お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

後瀬山城

2013-06-27 05:05:40 | 福井県
 後瀬山城

2013/5/31

福井県小浜市のお城めぐり

 若狭守護武田氏が築いた大規模な山城

≪ お城の概要 ≫

城名: 後瀬山城
よみ: ノチセヤマ
別称: 武田氏城
所在地: 福井県小浜市伏原
現状: 愛宕神社・山
築城年代: 大永二年(1522)
築城者: 武田大膳大夫元光
形式: 山城
遺構: 主郭・山上御殿・石垣・土塁・空堀・竪堀・堀切
規模: 500m×350m、標高168m、比高118m
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2013/5/31


≪ 訪城記 ≫

小浜城から後瀬山城へ向かう。

小浜市交流ターミナルセンターの駐車場を出て南へ南川沿いの道を東進、南川に架かる橋の北詰交差点信号を右折、国道162号を南下、小浜駅前三叉路信号を右折、商店街通りを北西へ、次の信号を左折、その次の信号を左折、JR小浜線の上を通る陸橋を越えて小浜伏原三叉路信号を右折、国道27号に出てすぐの後瀬山東信号を斜めに右折、すぐ左側に石仏のある交差点を左折して、後瀬山トンネル手前に愛宕神社の鳥居があり、道を挟んで南側の社務所の東側に空き地があるので、そこに車を駐車する。

登城口の愛宕神社鳥居から階段を登って左手側に説明板があり、遊歩道の最初の曲がり角左側にいきなり竪堀が1本見られます。
遊歩道は苔むした岩肌の道が多く、非常に滑りやすいので足元に注意して登ってください。
遊歩道を登っていくと曲輪群の看板のある場所に約20分で着きます。ここから遊歩道の右側に段曲輪が幾段も続きます。
さらに登っていくと削平地の小曲輪に出ます。土橋、堀切を過ぎると主郭前の曲輪に出ます。この曲輪の中央南に石の階段と両脇に石垣跡が残っていて、石段の登った先に主郭があります。
主郭中央には愛宕神社の社殿があり、右側に石垣跡が残っています。愛宕神社の前の木の前に古びた武田氏城址碑が建っています。
主郭の南側から降りると、南斜面に竪堀群が、その西側の台地状に山上御殿があり、削平された台地上は雑木林で歩きにくい、御殿の南西側には土塁跡があります。
山上御殿から北の斜面にも曲輪群があるようですが、降りる道がわからなかったので見に行けませんでした。


≪ 歴 史 ≫

大永元年 (1521) 若狭守護武田元光は父元信の没後、家督を継ぎ、後瀬山城と麓の武田氏館を築城する。
大永六年 (1526) 管領細川高国からの上洛要請に応じて元光は若狭を発向、翌七年(1527)、丹波勢と桂川で戦うが高国軍は敗れる。
天文元年 (1532) 元光は入道して翌年に子の信豊に若狭守護職を譲る。
天文十一年 (1541) 河内太平寺合戦で三好長慶らと戦い敗れ、若狭国で反乱が相次ぎ若狭武田氏は弱体化していく。これ以後、子の義統が実権を握る。
永禄四年 (1561) 粟屋勝久・逸見昌経が反乱を起こすが、義統に対応する力はなく越前の朝倉義景が合力して鎮圧する。
永禄八年 (1565) 将軍足利義輝が弑逆され、弟の足利義昭が若狭へ逃げてきて来る。
永禄十一年十一月九日 (1568) 武田義統が急逝し、子の元明が守護職を継ぐが、朝倉氏が小浜へ侵攻し、元明を越前へ拉致してしまう。
永禄十二年 (1569) 織田信長が若狭の在地勢力の取り込みを始める。
元亀元年四月 (1570) 織田信長が越前へ侵攻し、若狭勢が先陣を務めるが近江浅井氏の離反によって織田軍は挟撃されることになり、越前から引き上げる。
天正元年八月 (1573) 織田信長軍の再度の越前侵攻で越前朝倉氏は滅亡する。この時、朝倉氏に拉致されていた武田元明は助け出されるが、その後信長の旗本となる。後瀬山城は天正四年(1576)丹羽長秀、天正十三年(1585)長秀の子長重、天正十六年(1588)浅野長政、永禄三年(1594)木下勝俊と城主が代わり、文禄、慶長の朝鮮出兵には兵站基地として小浜湊が利用されている。
天正十年六月二日 (1582) 本能寺の変によって天下を手中にした明智光秀に武田元明は合力して佐和山城を攻めて落城させている。その後、山崎の合戦で明智光秀が敗れ、滅亡すると武田元明も丹羽長秀に捕えられ処断され、若狭武田氏は滅亡した。
慶長五年 (1600) 関ヶ原合戦の恩賞で京極高次が若狭へ入り、後瀬山城を居城にするが翌六年(1601)、小浜城を築城して移り、後瀬山城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


登城口の愛宕神社鳥居


登城口すぐの竪堀


曲輪群の始まり


段曲輪


登城道


小曲輪


小曲輪の土橋


小曲輪の堀切


主郭前曲輪の虎口


主郭への石段


主郭への石段横の石垣跡


主郭


主郭の武田氏城址碑


主郭の石垣跡


主郭南側斜面の竪堀群


山上御殿


山上御殿南側の土塁跡


山上御殿北側の土塁跡


主郭と山上御殿の間の空堀


現地後瀬山城実測図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR小浜線小浜駅から南西方向に徒歩約10分で愛宕神社鳥居前、約40分で主郭。
<車>
舞鶴若狭道小浜ICを降りて県道24号を西進、南側を渡り、小浜市役所前を通り過ぎ小浜市役所前交差点信号を左折、国道162号を南下、小浜駅前三叉路信号を右折、商店街通りを北西へ、次の信号を左折、その次の信号を左折、JR小浜線の上を通る陸橋を越えて小浜伏原三叉路信号を右折、国道27号に出てすぐの後瀬山東信号を斜めに右折、すぐ左側に石仏のある交差点を左折して、後瀬山トンネル手前に愛宕神社の鳥居があり、道を挟んで南側の社務所東側の空き地に駐車可能。


≪ 位置図 ≫

後瀬山城


登城口の愛宕神社鳥居


紹介したお城の数 89城



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小浜城

2013-06-25 05:06:13 | 福井県
 小浜城

2013/5/31

福井県小浜市のお城めぐり

 京極高次が築き、酒井忠勝が完成させた小浜藩の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 小浜城
よみ: オバマ
別称: 雲浜城
所在地: 福井県小浜市城内1丁目7-55
現状: 小神社
築城年代: 慶長六年(1601)
築城者: 京極高次
形式: 海城
遺構: 本丸・天守台跡・毘沙門櫓跡・蛛手櫓跡・西門櫓跡・西門跡・井戸跡・石垣
規模: 550m×570m
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2011/6/3・2013/5/31


≪ 訪城記 ≫

2013/5/31  自宅から小浜城へ向かう。

自宅を出て国道8号を北上、塩津三叉路信号を左折し国道303号を西進、野口三叉路信号を左折、国道161号を南下、湖北バイパスを通って弘川でバイパス側道を降りて信号を右折、バイパス高架をくぐり再び国道303号若狭街道を西進、福井県に入り黒川宿を通って、三宅三叉路信号を左折、国道27号丹後街道を西進、舞鶴若狭道の高架下をくぐり、南川を越えてすぐの湯岡三叉路信号を右折、国道162号を大きくコの字に曲がり西進、小浜駅前信号を右折、そのまま国道162号を北上し南川に架かる橋を渡って北詰の信号を左折、川に沿って海側へ向かう。突き当りを右折し、約100mで右側に小浜市交流ターミナルセンター(公民館)があり、ここの駐車場に車を駐車させてもらう。

交流センターと雲浜小学校の間の道を北へ、突き当りの北川南岸沿いの道を東へ200m程行くと右手の向こうに石垣が見える。小浜城の石垣が見られるのは、この附近だけで、あとは石垣近くまで住宅が建っているために写真を撮ることもできないのが残念です。
さらに東へ行くと小神社へ入る南行の路地を進むと、すぐに毘沙門櫓の石垣、続いて小神社の鳥居、南角には蛛手櫓の石垣を見られる。
鳥居をくぐり中の社殿が本丸跡で社務所の壁に説明板がある。南西隅が天守台跡で天守台上に説明板がある。
神社本殿の左にころび橋と言う橋石と井戸跡があり、西側の石垣中央付近が西門跡です。
石垣の保存状態は良いのですが、住宅が迫っていて見難いのが非常に残念です。


≪ 歴 史 ≫

慶長五年 (1600) 関ヶ原の戦いで大津城に籠城して西軍を足止めした働きにより、京極高次ぐは小浜の地を与えられ、最初、後瀬山城居城としていたが、翌六年(1601)、雲浜の海浜地に小浜城を築城して移る。
寛永十一年 (1634) 京極氏に代わり酒井忠勝が入り、翌十二年から石垣の補修と天守閣の建設を開始する。
寛永十三年十月 (1636) 天守閣が完成する。
寛文二年 (1662) 大地震で西の丸以外の石垣が破損して大修理を行う。
明治四年 (1871) 失火によって天守閣以外の大半が焼失する。
明治六年 (1873) 廃城令によって廃城となり、翌七年には天守閣も破壊される。


≪ 写 真 ≫


本丸西側の石垣


本丸北東の毘沙門櫓石垣


本丸南東の蛛手櫓石垣


小神社


天守台登り口石垣


西門・櫓台付近の石垣


ころび橋と井戸


天守台石垣


西門石垣


現地雲浜古城図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR小浜線小浜駅から徒歩約30分。
<車>
舞鶴若狭道小浜ICを降りて県道24号を西進、南側を渡り、小浜市役所前を通り過ぎ小浜市役所前交差点信号を右折、国道162号を北上し南川に架かる橋を渡って北詰の信号を左折、川に沿って海側へ向かう。突き当りを右折し、約100mで右側に小浜市交流ターミナルセンター(公民館)があり、ここの駐車場を利用させてもらうと良い。


≪ 位置図 ≫

小浜城(小神社)


小浜市交流ターミナルセンター


紹介したお城の数 88城



日本の城 (山川Mook 1)
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山川出版社