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明智城

2013-01-12 22:05:59 | 岐阜県
 明智城

2013/1/5

岐阜県可児市のお城めぐり

 斎藤義龍(道三の子)に滅ぼされた明智光秀生誕地

≪ お城の概要 ≫

城名: 明智城
よみ: アケチ
別称: 長山城・明智長山城
所在地: 岐阜県可児市瀬田
現状: 山
築城年代: 十三世紀
築城者: 土岐頼基
形式: 平山城
遺構: 本丸曲輪・二の丸曲輪・中ノ曲輪・大手曲輪・東出丸曲輪・西出丸曲輪・西大手曲輪・乾曲輪・台所曲輪・水ノ手曲輪・馬場・見張台・大手門
規模: 長山の一帯
文化財:
訪城日: 2013/1/5


≪ 訪城記 ≫

久々利城から明智城へ向かう。
県道84号を西へ引き返し二野・羽崎交差点を右折し、花フェスタ記念公園を通り過ぎ次の信号一つ手前の細い十字路を左折県道341号を700m程進むと川に架かった橋があり、その橋を過ぎたらすぐに左折、100m程で次のT字路を左折、80m程で次のT字路を右折、200m程で光蓮寺の駐車場に着く。

光蓮寺の東側が明智城址公園となっていて、そこから山へ入る道が大手道です。
登城口には明智城大手道の石柱があり、左側には明智城址公園と土止め壁に書かれていて、その上の高台には展望台があり、見晴らしが良い。
大手道入り口には、明智城址公園散策マップと明智城址の説明板がある。
大手道を登ると大手門があり、山の谷間に作られた大手道は登るのにちょっとえらい。
大手道の左側が東出丸曲輪ですが、水道施設の配水場があり入れない、右側が中ノ曲輪で不整地の台状地があるのみです。
大手道を登り切ったところが二の丸曲輪と馬場で、馬場には弘治二年の落城で戦死した明智軍の七武将を葬った七ッ塚があります。さらに馬防柵が作られています。
二の丸曲輪を西に進むと本丸曲輪で城址碑や説明板、展望台があります。
さらに進むと西出丸曲輪で頂上に三角点があります。ここが長山の頂上のようです。
本丸曲輪と西出丸曲輪の間に搦手道があり、降りていく途中に台所曲輪、水ノ手曲輪があり、さらに進むと西大手曲輪が一段高い台状地にあり、そこには昭和四十八年に発見された六親眷属幽魂塔が祀られています。さらにベロ状の尾根を進むと見張台跡があります。

登城口を東へすこし行ったところに天龍寺があります。そこには明智氏歴代の墓所があります。
この城は、かの有名な明智光秀の出生したお城だそうです。

馬場跡のすぐ下に団地があり驚きました。


≪ 歴 史 ≫

十三世紀 土岐頼基が築城、その後、美濃国守護、土岐成頼の十男で明智荘に住み明智を称した頼兼の子孫に代々継がれる。築城者土岐頼基は成頼の兄である。
弘治二年 (1556) 斎藤義龍に攻められ落城、明智氏は離散した。おそらく離散した明智氏と明智光秀とは何らかの因果関係があるものと思われる。


≪ 写 真 ≫


登城口である明智城大手道


大手展望台


大手門


大手道


中ノ曲輪


二の丸曲輪


馬場跡にある七ッ塚


本丸曲輪展望台


明智城址碑


本丸曲輪


馬防柵


西出丸曲輪


台所曲輪


西大手曲輪の六親眷属幽魂塔


乾曲輪の見張台跡


搦手道


天龍寺にある明智氏歴代の墓所


現地明智城址公園散策路マップ(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR太多線可児駅からバスで羽生ヶ丘下車、徒歩15分
<車>
東海環状道可児御嵩ICを降りて右折し、国道21号可児御嵩バイパスを西に直進し、約400mで柿田交差点を左折、次の信号を超えてすぐの十字路を右折して、県道341号を700m程進むと川に架かった橋があり、その橋を過ぎたらすぐに左折、100m程で次のT字路を左折、80m程で次のT字路を右折、200m程で光蓮寺の駐車場に着く。


≪ 位置図 ≫

登城口


明智城


天龍寺


紹介したお城の数 8城



ビジュアル百科 日本の城1000城 1冊でまるわかり!
大野 信長,加唐 亜紀,有沢 重雄
西東社


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