高須城
2014/8/18
岐阜県海津市のお城めぐり
徳川御三家尾張藩の分家、高須藩の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 高須城
よみ: タカス
別称: 高須御館・高洲城
所在地: 岐阜県海津市海津町高須町
現状: 城跡公園・海津明誠高等学校・高須小学校・住宅街
築城年代: 暦応元年(延元三、1338)
築城者: 氏家中務丞重国
形式: 平城
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2012/9/2・2014/8/18
≪ 訪城記 ≫
今尾城から高須城へ向かう。
ドラッグユタカの駐車場を出て県道213号を南下、すぐに今尾昭和町1三叉路信号を斜め左折、南東方向へ進み、大江川を渡り、岐阜県農業技術研究所南濃試験所付近で三叉路を斜め左折、馬目交差点信号を直進して南下、もう一度大江川を渡り、海津市役所前を通って高須三叉路信号を斜め左折、約500mで海津市歴史民俗資料館に着く。資料館の駐車場に車を駐車する。
歴史民俗資料館はお城風の建物になっています。資料館入口前に高須城下町回廊案内図があるので参考に散策する。
資料館西側の道を約150m北上した海津図書館付近の三叉路を左折して舗装された田んぼ道を西進、約400mで突き当りのT字路を右折、北上して県道1号を渡り、約400m北上高須別院角のT字路を右折、東へ約50m進んだ川沿いの道を北上、約75mの複合交差点を北上、約70m進んだ三叉路を左折、約200m西進した道の北側に海津明誠高校があり、ここが高須城跡だそうですが何も残っていません。さらに約150m西進すると道の南西角に城跡公園があります。公園から約80m南下した川に架かる赤い橋が主水橋跡で、この川辺がポケットパークになっていて、説明板が建てられています。ここまで徒歩で約40分です。
帰りに高須小学校前を通って南下したら道に沿った民家跡のようなところに石垣跡のある武家屋敷風の空き地がありました。
ちなみに高須藩は尾張徳川家の分家で、小藩ながら尾張徳川家に世継ぎがながったときに相続する家格で、幕末の京都守護職会津藩主松平容保は高須藩出身で高須四兄弟として有名です。
≪ 歴 史 ≫
暦応元年 (延元三、1338) 新田義貞の首級を獲った越中の住人氏家中務丞重国がその恩賞として美濃国石津郡内に地頭職を賜り高須に居館を構えたのが始まりと言われている。その後、孫の盛国が安八郡楽田に転じる。
大永二年 (1522) 大橋源左衛門重一が氏家氏の築いた高須城を改築または再建する。重一の跡を和泉守信重入道禅休、続いて清兵衛重長入道慶仁が継いで高須城主となり、織田家に属する。
天文三年 (1534) 高須玄蕃直幸が高須城主となる。以後、平野右京進長治、恒川久次郎信景、鷲巣大膳大夫光康、秋山伯耆守信純、林市介長正、林宗兵衛正三、稲葉佐渡守正成と城主が入れ替わる。
天正十年 (1582) 織田信長が本能寺の変で斃れてからは、織田信雄に属する。
天正十二年 (1584) 長久手の合戦で羽柴秀吉に敵対したため、稲葉正成は領地を没収され、代わって秀吉麾下の日根野弥十郎信勝が高須城主となり、以後、加藤伝左衛門重次、高木十郎左衛門盛兼と城主が入れ替わる。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の合戦で高木盛兼は石田三成の西軍に属したが、東軍の攻撃を受け城を渡して退く。戦後、徳永法印寿昌に高須城が与えられ、翌年、松ノ木城から移り、城を修築する。
寛永五年二月 (1628) 寿昌の跡を継いだ昌重が大坂城改築に際し工事監督が行き届かず、嫡子昌勝との争いを咎められ、除封される。寛永十七年(1640)まで幕府の直轄領となる。
寛永十七年九月 (1640) 小笠原土佐守貞信が下総国関宿から移封される。
元禄四年七月 (1691) 小笠原氏は自ら願い出て越前国勝山城に移され、幕領となる。
元禄十三年三月 (1708) 尾張藩藩主大納言光友の次男松平摂津守義行が高須に封ぜられ高須藩藩主となる。以後、義孝、義惇、義敏、義柄、義裕、勝当、義居、義和、義建、義比、義端、義勇と続き、明治の版籍奉還となる。
明治六年 (1873) 城郭すべてが大蔵省の公売に付される。
≪ 写 真 ≫
海津市歴史民俗資料館
城跡の海津明誠高等学校
城跡公園
ポケットパーク
主水橋
武家屋敷風の空き地石垣跡
現地高須城下町回廊案内図
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
養老線駒野駅から海津市コミュニティバスを乗り継いで歴史民俗資料館バス停下車、城跡公園まで徒歩約40分。
<車>
名神高速大垣ICを降りて国道258号を南下、杭瀬川、牧田川に架かる養老大橋を渡り、瑞穂交差点信号を左折、県道213号を東進、揖斐川に架かる今尾橋を渡り、今尾昭和町1三叉路信号を斜め右折、南東方向へ進み、大江川を渡り、岐阜県農業技術研究所南濃試験所付近で三叉路を斜め左折、馬目交差点信号を直進して南下、もう一度大江川を渡り、海津市役所前を通って高須三叉路信号を斜め左折、約500mで海津市歴史民俗資料館に着く。資料館の駐車場すると良い。ここから城跡公園まで徒歩約40分。
≪ 位置図 ≫
城跡公園付近
海津市歴史民俗資料館
紹介したお城の数 257城
2014/8/18
岐阜県海津市のお城めぐり
徳川御三家尾張藩の分家、高須藩の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 高須城
よみ: タカス
別称: 高須御館・高洲城
所在地: 岐阜県海津市海津町高須町
現状: 城跡公園・海津明誠高等学校・高須小学校・住宅街
築城年代: 暦応元年(延元三、1338)
築城者: 氏家中務丞重国
形式: 平城
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2012/9/2・2014/8/18
≪ 訪城記 ≫
今尾城から高須城へ向かう。
ドラッグユタカの駐車場を出て県道213号を南下、すぐに今尾昭和町1三叉路信号を斜め左折、南東方向へ進み、大江川を渡り、岐阜県農業技術研究所南濃試験所付近で三叉路を斜め左折、馬目交差点信号を直進して南下、もう一度大江川を渡り、海津市役所前を通って高須三叉路信号を斜め左折、約500mで海津市歴史民俗資料館に着く。資料館の駐車場に車を駐車する。
歴史民俗資料館はお城風の建物になっています。資料館入口前に高須城下町回廊案内図があるので参考に散策する。
資料館西側の道を約150m北上した海津図書館付近の三叉路を左折して舗装された田んぼ道を西進、約400mで突き当りのT字路を右折、北上して県道1号を渡り、約400m北上高須別院角のT字路を右折、東へ約50m進んだ川沿いの道を北上、約75mの複合交差点を北上、約70m進んだ三叉路を左折、約200m西進した道の北側に海津明誠高校があり、ここが高須城跡だそうですが何も残っていません。さらに約150m西進すると道の南西角に城跡公園があります。公園から約80m南下した川に架かる赤い橋が主水橋跡で、この川辺がポケットパークになっていて、説明板が建てられています。ここまで徒歩で約40分です。
帰りに高須小学校前を通って南下したら道に沿った民家跡のようなところに石垣跡のある武家屋敷風の空き地がありました。
ちなみに高須藩は尾張徳川家の分家で、小藩ながら尾張徳川家に世継ぎがながったときに相続する家格で、幕末の京都守護職会津藩主松平容保は高須藩出身で高須四兄弟として有名です。
≪ 歴 史 ≫
暦応元年 (延元三、1338) 新田義貞の首級を獲った越中の住人氏家中務丞重国がその恩賞として美濃国石津郡内に地頭職を賜り高須に居館を構えたのが始まりと言われている。その後、孫の盛国が安八郡楽田に転じる。
大永二年 (1522) 大橋源左衛門重一が氏家氏の築いた高須城を改築または再建する。重一の跡を和泉守信重入道禅休、続いて清兵衛重長入道慶仁が継いで高須城主となり、織田家に属する。
天文三年 (1534) 高須玄蕃直幸が高須城主となる。以後、平野右京進長治、恒川久次郎信景、鷲巣大膳大夫光康、秋山伯耆守信純、林市介長正、林宗兵衛正三、稲葉佐渡守正成と城主が入れ替わる。
天正十年 (1582) 織田信長が本能寺の変で斃れてからは、織田信雄に属する。
天正十二年 (1584) 長久手の合戦で羽柴秀吉に敵対したため、稲葉正成は領地を没収され、代わって秀吉麾下の日根野弥十郎信勝が高須城主となり、以後、加藤伝左衛門重次、高木十郎左衛門盛兼と城主が入れ替わる。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の合戦で高木盛兼は石田三成の西軍に属したが、東軍の攻撃を受け城を渡して退く。戦後、徳永法印寿昌に高須城が与えられ、翌年、松ノ木城から移り、城を修築する。
寛永五年二月 (1628) 寿昌の跡を継いだ昌重が大坂城改築に際し工事監督が行き届かず、嫡子昌勝との争いを咎められ、除封される。寛永十七年(1640)まで幕府の直轄領となる。
寛永十七年九月 (1640) 小笠原土佐守貞信が下総国関宿から移封される。
元禄四年七月 (1691) 小笠原氏は自ら願い出て越前国勝山城に移され、幕領となる。
元禄十三年三月 (1708) 尾張藩藩主大納言光友の次男松平摂津守義行が高須に封ぜられ高須藩藩主となる。以後、義孝、義惇、義敏、義柄、義裕、勝当、義居、義和、義建、義比、義端、義勇と続き、明治の版籍奉還となる。
明治六年 (1873) 城郭すべてが大蔵省の公売に付される。
≪ 写 真 ≫
海津市歴史民俗資料館
城跡の海津明誠高等学校
城跡公園
ポケットパーク
主水橋
武家屋敷風の空き地石垣跡
現地高須城下町回廊案内図
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
養老線駒野駅から海津市コミュニティバスを乗り継いで歴史民俗資料館バス停下車、城跡公園まで徒歩約40分。
<車>
名神高速大垣ICを降りて国道258号を南下、杭瀬川、牧田川に架かる養老大橋を渡り、瑞穂交差点信号を左折、県道213号を東進、揖斐川に架かる今尾橋を渡り、今尾昭和町1三叉路信号を斜め右折、南東方向へ進み、大江川を渡り、岐阜県農業技術研究所南濃試験所付近で三叉路を斜め左折、馬目交差点信号を直進して南下、もう一度大江川を渡り、海津市役所前を通って高須三叉路信号を斜め左折、約500mで海津市歴史民俗資料館に着く。資料館の駐車場すると良い。ここから城跡公園まで徒歩約40分。
≪ 位置図 ≫
城跡公園付近
海津市歴史民俗資料館
紹介したお城の数 257城
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