諏訪原城
2014/5/5
静岡県島田市のお城めぐり
徳川家康に牧野城と改名され、武田軍と徳川軍が戦った高天神城争奪戦の陣城
≪ お城の概要 ≫
城名: 諏訪原城
よみ: スワハラ
別称: 牧野城・牧野原城・扇城
所在地: 静岡県島田市金谷
現状: 山林・諏訪神社・茶畑
築城年代: 永禄十二年(1569)
築城者: 武田信玄
形式: 台城
遺構: 本曲輪・二の曲輪・大手曲輪・水の手曲輪・惣曲輪・二の曲輪北馬出・二の曲輪中馬出・二の曲輪大手馬出・二の曲輪東内馬出・二の曲輪東馬出・二の曲輪南馬出・大手北外堀・大手南外堀・三日月堀・空堀・土塁・土橋・虎口・カンカン井戸
規模: 450m×420m、標高218m、比高148m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/5/5
≪ 訪城記 ≫
ホテルから諏訪原城へ向かう。
県道354号を南西に進み、南安倍3丁目交差点信号を右折、インター通りを北上、JR東海道本線・東海道新幹線高架下をくぐり、南安倍交差点信号を左折、国道1号を西進、国道1号藤枝バイパスを道なりに進み、大井川に架かる新大井川橋を渡り、金谷河原付近で側道を通って国道473号に出て南下、金谷扇町交差点信号を右折、宮崎町信号を直進、金谷小学校南側を通って、金谷駅北三叉路信号を斜め右折、道が大きく左へ曲がり、すぐに右へカーブして、ホテルのある大きな交差点を左折、県道234号を約400m南下した諏訪原城案内板のある交差点を左折してすぐの道の左側に諏訪原城見学者用の駐車場がある。ここに車を駐車する。
駐車場からの入口に説明板とパンフレットが置いてある。
案内順路に従い北に歩くと大手南外堀、茶畑になっている大手曲輪、大手北外堀、茶畑の中に武田方の今福浄閑戦死墓塚が建てられている。茶畑の東側に二の曲輪があり、間の空堀にはスケールの大きさに感嘆、とても深い空堀は北の断崖まで続き、惣曲輪前に新しい諏訪原城趾碑と説明板が建てられてる。二の曲輪中馬出もスケールが大きく、三日月堀も深い、土橋を渡り虎口を入ると広々とした二の曲輪の北側で南側との中央に仕切土塁が見られる。本曲輪を囲む空堀を土橋で渡り、虎口を入ると広い本曲輪で中央付近が天守台跡ようで少し高く盛り上がっている。東端に搦手口があり、斜面を降りていくと段になった曲輪と空堀が見られる。南へ向かう本曲輪の空堀内のカンカン井戸跡、南へ続く谷の下に水の手曲輪があり、今も水が出ている。カンカン井戸から西へ出ると二の曲輪南側に出る。さらに南の杉林を進むと二の曲輪東内馬出、二の曲輪東馬出、二の曲輪南馬出の三つの丸馬出があり、ここの三日月堀も深い、諏訪神社のあるところが二の曲輪大手馬出で、ここにも三日月堀が見られ、諏訪神社にも説明板と諏訪原城趾碑がある。
とにかく空堀の深さにと大きさにはビックリです。この城は見た目は、平城に見えますが、台地の頂上に築かれています。
≪ 歴 史 ≫
永禄十二年 (1569) 武田信玄の命で築城の名手馬場美濃守信房が諏訪原城を築き、城主となる。
天正元年 (1573) 高天神城攻めに備え武田勝頼の命により、馬場信房、武田信豊が再び築城し、今福丹波守顕倍が守将となる。
天正三年六月 (1575) 徳川軍が諏訪原城を攻め、約二か月の包囲攻撃に城兵は耐えたが、八月二十四日、諏訪原城を捨て小山城へ後退する。諏訪原城は徳川方の有するところとなり、松平周防守康親を城将とし、城名も牧野原城と改名する。
天正六年八月 (1578) 松平家忠が修築をし、板倉勝重が兵糧を入れる。
天正九年 (1581) 高天神城が落城し、牧野原城も必要がなくなる。
天正十年 (1582) 城主松平康親が三枚橋城に移り、明き城となる。
天正十八年 (1590) 徳川家康の関東移封にともない廃城になったと思われる。
≪ 写 真 ≫
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/3c/575f8803d5fe38fd4206c9a9a58037b5.jpg)
諏訪原城二の曲輪中馬出の三日月堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/3d/6b7d5ac775c2f01561b217de484d8ded.jpg)
本曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/ad/c5b63e3207db4156101a0d7ee1ac057a.jpg)
天守台地
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/c6/c11528292c395ac8970df812f4698cd0.jpg)
本曲輪の空堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/fa/cce1530b160653bc17c25c8138f27d5a.jpg)
本曲輪の虎口と土橋
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/cc/afda9ce88399802fe9c4c233dead202d.jpg)
二の曲輪仕切土塁
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/91/cd89ca3ae0ba4eb55f2ce71c15296f27.jpg)
二の曲輪空堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/7a/08d98e1ddff5cea12852fff88d8647e0.jpg)
惣曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/63/cf140dfee15581c9546ed67e54ea4851.jpg)
二の曲輪北馬出と空堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/e9/a3b964c2e1def90fcce055707f981256.jpg)
二の曲輪中馬出
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/8d/cee9d6c2045b38f1126f95e248ce5768.jpg)
二の曲輪中馬出の三日月堀と土橋
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/00/50c295684d3e2ea413e34532bc03ab3d.jpg)
大手北外堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/1a/f7ec743d00dac513c386ed624a74224f.jpg)
今福浄閑戦死墓塚
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/cd/6f9068d4fd6b24e632999c801d2fad66.jpg)
大手曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/8f/7175aa303d0570f5668a2ca8a86829fe.jpg)
大手南外堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/4f/fd1221b3189b9cff4c0d8770baf961e0.jpg)
搦手口
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/e2/b6bd3c94c698e4618aa3612d2cc211d3.jpg)
搦手口の空堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/77/44d516b0bd24ae23a747141ed34437f9.jpg)
カンカン井戸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/62/030c1c81f6e9268f2ca9c8a13fb8ff3d.jpg)
水の手曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/dd/16f9deb563cec6ff71a6ce1b12e650e3.jpg)
二の曲輪南側
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/ab/e73a42ed8dad4613268cb3957d70ae0c.jpg)
広い二の曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/f0/3fed6f11d956cba4c32a2556cea5851e.jpg)
二の曲輪東内馬出
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/b5/1897b407d23715d95454015f8bf421df.jpg)
二の曲輪東内馬出の三日月堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/8e/8a95a4a2b63f12e555a654d6b62ef9db.jpg)
二の曲輪東馬出
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/76/1f8068e6b5450f7066088ab113932cb6.jpg)
二の曲輪東馬出の三日月堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/cb/665392579807ef7cb60967ba5e2c43b3.jpg)
二の曲輪南馬出
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/c6/afe6b4056a1ee25166623bab7ef239e0.jpg)
二の曲輪大手馬出の諏訪神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/33/ec7593434aedafcb56b2b7bff57ce34c.jpg)
二の曲輪大手馬出の三日月堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/d3/7b38b4c19348cbafbf13c2d41421e3c2.jpg)
諏訪原城の入口
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4c/fd/ff5aca5823d2ca5f59a3c636c97560b9_s.jpg)
現地諏訪原城縄張図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR東海道本線金谷駅から徒歩約30分。
<車>
新東名高速島田金谷ICを降りて左へ曲がり、国道473号を南下、金谷扇町交差点信号を右折、宮崎町信号を直進、金谷小学校南側を通って、金谷駅北三叉路信号を斜め右折、道が大きく左へ曲がり、すぐに右へカーブして、ホテルのある大きな交差点を左折、県道234号を約400m南下した諏訪原城案内板のある交差点を左折してすぐの道の左側に諏訪原城見学者用の駐車場がある。
≪ 位置図 ≫
諏訪原城
紹介したお城の数 227城
2014/5/5
静岡県島田市のお城めぐり
徳川家康に牧野城と改名され、武田軍と徳川軍が戦った高天神城争奪戦の陣城
≪ お城の概要 ≫
城名: 諏訪原城
よみ: スワハラ
別称: 牧野城・牧野原城・扇城
所在地: 静岡県島田市金谷
現状: 山林・諏訪神社・茶畑
築城年代: 永禄十二年(1569)
築城者: 武田信玄
形式: 台城
遺構: 本曲輪・二の曲輪・大手曲輪・水の手曲輪・惣曲輪・二の曲輪北馬出・二の曲輪中馬出・二の曲輪大手馬出・二の曲輪東内馬出・二の曲輪東馬出・二の曲輪南馬出・大手北外堀・大手南外堀・三日月堀・空堀・土塁・土橋・虎口・カンカン井戸
規模: 450m×420m、標高218m、比高148m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/5/5
≪ 訪城記 ≫
ホテルから諏訪原城へ向かう。
県道354号を南西に進み、南安倍3丁目交差点信号を右折、インター通りを北上、JR東海道本線・東海道新幹線高架下をくぐり、南安倍交差点信号を左折、国道1号を西進、国道1号藤枝バイパスを道なりに進み、大井川に架かる新大井川橋を渡り、金谷河原付近で側道を通って国道473号に出て南下、金谷扇町交差点信号を右折、宮崎町信号を直進、金谷小学校南側を通って、金谷駅北三叉路信号を斜め右折、道が大きく左へ曲がり、すぐに右へカーブして、ホテルのある大きな交差点を左折、県道234号を約400m南下した諏訪原城案内板のある交差点を左折してすぐの道の左側に諏訪原城見学者用の駐車場がある。ここに車を駐車する。
駐車場からの入口に説明板とパンフレットが置いてある。
案内順路に従い北に歩くと大手南外堀、茶畑になっている大手曲輪、大手北外堀、茶畑の中に武田方の今福浄閑戦死墓塚が建てられている。茶畑の東側に二の曲輪があり、間の空堀にはスケールの大きさに感嘆、とても深い空堀は北の断崖まで続き、惣曲輪前に新しい諏訪原城趾碑と説明板が建てられてる。二の曲輪中馬出もスケールが大きく、三日月堀も深い、土橋を渡り虎口を入ると広々とした二の曲輪の北側で南側との中央に仕切土塁が見られる。本曲輪を囲む空堀を土橋で渡り、虎口を入ると広い本曲輪で中央付近が天守台跡ようで少し高く盛り上がっている。東端に搦手口があり、斜面を降りていくと段になった曲輪と空堀が見られる。南へ向かう本曲輪の空堀内のカンカン井戸跡、南へ続く谷の下に水の手曲輪があり、今も水が出ている。カンカン井戸から西へ出ると二の曲輪南側に出る。さらに南の杉林を進むと二の曲輪東内馬出、二の曲輪東馬出、二の曲輪南馬出の三つの丸馬出があり、ここの三日月堀も深い、諏訪神社のあるところが二の曲輪大手馬出で、ここにも三日月堀が見られ、諏訪神社にも説明板と諏訪原城趾碑がある。
とにかく空堀の深さにと大きさにはビックリです。この城は見た目は、平城に見えますが、台地の頂上に築かれています。
≪ 歴 史 ≫
永禄十二年 (1569) 武田信玄の命で築城の名手馬場美濃守信房が諏訪原城を築き、城主となる。
天正元年 (1573) 高天神城攻めに備え武田勝頼の命により、馬場信房、武田信豊が再び築城し、今福丹波守顕倍が守将となる。
天正三年六月 (1575) 徳川軍が諏訪原城を攻め、約二か月の包囲攻撃に城兵は耐えたが、八月二十四日、諏訪原城を捨て小山城へ後退する。諏訪原城は徳川方の有するところとなり、松平周防守康親を城将とし、城名も牧野原城と改名する。
天正六年八月 (1578) 松平家忠が修築をし、板倉勝重が兵糧を入れる。
天正九年 (1581) 高天神城が落城し、牧野原城も必要がなくなる。
天正十年 (1582) 城主松平康親が三枚橋城に移り、明き城となる。
天正十八年 (1590) 徳川家康の関東移封にともない廃城になったと思われる。
≪ 写 真 ≫
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/3c/575f8803d5fe38fd4206c9a9a58037b5.jpg)
諏訪原城二の曲輪中馬出の三日月堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/3d/6b7d5ac775c2f01561b217de484d8ded.jpg)
本曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/ad/c5b63e3207db4156101a0d7ee1ac057a.jpg)
天守台地
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/c6/c11528292c395ac8970df812f4698cd0.jpg)
本曲輪の空堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/fa/cce1530b160653bc17c25c8138f27d5a.jpg)
本曲輪の虎口と土橋
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/cc/afda9ce88399802fe9c4c233dead202d.jpg)
二の曲輪仕切土塁
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/91/cd89ca3ae0ba4eb55f2ce71c15296f27.jpg)
二の曲輪空堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/7a/08d98e1ddff5cea12852fff88d8647e0.jpg)
惣曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/63/cf140dfee15581c9546ed67e54ea4851.jpg)
二の曲輪北馬出と空堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/e9/a3b964c2e1def90fcce055707f981256.jpg)
二の曲輪中馬出
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/8d/cee9d6c2045b38f1126f95e248ce5768.jpg)
二の曲輪中馬出の三日月堀と土橋
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/00/50c295684d3e2ea413e34532bc03ab3d.jpg)
大手北外堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/1a/f7ec743d00dac513c386ed624a74224f.jpg)
今福浄閑戦死墓塚
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/cd/6f9068d4fd6b24e632999c801d2fad66.jpg)
大手曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/8f/7175aa303d0570f5668a2ca8a86829fe.jpg)
大手南外堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/4f/fd1221b3189b9cff4c0d8770baf961e0.jpg)
搦手口
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/e2/b6bd3c94c698e4618aa3612d2cc211d3.jpg)
搦手口の空堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/77/44d516b0bd24ae23a747141ed34437f9.jpg)
カンカン井戸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/62/030c1c81f6e9268f2ca9c8a13fb8ff3d.jpg)
水の手曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/dd/16f9deb563cec6ff71a6ce1b12e650e3.jpg)
二の曲輪南側
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/ab/e73a42ed8dad4613268cb3957d70ae0c.jpg)
広い二の曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/f0/3fed6f11d956cba4c32a2556cea5851e.jpg)
二の曲輪東内馬出
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/b5/1897b407d23715d95454015f8bf421df.jpg)
二の曲輪東内馬出の三日月堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/8e/8a95a4a2b63f12e555a654d6b62ef9db.jpg)
二の曲輪東馬出
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/76/1f8068e6b5450f7066088ab113932cb6.jpg)
二の曲輪東馬出の三日月堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/cb/665392579807ef7cb60967ba5e2c43b3.jpg)
二の曲輪南馬出
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/c6/afe6b4056a1ee25166623bab7ef239e0.jpg)
二の曲輪大手馬出の諏訪神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/33/ec7593434aedafcb56b2b7bff57ce34c.jpg)
二の曲輪大手馬出の三日月堀
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/d3/7b38b4c19348cbafbf13c2d41421e3c2.jpg)
諏訪原城の入口
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4c/fd/ff5aca5823d2ca5f59a3c636c97560b9_s.jpg)
現地諏訪原城縄張図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR東海道本線金谷駅から徒歩約30分。
<車>
新東名高速島田金谷ICを降りて左へ曲がり、国道473号を南下、金谷扇町交差点信号を右折、宮崎町信号を直進、金谷小学校南側を通って、金谷駅北三叉路信号を斜め右折、道が大きく左へ曲がり、すぐに右へカーブして、ホテルのある大きな交差点を左折、県道234号を約400m南下した諏訪原城案内板のある交差点を左折してすぐの道の左側に諏訪原城見学者用の駐車場がある。
≪ 位置図 ≫
諏訪原城
紹介したお城の数 227城
![]() | 静岡の山城ベスト50を歩く |
クリエーター情報なし | |
サンライズ出版 |
![]() | 戦国の山城―山城の歴史と縄張を徹底ガイド (歴史群像シリーズ) |
全国山城サミット連絡協議会 | |
学研マーケティング |