お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

足助真弓山城

2014-01-01 08:48:58 | 愛知県
 足助真弓山城

2013/12/22

愛知県豊田市のお城めぐり

 城郭が復元された足助鈴木氏の本城

≪ お城の概要 ≫

城名: 足助真弓山城
よみ: アスケマユミヤマ
別称: 足助城・真弓山城・松山城・足助松山の城
所在地: 愛知県豊田市足助町須沢39-2
現状: 城跡公園足助城
築城年代: 十五世紀後半
築城者: 鈴木忠親
形式: 山城
遺構: 本丸・本丸腰曲輪・南の丸・南の丸腰曲輪・西の丸・西の丸腰曲輪・北腰曲輪・復元高櫓・南物見台・西物見台・堀切・井戸
規模: 標高301m
文化財:
訪城日: 2013/12/22


≪ 訪城記 ≫

自宅から足助真弓山城へ向かう。

東名高速日進JCTから名古屋瀬戸道路を通り、長久手ICで降りて県道6号を直進、愛・地球博記念公園横を通り過ぎ、八草ICから猿投グリーンロードを通り、終点の力石ICで降りて力石インター東三叉路信号を左折、国道153号飯田街道を東進、追分交差点信号を直進、足助大橋西三叉路信号を右折、川を渡り足助町へ入り、香嵐渓信号から約250mの三叉路を右側の山側へ登る道に入り、足助中学校を過ぎた三叉路を左折、山へ登って行き、途中の三叉路を左折約400mで足助真弓山城の城跡公園に着く。入口の前に駐車場があり、ここに車を駐車する。

城跡公園足助城は遺構構造物の復元がされていて入口料金所で入場料300円を払い中へ入る。
まず城門から入って碑のある曲がり角を曲がるといきなり復元された中世の城郭が目に入ってくる。切岸で囲まれた砦のようです。
手前の堀切のある分かれ道を左へ行くと二段になった南の丸腰曲輪があり、回り込んだところに井戸跡、下には天然の空堀、井戸を過ぎて左手奥に進むと西の丸腰曲輪に出る。井戸から上へ登ると柵に囲まれた西の丸と西物見台が復元されている。西物見台の右手、本丸の裾を進むと南の丸へ出る。南の丸には建物が二棟復元されている。南の丸入口付近から上へ登ると南物見台、木製の橋を渡ると高櫓が復元されている本丸に着く。
高櫓内部は見学でき、二階の望楼は眺め良いです。
本丸から東側へ降りると二段の北腰曲輪、本丸腰曲輪へでる。本丸東側の裾道を通って出る。本来は逆方向に見学する方が良いかも。


足助真弓山城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

大永五年 (1525) 松平清康(家康の祖父)に攻められ、以後、足助鈴木氏が松平氏の麾下に入る。
天文二十三年 (1554) 今川氏に攻められ、鈴木氏が今川方に降る。
永禄七年 (1564) 松平元康(家康)に攻められ再び松平氏の麾下に入る。
元亀二年 (1571) 武田信玄が足助城を攻略し、下條伊豆守信氏を城代とする。
天正元年 (1573) 家康の長男岡崎三郎信康が武田勢を追い払い、足助鈴木氏に足助城が戻る。
天正十八年 (1590) 徳川家康の関東入国に足助鈴木氏が従い足助の地を離れ、足助城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


城跡公園足助城の入口


足助城の門


復元された足助城


南の丸腰曲輪


井戸跡


天然の空堀


西の丸腰曲輪


西の丸の切岸


西の丸


西物見台


紅葉の落葉で赤く染まった天然空堀


南の丸の復元建物


南物見台


本丸高櫓


北腰曲輪


北腰曲輪から見た本丸高櫓


足助城全景


現地縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名古屋鉄道豊田線浄水駅から、おいでんバスで一の谷バス停下車、徒歩約40分。または名古屋鉄道本線東岡崎駅から名鉄バスで香嵐渓一の谷バス停下車、徒歩約40分。
<車>
東名高速日進JCTから名古屋瀬戸道路を通り、長久手ICで降りて県道6号を直進、愛・地球博記念公園横を通り過ぎ、八草ICから猿投グリーンロードを通り、終点の力石ICで降りて力石インター東三叉路信号を左折、国道153号飯田街道を東進、追分交差点信号を直進、足助大橋西三叉路信号を右折、川を渡り足助町へ入り、香嵐渓信号から約250mの三叉路を右側の山側へ登る道に入り、足助中学校を過ぎた三叉路を左折、山へ登って行き、途中の三叉路を左折約400mで足助真弓山城の城跡公園に着く。入口の前に駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

足助真弓山城(城跡公園)


紹介したお城の数 161城



愛知の山城ベスト50を歩く
愛知中世城郭研究会,中井 均
サンライズ出版


最新の画像もっと見る

コメントを投稿