助井戸跡があります。


≪ 歴 史 ≫

元亀元年 (1570) 大井川を挟んで武田軍と徳川軍の間で領有を争い、結果、松平氏の領有するところとなる。
元亀二年 (1571) 武田軍の大軍に攻められ、武田方の領有となり、武田信玄が馬場美濃守信房に修築させ、本格的な築城をして、大熊備前守長秀が守将となる。
天正三年五月 (1575) 武田勝頼が長篠合戦で織田・徳川連合軍に大敗を喫し、以後、大井川付近で徳川軍と対峙状態が続く。
天正八年五月 (1580) 徳川軍が用宗・田中両城を攻め武田勢は孤立、翌月には小山城の兵糧が遮断される。
天正九年三月 (1581) 高天神城が徳川軍に攻略される。
天正十年二月 (1582) 小山城の城兵が退去し、二十六日、徳川軍に占領される。以後、廃城になったようです。


≪ 写 真 ≫


小山城模擬天守


本郭


復元された空堀


復元された馬出


空堀と土橋


正面からの模擬天守


大手付近からの模擬天守


三重堀


大手門


勘助井戸と三重堀


南からの三重堀


模擬天守から見る馬出と三日月堀


登り口

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線島田駅からバスで吉田高校前バス停下車、徒歩約5分。
<車>
東名高速吉田ICを降りて吉田IC入口信号を右折、県道34号を南下して突き当りを道なりに右に曲がり、神戸南交差点信号を左折、県道34号を南下して湯日川を渡って約200m進んだ交差点信号を右折、約70m西進した三叉路を右折して約150m北上した道が曲るところに能満寺があり、手前に駐車スペースがある。ここから階段を登った丘の上が小山城です。


≪ 位置図 ≫

小山城


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戦国の山城―山城の歴史と縄張を徹底ガイド (歴史群像シリーズ)
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諏訪原城

2014-06-12 06:15:04 | 静岡県
 諏訪原城

2014/5/5

静岡県島田市のお城めぐり

 徳川家康に牧野城と改名され、武田軍と徳川軍が戦った高天神城争奪戦の陣城

≪ お城の概要 ≫

城名: 諏訪原城
よみ: スワハラ
別称: 牧野城・牧野原城・扇城
所在地: 静岡県島田市金谷
現状: 山林・諏訪神社・茶畑
築城年代: 永禄十二年(1569)
築城者: 武田信玄
形式: 台城
遺構: 本曲輪・二の曲輪・大手曲輪・水の手曲輪・惣曲輪・二の曲輪北馬出・二の曲輪中馬出・二の曲輪大手馬出・二の曲輪東内馬出・二の曲輪東馬出・二の曲輪南馬出・大手北外堀・大手南外堀・三日月堀・空堀・土塁・土橋・虎口・カンカン井戸
規模: 450m×420m、標高218m、比高148m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/5/5


≪ 訪城記 ≫

ホテルから諏訪原城へ向かう。

県道354号を南西に進み、南安倍3丁目交差点信号を右折、インター通りを北上、JR東海道本線・東海道新幹線高架下をくぐり、南安倍交差点信号を左折、国道1号を西進、国道1号藤枝バイパスを道なりに進み、大井川に架かる新大井川橋を渡り、金谷河原付近で側道を通って国道473号に出て南下、金谷扇町交差点信号を右折、宮崎町信号を直進、金谷小学校南側を通って、金谷駅北三叉路信号を斜め右折、道が大きく左へ曲がり、すぐに右へカーブして、ホテルのある大きな交差点を左折、県道234号を約400m南下した諏訪原城案内板のある交差点を左折してすぐの道の左側に諏訪原城見学者用の駐車場がある。ここに車を駐車する。

駐車場からの入口に説明板とパンフレットが置いてある。
案内順路に従い北に歩くと大手南外堀、茶畑になっている大手曲輪、大手北外堀、茶畑の中に武田方の今福浄閑戦死墓塚が建てられている。茶畑の東側に二の曲輪があり、間の空堀にはスケールの大きさに感嘆、とても深い空堀は北の断崖まで続き、惣曲輪前に新しい諏訪原城趾碑と説明板が建てられてる。二の曲輪中馬出もスケールが大きく、三日月堀も深い、土橋を渡り虎口を入ると広々とした二の曲輪の北側で南側との中央に仕切土塁が見られる。本曲輪を囲む空堀を土橋で渡り、虎口を入ると広い本曲輪で中央付近が天守台跡ようで少し高く盛り上がっている。東端に搦手口があり、斜面を降りていくと段になった曲輪と空堀が見られる。南へ向かう本曲輪の空堀内のカンカン井戸跡、南へ続く谷の下に水の手曲輪があり、今も水が出ている。カンカン井戸から西へ出ると二の曲輪南側に出る。さらに南の杉林を進むと二の曲輪東内馬出、二の曲輪東馬出、二の曲輪南馬出の三つの丸馬出があり、ここの三日月堀も深い、諏訪神社のあるところが二の曲輪大手馬出で、ここにも三日月堀が見られ、諏訪神社にも説明板と諏訪原城趾碑がある。
とにかく空堀の深さにと大きさにはビックリです。この城は見た目は、平城に見えますが、台地の頂上に築かれています。


≪ 歴 史 ≫

永禄十二年 (1569) 武田信玄の命で築城の名手馬場美濃守信房が諏訪原城を築き、城主となる。
天正元年 (1573) 高天神城攻めに備え武田勝頼の命により、馬場信房、武田信豊が再び築城し、今福丹波守顕倍が守将となる。
天正三年六月 (1575) 徳川軍が諏訪原城を攻め、約二か月の包囲攻撃に城兵は耐えたが、八月二十四日、諏訪原城を捨て小山城へ後退する。諏訪原城は徳川方の有するところとなり、松平周防守康親を城将とし、城名も牧野原城と改名する。
天正六年八月 (1578) 松平家忠が修築をし、板倉勝重が兵糧を入れる。
天正九年 (1581) 高天神城が落城し、牧野原城も必要がなくなる。
天正十年 (1582) 城主松平康親が三枚橋城に移り、明き城となる。
天正十八年 (1590) 徳川家康の関東移封にともない廃城になったと思われる。


≪ 写 真 ≫


諏訪原城二の曲輪中馬出の三日月堀


本曲輪


天守台地


本曲輪の空堀


本曲輪の虎口と土橋


二の曲輪仕切土塁


二の曲輪空堀


惣曲輪


二の曲輪北馬出と空堀


二の曲輪中馬出


二の曲輪中馬出の三日月堀と土橋


大手北外堀


今福浄閑戦死墓塚


大手曲輪


大手南外堀


搦手口


搦手口の空堀


カンカン井戸


水の手曲輪


二の曲輪南側


広い二の曲輪


二の曲輪東内馬出


二の曲輪東内馬出の三日月堀


二の曲輪東馬出


二の曲輪東馬出の三日月堀


二の曲輪南馬出


二の曲輪大手馬出の諏訪神社


二の曲輪大手馬出の三日月堀


諏訪原城の入口


現地諏訪原城縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線金谷駅から徒歩約30分。
<車>
新東名高速島田金谷ICを降りて左へ曲がり、国道473号を南下、金谷扇町交差点信号を右折、宮崎町信号を直進、金谷小学校南側を通って、金谷駅北三叉路信号を斜め右折、道が大きく左へ曲がり、すぐに右へカーブして、ホテルのある大きな交差点を左折、県道234号を約400m南下した諏訪原城案内板のある交差点を左折してすぐの道の左側に諏訪原城見学者用の駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

諏訪原城


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小島陣屋

2014-06-08 06:23:10 | 静岡県
 小島陣屋

2014/5/4

静岡県静岡市のお城めぐり

 滝脇松平氏の松平信治が築いた小島藩の陣屋

≪ お城の概要 ≫

城名: 小島陣屋
よみ: オジマ
別称:
所在地: 静岡県静岡市清水区小島本町
現状: 茶畑
築城年代: 宝永元年(1704)
築城者: 松平信治
形式: 平山城
遺構: 石垣・石塁・桝形表門跡
規模: 150m×240m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/5/4


≪ 訪城記 ≫

丸子城から小島陣屋へ向かう。

駿府匠宿第1駐車場を出て駿府匠宿入口信号を右折、国道1号を西進してすぐに側道へ入り、国道1号静清バイパスの高架下をくぐって右折、側道を進み国道1号静清バイパスに合流、北東に進み丸子藁科トンネルを通り、藁科川に架かる藁科川橋を渡り、安倍川に架かる安倍川大橋を渡り、賤機山トンネルを通り道なりに静清バイパスを東進、東名高速清水IC入口を通過して駿河湾沿いに進み、興津中町で側道に入り、興津中町信号を左折、国道52号を北上、JR東海道本線を越え、東名高速の高架下をくぐり、東海道新幹線の高架下をくぐり、道が大きく左に曲がり、今度は右に曲がった小島南交差点信号を左折、斜め右に曲がり250m北上した突き当りを左に曲がり、酒瓶神社前を通って約200m山側へ道を登って行った道の左側茶畑の前に説明板がある。この付近が小島陣屋です。車は説明板付近の道が曲がったところの広がった側道があり、ここに駐車させてもらいました。

この付近は一面茶畑で説明板付近が陣屋裏門跡で、説明板の北側、石塁跡から入れます。茶畑の真ん中に小島陣屋跡と書かれた看板のある広場があり、この付近が御殿跡のようです。茶畑の道の段差に石塁や石垣が残り、南側に降りていくと桝形表門跡の石垣が見られます。表門付近の石垣が良く残り、東の住宅付近が馬場跡のようです。
残念なことは石垣付近にゴミが散乱していて保存状態が気になります。


≪ 歴 史 ≫

宝永元年 (1704) 五代将軍綱吉の若年寄となった滝脇松平氏の松平信孝が永禄三年(1690)十月、戸田和泉守重恒の次男信治を養子に迎え、信治が跡を継ぎ、駿河国に領地を移され、小島村に陣屋を築き、小島藩を称した。
享保六年 (1721) 丹波亀山藩主松平(形原)紀伊守信庸の六男信嵩を養子とする。
享保九年 (1724) 信嵩が跡を継ぐ。
享保十六年七月 (1731) 信嵩が没し、子の昌信が継ぐ。
明和八年六月 (1771) 昌信が没し、養子の越後村松藩主堀丹後守直堯の次男信義が継ぎ、以後、信圭、信友、信賢、信進、信書、信敏と続き、明治維新を迎える。
明治元年五月 (1868) 徳川家達が駿河・遠江を領したため、松平信敏は姓を滝脇に改め、上総国望陀郡桜井に転封となり、小島陣屋は廃された。


≪ 写 真 ≫


小島陣屋説明板付近


小島陣屋御殿跡付近


石垣


南側の石垣


表門付近の石垣


馬場跡


表門の石垣


桝形表門跡


裏門跡


入口


現地小島陣屋見取図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線興津駅からバスで約15分、栗原バス停下車、徒歩約10分。
<車>
東名高速清水ICを降りて清水IC入口から国道1号静清バイパスを駿河湾沿いに進み、興津中町で側道に入り、興津中町信号を左折、国道52号を北上、JR東海道本線を越え、東名高速の高架下をくぐり、東海道新幹線の高架下をくぐり、道が大きく左に曲がり、今度は右に曲がった小島南交差点信号を左折、斜め右に曲がり250m北上した突き当りを左に曲がり、酒瓶神社前を通って約200m山側へ道を登って行った道の左側茶畑の前に説明板がある。この付近が小島陣屋です。車は説明板付近の道が曲がったところの広がった側道に駐車可能です。


≪ 位置図 ≫

小島陣屋


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織田信長家臣人名辞典
谷口 克広
吉川弘文館

丸子城

2014-06-07 14:38:32 | 静岡県
 丸子城

2014/5/4

静岡県静岡市のお城めぐり

 今川氏七代氏親が斎藤氏の居城を拡張した駿府の支城

≪ お城の概要 ≫

城名: 丸子城
よみ: マリコ
別称: 鞠子城・宇津谷城・赤目ヶ谷砦・三角城
所在地: 静岡県静岡市駿河区丸子
現状: 山
築城年代: 応永年間(1394-1428)・明応二年(1493)
築城者: 斎藤安元・今川氏親
形式: 山城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・北曲輪・東曲輪・大鈩曲輪・袖曲輪・大手曲輪・外曲輪・馬出曲輪・三日月堀・大西堀・横堀・竪堀・堀切・土塁・土橋・桝形虎口・喰違い虎口・平虎口
規模: 800m×350m、標高136m、比高100m
文化財:
訪城日: 2014/5/4


≪ 訪城記 ≫

ホテルから丸子城へ向かう。

静岡駅前を通る国道1号東海道に出て南西方向に進み、安倍川に架かる駿河大橋を渡り、佐渡三叉路信号付近で西へ向かい、駿府匠宿入口三叉路信号を斜め右折、静清バイパス高架前右側に有料の駿府匠宿第1駐車場がある。ここに車を駐車する。

駐車場から徒歩で静清バイパス高架下をくぐり、駿府匠宿へ入り、駿府匠宿おもしろ体験館の南側の路地を西へ入って行った山裾に案内板のある登城口がある。
急な階段を登ること約10分で丸子稲荷神社に着く。縄張図付の説明板もあります。
ここから細長い尾根伝いの外曲輪(駐屯地)が続き、いきなり大手曲輪手前の三日月堀が目に入り、土橋を入ると大手曲輪、竪堀を挟み北曲輪に入ります。北曲輪の北側に高い土塁跡が残り、この土塁の北側に堀切があり、痩せた尾根が続きます。
北曲輪の南西側の堀切を挟んだ台地上の曲輪が三の丸、次に竪堀で区切られた二の丸、続いて堀切を越えたら本丸入口の桝形虎口、そして広い本丸に入ります。外曲輪から本丸まで約20分。
本丸桝形虎口の両脇に土塁跡が残り、西側奥に説明板があり、東側の平虎口から袖曲輪に続きます。西側には喰違い虎口を降りて馬出曲輪、大鈩曲輪に続き、この付近の深い空堀と大鈩曲輪の三日月堀は見ごたえがあります。さらに本丸西側下には横堀が続き、竪堀も多数あり感動します。


≪ 歴 史 ≫

応永年間 (1394-1428) 今川氏の被官斎藤加賀守安元によって築かれ、斎藤氏代々の居館としていたようです。
明応二年 (1493) 今川氏親が遠江・駿河への進出をするため、斎藤氏の丸子城を接収して府中防禦を固めるために城域の拡張をする。
永禄十一年十二月 (1568) 甲斐の武田信玄が駿河へ侵攻し、丸子城は今川勢が退き、武田方の城となり、山県昌景が駐屯する。
永禄十三年 (1570) 武田信玄は駿河を平定し、丸子城に諸賀兵部大輔、関甚五兵衛を在番に置く。
天正六年 (1578) 城将が屋代勝永に代わる。
天正九年三月 (1581) 高天神城落城前に武田勢は徳川軍に城を開け渡し退去する。徳川家康は丸子城に松平備後守を入れる。
天正十八年 (1590) 徳川家康の関東移封にともない廃城となる。


≪ 写 真 ≫


丸子城本丸


本丸土塁


本丸喰違い虎口


本丸平虎口


本丸桝形虎口


二の丸西側の横堀と土塁


本丸と二の丸の間の堀切


二の丸


二の丸と三の丸の間の堀切


北曲輪


北曲輪の土塁


北曲輪と大手曲輪の間の竪堀


大手曲輪


大手曲輪入口の土橋


大手曲輪の三日月堀


外曲輪(駐屯地)


袖曲輪


馬出曲輪


馬出曲輪と大鈩曲輪の間の堀切


大鈩曲輪の三日月堀


大鈩曲輪


本丸西側の横堀


大西堀


丸子稲荷神社


急な大手登城道


山裾の大手登城口


駿府匠宿おもしろ体験館からの入口


現地縄張図(リンク付サムネイル)


現地丸子城主郭見取図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線・東海道新幹線静岡駅からバスで約30分、吐月峰入口バス停下車。ここから駿府匠宿を経て本丸まで徒歩約30分。
<車>
東名高速静岡ICを降りて静岡IC出口信号を右折、インター通りを北上、JR東海道本線・東海道新幹線高架下をくぐり、南安倍交差点信号を左折、安倍川に架かる駿河大橋を渡り、佐渡三叉路信号付近で西へ向かい、駿府匠宿入口三叉路信号を斜め右折、静清バイパス高架前右側に有料の駿府匠宿第1駐車場がある。ここから駿府匠宿を経て本丸まで徒歩約30分。


≪ 位置図 ≫

丸子城


大手登城口(駿府匠宿おもしろ体験館)


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賤機山城

2014-06-01 07:21:34 | 静岡県
 賤機山城

2014/5/4

静岡県静岡市のお城めぐり

 今川氏居館「府中館」の詰城

≪ お城の概要 ≫

城名: 賤機山城
よみ: シズハタヤマ
別称: 龍鼻砦
所在地: 静岡県静岡市葵区大岩・昭府町
現状: 山・賤機山公園
築城年代: 応永十七年(1410)
築城者: 今川範政
形式: 山城
遺構: 曲輪・土塁・堀切
規模: 500m×50m、標高180m、比高150m
文化財:
訪城日: 2014/5/4


≪ 訪城記 ≫

駿府城から徒歩で賤機山城へ向かう。

駿府城坤櫓から大手門跡を出て、静岡県庁前の御幸通りを北西に進み、浅間神社へ向かう浅間通り商店街を抜けて突き当りの大歳御祖神社へ入り、門を入った左側に賤機山古墳に登る階段がある。この階段を登り賤機山ハイキングコースを進み、賤機山古墳、麓山神社横を通り、約15分で慰霊塔のある広場着く。観世音菩薩像の右奥から下りのハイキングコースとなり、尾根道を約10分進むと深い堀切に出る。さらに登り道が右に曲がった辺りに土塁跡と削平地があり、左側の尾根を降りていくと出丸らしき尾根先の曲輪がある。右に曲がった土塁跡まで戻り、さらに痩せた尾根伝いに進むこと約15分で道の右側に土塁に囲まれた説明板と賤機山城塞阯碑のある小さな曲輪に着く。ここが本丸であまりに目立たないので通り過ぎてしまうところでした。本丸南側にも曲輪があり、道側に土塁跡、北側には二段の削平地と分かりにくい堀切がある。

浅間神社から100段の急な石段を登って賤機山古墳まで行くこともできる。ここからは賤機山ハイキングコースを登る。


≪ 歴 史 ≫

応永十七年~十八年 (1410-11) 今川氏四代範政が南北朝動乱期に南朝方の狩野氏の安倍城に備えて築城したと思われる。
永禄十一年十二月 (1568) 武田信玄の駿府侵入によって、その支配に降ったが、北条軍の援軍を警戒し武田軍は一時帰国する。
永禄十三年 (1570) 武田信玄が再び駿府侵攻、府中に籠る今川勢を下し、駿河を手中にする。
天正十年 (1582) 徳川家康の駿府入りによって賤機山城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


賤機山城本丸


賤機山城塞阯碑


本丸北側の土塁


本丸南側の土塁


南側の曲輪


北側一段目の曲輪


北側二段目の曲輪


北側の堀切


最初の深い堀切すぐの土塁


最初の深い堀切


最初の堀切


供養塔のある広場


賤機山古墳


賤機山古墳に登る階段登城口


大歳御祖神社


現地賤機山ハイキングコース案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線・東海道新幹線静岡駅からバスで約15分。赤鳥居バス停下車、賤機山ハイキングコースを約40分で本丸に着く。
<車>
東名高速静岡ICを降りて静岡IC入口信号を右折、インター通りを北西に進み、東海道新幹線とJR東海道本線の高架下をくぐり、南安倍交差点信号を右折、線路沿いの国道1号東海道を進み、静岡駅前信号を左折、御幸通りを北西に進み静岡県庁前に出る。付近に有料駐車場があるので利用すると良い。


≪ 位置図 ≫

賤機山城


登城口の大歳御祖神社


紹介したお城の数 224城




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