勝竜寺城
2013/6/16
京都府長岡京市のお城めぐり
織田信長から与えられた細川藤孝の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 勝竜寺城
よみ: ショウリュウジ
別称:
所在地: 京都府長岡京市勝竜寺13-1
現状: 勝竜寺城公園・神足神社
築城年代: 室町時代中期
築城者: 畠山義就
形式: 平城
遺構: 本丸・沼田丸・模擬天守・多聞櫓・南門・北門跡・井戸・土塁・空堀
規模: 100m×600m、標高20m
文化財:
訪城日: 2010/11/3・2013/6/16
≪ 訪城記 ≫
淀城から勝竜寺城へ向かう。
淀城を出て京阪電車淀駅前の通りを通って旧京阪国道の納所複合交差点信号を斜め左を直進、桂川に架かる宮前橋を渡り、府道204号を西進、名神高速の高架下をくぐり、小畑川手前の落合橋交差点信号を右折、堤防沿いの府道211号を北上、大門橋で道なりに左へ曲がり、大門橋を渡ってガラシャ通りを北上すると左側に勝竜寺城公園が見える。勝竜寺城の内堀沿いの道を西へ入って行くと沼田丸にある「ガラシャのおもかげ水」の前に5~6台分の駐車場がある。ここに車を駐車する。
駐車場の北側が沼田丸で「ガラシャのおもかげ水」の横に井戸跡、入口に沼田丸跡の説明板、北端に空堀跡がある。
沼田丸の東側が本丸跡で南門前に説明板、「明智光秀公三女玉お輿入れの城」ほ石碑、橋を渡ったところに本丸跡の説明板があり、門をくぐると模擬天守、本丸西側に土塁跡、北門跡、北東隅に多聞櫓と土塁が復元されている。
井戸跡もいくつかあり、本丸内にも「ガラシャのおもかげ水」が置かれていて、南東側に細川忠興・玉(ガラシャ)の像がある。
本丸から200m程北に行くと神足神社があり、神社の西側竹藪内に土塁と空堀跡が見られる。
大門橋北詰にも大門橋の説明板がある。
勝竜寺城の詳細は ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
応仁の乱ごろに山城守護畠山義就が郡代役所として築く。
永禄九年ごろ (1566) 三好三人衆の一人、岩成友通が守っていた。
永禄十一年九月二十九日 (1568) 織田信長の攻撃により落城、以後、細川藤孝が配される。
天正九年 (1581) 細川藤孝が丹後国へ入封すると、京都所司代村井貞勝の被官矢部善七郎と猪子兵助が城代として配される。
天正十年 (1582) 本能寺の変後は明智光秀の支配下に置かれ、山崎の戦いで落城、廃城となる。
≪ 写 真 ≫
南門と模擬天守
明智光秀公三女玉お輿入れの城の石碑
南門虎口
南門
沼田丸の井戸跡
沼田丸
沼田丸北側の空堀跡
本丸西側の土塁
北門跡
本丸にあるガラシャのおもかげ水
本丸井戸跡
細川忠興・玉(ガラシャ)の像
東側土塁と土塀
本丸側からの多聞櫓
多聞櫓
内堀
神足神社
神足神社の西側土塁
神足神社の西側空堀
大門橋
現地説明板細川藤孝居城時の復元図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR東海道本線長岡京駅から徒歩約15分。
<車>
名神高速大山崎ICで降りて国道171号を名神高速沿いに北東へ進み、勝竜寺交差点信号を左折、小畑川手前の落合橋交差点信号を右折、堤防沿いの府道211号を北上、大門橋で道なりに左へ曲がり、大門橋を渡ってガラシャ通りを北上すると左側に勝竜寺城公園が見える。勝竜寺城の内堀沿いの道を西へ入って行くと沼田丸にある「ガラシャのおもかげ水」の前に5~6台分の駐車場がある。
≪ 位置図 ≫
勝竜寺城(勝竜寺城公園)
神足神社
大門橋
紹介したお城の数 96城
2013/6/16
京都府長岡京市のお城めぐり
織田信長から与えられた細川藤孝の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 勝竜寺城
よみ: ショウリュウジ
別称:
所在地: 京都府長岡京市勝竜寺13-1
現状: 勝竜寺城公園・神足神社
築城年代: 室町時代中期
築城者: 畠山義就
形式: 平城
遺構: 本丸・沼田丸・模擬天守・多聞櫓・南門・北門跡・井戸・土塁・空堀
規模: 100m×600m、標高20m
文化財:
訪城日: 2010/11/3・2013/6/16
≪ 訪城記 ≫
淀城から勝竜寺城へ向かう。
淀城を出て京阪電車淀駅前の通りを通って旧京阪国道の納所複合交差点信号を斜め左を直進、桂川に架かる宮前橋を渡り、府道204号を西進、名神高速の高架下をくぐり、小畑川手前の落合橋交差点信号を右折、堤防沿いの府道211号を北上、大門橋で道なりに左へ曲がり、大門橋を渡ってガラシャ通りを北上すると左側に勝竜寺城公園が見える。勝竜寺城の内堀沿いの道を西へ入って行くと沼田丸にある「ガラシャのおもかげ水」の前に5~6台分の駐車場がある。ここに車を駐車する。
駐車場の北側が沼田丸で「ガラシャのおもかげ水」の横に井戸跡、入口に沼田丸跡の説明板、北端に空堀跡がある。
沼田丸の東側が本丸跡で南門前に説明板、「明智光秀公三女玉お輿入れの城」ほ石碑、橋を渡ったところに本丸跡の説明板があり、門をくぐると模擬天守、本丸西側に土塁跡、北門跡、北東隅に多聞櫓と土塁が復元されている。
井戸跡もいくつかあり、本丸内にも「ガラシャのおもかげ水」が置かれていて、南東側に細川忠興・玉(ガラシャ)の像がある。
本丸から200m程北に行くと神足神社があり、神社の西側竹藪内に土塁と空堀跡が見られる。
大門橋北詰にも大門橋の説明板がある。
勝竜寺城の詳細は ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
応仁の乱ごろに山城守護畠山義就が郡代役所として築く。
永禄九年ごろ (1566) 三好三人衆の一人、岩成友通が守っていた。
永禄十一年九月二十九日 (1568) 織田信長の攻撃により落城、以後、細川藤孝が配される。
天正九年 (1581) 細川藤孝が丹後国へ入封すると、京都所司代村井貞勝の被官矢部善七郎と猪子兵助が城代として配される。
天正十年 (1582) 本能寺の変後は明智光秀の支配下に置かれ、山崎の戦いで落城、廃城となる。
≪ 写 真 ≫
南門と模擬天守
明智光秀公三女玉お輿入れの城の石碑
南門虎口
南門
沼田丸の井戸跡
沼田丸
沼田丸北側の空堀跡
本丸西側の土塁
北門跡
本丸にあるガラシャのおもかげ水
本丸井戸跡
細川忠興・玉(ガラシャ)の像
東側土塁と土塀
本丸側からの多聞櫓
多聞櫓
内堀
神足神社
神足神社の西側土塁
神足神社の西側空堀
大門橋
現地説明板細川藤孝居城時の復元図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR東海道本線長岡京駅から徒歩約15分。
<車>
名神高速大山崎ICで降りて国道171号を名神高速沿いに北東へ進み、勝竜寺交差点信号を左折、小畑川手前の落合橋交差点信号を右折、堤防沿いの府道211号を北上、大門橋で道なりに左へ曲がり、大門橋を渡ってガラシャ通りを北上すると左側に勝竜寺城公園が見える。勝竜寺城の内堀沿いの道を西へ入って行くと沼田丸にある「ガラシャのおもかげ水」の前に5~6台分の駐車場がある。
≪ 位置図 ≫
勝竜寺城(勝竜寺城公園)
神足神社
大門橋
紹介したお城の数 96城
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大野 信長,加唐 亜紀,有沢 重雄 | |
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