お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

亥山城

2014-09-09 05:57:12 | 福井県
 亥山城

2014/9/6

福井県大野市のお城めぐり

 南朝方の堀口氏政が構えた居館

≪ お城の概要 ≫

城名: 亥山城
よみ: イヤマ
別称:
所在地: 福井県大野市日吉町
現状: 日吉神社
築城年代: 延元四年(1339)
築城者: 堀口氏政
形式: 居館
遺構: 堀跡
規模:
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2014/9/6


≪ 訪城記 ≫

越前大野城から徒歩で亥山城に向かう。

藩主隠居屋敷前の道を東へ約550m進んだ道の南側に日吉神社があり、ここが亥山城跡です。
神社入口の石板の御由緒書きに記されていて、神社の南側に堀跡の池があり、神社敷地と池の間に木製の亥山城趾碑があるのみで、他に遺構はない。


≪ 歴 史 ≫

延元四年 (1339) 南朝方の堀口氏政が居館を築く。のちに甲斐八郎、斯波義敏が居館する。元亀、天正の初めころには朝倉義景の臣土橋(朝倉)景鏡、杉浦壱岐、原彦次郎が居館する。

≪ 写 真 ≫


亥山城(日吉神社)


亥山城趾碑


堀跡の池

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR越美北線越前大野駅から徒歩約10分。
<車>
北陸道福井ICを降りて国道158号美濃街道を東進、足羽川沿いに進む前波付近三叉路信号を直進、バイパスを進み、トンネルを通って足羽川を渡り、三万谷トンネルを抜けて二つ短いトンネルと次に長いトンネルを抜けてバイパスを九頭竜線と川沿いに進み、計石町付近の三叉路信号を斜め右折、踏切を渡り、新丁トンネルを通って犬山三叉路信号を右折、約300m南東に進んだ三叉路を斜め左折、国道476号を東進、川を渡った突き当りが西登り口で駐車場がある。さらに越前大野城沿いに南回りで川沿いに約400m東進すれば藩主隠居所西側に駐車場がある。ここから東へ徒歩約550mで日吉神社に着く。ここが亥山城跡です。


≪ 位置図 ≫

亥山城(日吉神社)


紹介したお城の数 259城



Canon デジタル一眼レフカメラ EOS 60D レンズキット EF-S18-135mm F3.5-5.6 IS 付属 EOS60D18135ISLK
クリエーター情報なし
キヤノン




Canon デジタル一眼レフカメラ EOS 7D レンズキット EF-S18-200mm F3.5-5.6 IS USM付属 EOS7D18200ISLK
クリエーター情報なし
キヤノン

越前大野城

2014-09-08 06:06:13 | 福井県
 越前大野城

2014/9/6

福井県大野市のお城めぐり

 金森長近が築き、のちに結城秀康の子らや土井利勝の四男土井利房が居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 越前大野城
よみ: エチゼンオオノ
別称: 大野城・亀山城
所在地: 福井県大野市城町
現状: 亀山公園
築城年代: 天正三年(1575)
築城者: 金森長近
形式: 平山城
遺構: 模擬天守・本丸・天守城門・復元城門・麻木櫓跡・武具蔵跡・塩硝蔵跡・石垣・武者登り・お福池・藩主隠居所・武家屋敷旧内山家
規模: 約420m×約500m
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2011/10/28・2014/9/6


≪ 訪城記 ≫

自宅から越前大野城へ向かう。

北陸道福井ICを降りて国道158号美濃街道を東進、足羽川沿いに進む前波付近三叉路信号を直進、バイパスを進み、トンネルを通って足羽川を渡り、三万谷トンネルを抜けて二つ短いトンネルと次に長いトンネルを抜けてバイパスを九頭竜線と川沿いに進み、計石町付近の三叉路信号を斜め右折、踏切を渡り、新丁トンネルを通って犬山三叉路信号を右折、約300m南東に進んだ三叉路を斜め左折、国道476号を東進、川を渡った突き当りが西登り口で駐車場がある。さらに越前大野城沿いに南回りで川沿いに約400m東進すれば藩主隠居所西側に駐車場がある。ここに車を駐車する。

駐車場から裁判所北側の道を西進すると柳廼社の鳥居があり、南登り口の案内板がある。参道を進んで大野市郷土歴史館前を通り柳廼社社殿の左側を抜けると南登り口に着く。
南登り口には説明板と復元城門があり、城門を通って百坂の登り道を上がると土居利忠公像のある南側の小さな郭に着く。
北側の橋を渡り遊具のある本丸下の郭から階段を登り、本丸城門、左側の武具蔵跡の石垣、入ると小天守前に出る。
お福池に映る小天守と金魚が素敵です。
模擬天守を見学。入場料は200円です。最上階から西を展望すると戌山城址の犬山が見降ろせます。
本丸北側に塩硝蔵跡、東側に石垣が張出て先端南側に武者登りがあり、東へ続く郭にはぬらりひょんに似たマンガチックな金森長近の像があり、郭下の石垣前に越前大野城址碑が建ってます。そこから東に続く郭の先に麻木櫓跡、その下の遊具のある郭、その下の亀山観音像が並ぶ郭、その下に降りていくと北登り口になります。
明倫前には武家屋敷旧内山家があります。

駐車場から南に約300mに朝倉義景墓所があります。途中に名水百選の御清水があります。


越前大野城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

天正三年 (1575) 金森長近が織田信長から大野郡三分の二を与えられ、亀山に築城する。のち、飛騨高山に移り、長谷川秀一、青木一矩の居城となる。
文禄元年 (1592) 織田信雄の子織田秀雄が城主となる。
慶長六年 (1601) 徳川家康の次男結城秀康が越前に入部し、家臣土屋昌明が越前大野城の城代として入る。
慶長十二年 (1607) 福井藩主結城秀康が死去し、土屋昌明も殉死、子の土屋忠次が継ぐ。
慶長十四年 (1609) 父の殉死が禁に触れて改易、土屋忠次は追放される。代わって小栗正勝が入る。
元和九年 (1623) 結城秀康の三男松平直政が越前大野城に入る。
寛永十年 (1633) 松平直政が信濃松本に移り、代わって結城秀康の四男松平直基が入る。
正保元年 (1644) 松平直基が出羽山形に移り、代わって結城秀康の六男松平直良が入る。
延宝六年 (1678) 松平直良の跡を三男松平直明が継ぎ城主となる。
天和二年 (1682) 松平直明が明石に移り、代わって大老土井利勝の四男土井利房が入る。
天和三年 (1683) 土井利房が死去し、利知が十歳で家督を継ぐ。
寛保三年 (1743) 利知が隠居し、土井利寛が家督を継ぐ。
延享三年 (1746) 利寛が死去し、土井利貞が六歳で家督を継ぐ。
安永四年 (1775) 大火によって天守閣を焼失。
寛政七年 (1795) 天守を除いて再建される。
文化二年 (1805) 利貞が隠居し、婿養子の彦根藩主井伊直幸の十男土井利義が家督を継ぐ。
文化七年 (1810) 利義が隠居し、養子の下総関宿藩主久世広誉の十一男土井利器が家督を継ぐ。
文政元年 (1818) 利器が死去し、利義の長男土井利忠が八歳で家督を継ぐ。
文久二年 (1862) 利忠が隠居し、利恒が家督を継ぎ、明治維新を迎える。
明治六年 (1873) 廃城令により、取り壊される。
昭和四十三年 (1968) 天守が再建される。


≪ 写 真 ≫


越前大野城


模擬天守と小天守


小天守


お福池に映る小天守と金魚


入場口


天守閣石垣


武者登り


天守南側通路と石垣


金森長近公像


越前大野城址碑


塩硝蔵跡


武具蔵跡


天守城門


天守城門横の石垣


土井利忠公像


南登り口の復元城門


登り口


藩主隠居所


麻木櫓跡


亀山観音像


北登り口


武家屋敷旧内山家


越前大野城天守


朝倉義景墓所


朝倉義景公墓


現地亀山公園案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR越美北線越前大野駅から徒歩約20分。
<車>
北陸道福井ICを降りて国道158号美濃街道を東進、足羽川沿いに進む前波付近三叉路信号を直進、バイパスを進み、トンネルを通って足羽川を渡り、三万谷トンネルを抜けて二つ短いトンネルと次に長いトンネルを抜けてバイパスを九頭竜線と川沿いに進み、計石町付近の三叉路信号を斜め右折、踏切を渡り、新丁トンネルを通って犬山三叉路信号を右折、約300m南東に進んだ三叉路を斜め左折、国道476号を東進、川を渡った突き当りが西登り口で駐車場がある。さらに越前大野城沿いに南回りで川沿いに約400m東進すれば藩主隠居所西側に駐車場がある。麓から天守まで徒歩約30分。


≪ 位置図 ≫

越前大野城


藩主隠居所


朝倉義景墓所


紹介したお城の数 258城



日本の城 完全名鑑 増補改訂版 (廣済堂ベストムック)
中山良昭
廣済堂出版




あやしい天守閣 (イカロス・ムック)
かみゆ歴史編集部
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新善光寺城

2014-04-23 06:04:19 | 福井県
 新善光寺城

2014/4/12

福井県越前市のお城めぐり

 越前国守護斯波高経が築いた居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 新善光寺城
よみ: シンゼンコウジ
別称:
所在地: 福井県越前市京町2丁目
現状: 正覚寺
築城年代: 南北朝期
築城者: 斯波高経
形式: 平城
遺構: 土塁
規模:
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2014/4/12


≪ 訪城記 ≫

府中城から徒歩で新善光寺城に向かう。

府中城の表門が正覚寺に移築されているので、向かった正覚寺で偶然見つけたお城です。
越前市役所前の道を西へ歩き、二つ目の信号で西へ入ると総社大神宮の参道で、鳥居付近を南に行くと正覚寺があり、国道365号側から正門をくぐって入る。
この正門が府中城の移築表門で、門の左隅を見ると、なんと新善光寺城趾碑が建っている。
さらに、墓地のある寺の裏手駐車場の北側に土塁跡があり、土塁上には説明板が建っている。しかも、この説明板の地図には墓地の東側にも土塁跡があると書かれている。行ってみると大きな二本の木と杉の木のある場所が土塁跡で、この北側に福井藩主松平秀康(結城秀康)の四男で福井藩筆頭家老本多富正の養子となった吉松丸の墓所がある。


≪ 歴 史 ≫

南北朝期に越前国守護斯波高経によって新善光寺城が築かれる。
延元元年 (1336) 南朝方の杣山城主瓜生保の軍勢に攻められ落城するが、すぐに奪還する。
延元三年 (1338) 金ヶ崎城の落城で杣山城に逃れていた新田義貞勢と日野川で戦い、高経は敗走して、新善光寺城は新田義貞に奪われる。義貞の戦死後、義貞の弟脇屋義助が美濃へ敗走する。
貞治五年 (1366) 新善光寺城跡に正覚寺が建立される。


≪ 写 真 ≫


新善光寺城北側の土塁跡


東側の土塁跡


正覚寺入口


正覚寺正門(移築府中城表門)


新善光寺城趾碑


正覚寺


吉松丸墓所


現地案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸本線武生駅から徒歩約800m、約15分。
<車>
北陸道武生ICを降りて庄町信号を左折、葛岡三叉路信号を右折、国道8号を北上、横市交差点信号を左折、県道2号を西進、村国Y字三叉路信号を斜め左折、日野川に架かる万代橋を渡り、JR北陸本線の上を通過、道が左旋回して一周する立体道を通り、約700m西進した道の北側に新善光寺城跡の正覚寺があり、寺の北側に駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

新善光寺城(正覚寺)


紹介したお城の数 207城



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レンズが撮らえた幕末日本の城―永久保存版
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山川出版社

府中城

2014-04-22 06:00:07 | 福井県
 府中城

2014/4/12

福井県越前市のお城めぐり

 越前支配を任された柴田勝家を補佐した府中三人衆の一人、前田利家の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 府中城
よみ: フチュウ
別称: 府中館
所在地: 福井県越前市府中1丁目
現状: 越前市役所
築城年代: 天正三年(1575)
築城者: 前田利家
形式: 平城
遺構: 移築表門
規模: 約100m×180m
文化財:
訪城日: 2014/4/12


≪ 訪城記 ≫

小丸城から府中城へ向かう。

小丸城南側の道を西進、突き当りの三叉路を右折、北へ向かい次の交差点を右折、道が左に曲がり北上した交差点信号を左折、県道262号を西進、北陸道高架下をくぐり、武生IC入口を通り過ぎ、葛岡三叉路信号を右折、国道8号を北上、横市交差点信号を左折、県道2号を西進、村国Y字三叉路信号を斜め左折、日野川に架かる万代橋を渡り、JR北陸本線の上を通過、道が左旋回して一周する立体道を通り、二つ目の交差点信号を右折、北上した次の交差点信号を渡り、交差点北東側の越前市役所駐車場に車を駐車する。

越前市役所が府中城跡で庁舎入口左側に府中城の碑、右側に結城秀康家臣本多富正公顕彰碑があるのみで遺構はない。
西にある正覚寺正門は府中城の表門を移築したものだそうです。


≪ 歴 史 ≫

天正三年 (1575) 越前の一向一揆を平定した柴田勝家の越前支配を補佐する府中三人衆の一人、前田利家が府中城を築き、居城とする。
天正九年十月 (1581) 前田利家が能登一国の太守として七尾城に転封になる。
慶長六年 (1601) 結城秀康が北庄城に入部し、家臣の本多富正に府中を与え、前田氏の府中城を修築して居館とする。以後、昌長、長員、長教、副紹、副充、副昌、富恭、副元と続き明治維新を迎える。


≪ 写 真 ≫


府中城趾碑


本多富正公顕彰碑


越前市役所


正覚寺正門(移築府中城表門)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸本線武生駅から徒歩約5分。
<車>
北陸道武生ICを降りて庄町信号を左折、葛岡三叉路信号を右折、国道8号を北上、横市交差点信号を左折、県道2号を西進、村国Y字三叉路信号を斜め左折、日野川に架かる万代橋を渡り、JR北陸本線の上を通過、道が左旋回して一周する立体道を通り、二つ目の交差点信号を右折、北上した次の交差点信号を渡り、交差点北東側の越前市役所駐車場に有料駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

府中城(越前市役所)


正覚寺


紹介したお城の数 206城



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小丸城

2014-04-21 06:00:02 | 福井県
 小丸城

2014/4/12

福井県越前市のお城めぐり

 越前支配を任された柴田勝家を補佐した府中三人衆の一人、佐々成政の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 小丸城
よみ: コマル
別称:
所在地: 福井県越前市五分市町
現状: 小丸城跡
築城年代: 天正三年(1575)
築城者: 佐々成政
形式: 平城
遺構: 本丸・石垣跡・堀跡
規模: 本丸50m四方
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2014/4/12


≪ 訪城記 ≫

福井城から小丸城へ向かう。

北ノ庄城址公園駐車場を出て北へ向かい、信号を右折、県道5号を東進、西方交差点信号を右折、国道8号を南下、葛岡三叉路信号を左折、武生IC入口を通り、北陸道の高架下をくぐり、県道262号を東進、葛岡信号から約3.2㎞の交差点信号を右折、南下して道が左へ曲がったところの上真柄町へ入っってすぐの交差点を左折、約100m南下した三叉路を左折、約300m東進した道の北側に小丸城跡の丘があり、西側の常安楽院入り口の空き地に車を駐車させてもらう。

道の北側沿いに小丸城趾碑と説明板があり、丘の上に本丸があり慰霊碑が建てられている。城跡の南東側に門跡のような橋跡のような石垣跡があり、北と東側の城周りには堀跡が残る。


≪ 歴 史 ≫

天正三年 (1575) 越前の一向一揆を平定した柴田勝家の越前支配を補佐する府中三人衆の一人、佐々成政が小丸城を築き、居城とする。
天正七年 (1579) 佐々成政が越中砥山城(富山城)に転封となり、わずか四年間で廃城となる。


≪ 写 真 ≫


小丸城


小丸城趾碑


南面の石垣跡


本丸


石垣跡


東側の堀跡


南東側からの本丸


北西側からの本丸


北東側からの本丸


堀跡

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸本線武生駅からバスで小丸城下車すぐ。
<車>
北陸道武生ICを降りて庄町信号を右折、北陸道の高架下をくぐり、県道262号を東進、葛岡信号から約3.2㎞の交差点信号を右折、南下して道が左へ曲がったところの上真柄町へ入っってすぐの交差点を左折、約100m南下した三叉路を左折、約300m東進した道の北側に小丸城跡の丘があり、西側の常安楽院入り口の空き地に駐車すると良い。


≪ 位置図 ≫

小丸城


紹介したお城の数 205城



お城の手帖 (タツミムック)
クリエーター情報なし
辰巳出版




お城の手帖 戦国武将編 (タツミムック)
クリエーター情報なし
辰巳出版