国吉城
2013/5/31
福井県美浜町のお城めぐり
若狭武田氏の重臣粟屋勝久が長年の籠城戦を戦った居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 国吉城
よみ: クニヨシ
別称: 粟屋勝久館・佐柿奉行所
所在地: 福井県三方郡美浜町佐柿
現状: 山・若狭国吉城歴史資料館
築城年代: 天文年間(1532-55)
築城者: 粟屋越中守勝久
形式: 山城
遺構: 本丸跡・伝二の丸跡・北西曲輪群・城主館跡・佐柿奉行所跡・准藩士屋敷跡・石垣・土塁・虎口・堀切
規模: 260m×220m、標高192.3m、比高67m
文化財: 町指定史跡
訪城日: 2013/5/31
≪ 訪城記 ≫
後瀬山城北麓の武田氏館から国吉城へ向かう。
空印寺駐車場から東へ八幡神社前を通り、誓願寺のT字路を右折、JR小浜線の踏切を渡って南東へ進み、後瀬山東信号を左折、国道27号を西進、上中駅前を通り、三宅信号を道なりに左に大きく曲り、倉見峠で北進、三方駅口を通り過ぎ、美方高校付近で道なりに右へ曲がり、美浜駅前を通り過ぎ、国吉城トンネルの手前、丹後街道と美浜東バイパスの分かれ道手前の「若狭国吉城歴史資料館」の案内板のある佐柿信号を斜め右に佐柿集落へ入って行く。500m程集落内を東進すると左側に見学者用の駐車場があり、ここに車を駐車する。さらに進むと歴史資料館前にも駐車場がある。
駐車場の東側に道を北に歩くと准藩士屋敷跡があり、屋敷跡の角を東に曲がると北の山が国吉城で麓に粟屋勝久館跡、東側に佐柿奉行所跡に「若狭国吉城歴史資料館」が建っている。
歴史資料館前のあぜ道を北へ行くと館跡で段々になった削平地や土塁、石組溝、礎石建物跡を見られる。館入口に説明板とパンフレットが置いてある。
館の段曲輪を左手に眺めながら登城道を登っていくと、途中に獣除けの柵が設けてあり、柵の扉を開けて中に入る。扉は必ず閉めてください。
つづら折れの道を登ること約20分で伝二の丸前に着く。案内板の脇を西側に少し降りると土塁跡が南面にあり、その奥、虎口を入るとこじんまりした削平地がある。ここが伝二の丸跡です。伝二の丸跡から15分程登ると本丸前の堀切に出る。この辺りは発掘作業中で、掘り出された石垣跡を見ることが出来る。
堀切を右に登っていくと虎口と分かりにくい低い段になった北西虎口を通って本丸へ、中央に説明板と小さな国吉城址碑、削平地の東側に土塁跡と東虎口跡がある。
北西側の堀切へ戻り、ここから北西に延びた北西曲輪群が五段続いている。各段には立派な切岸と削平地があり、特に3段目の北側には土塁と虎口が見られる。
麓まで降りて「若狭国吉城歴史資料館」に寄る、入館料は100円です。
≪ 歴 史 ≫
天文年間 (1532-55) 粟屋勝久が築城する。
永禄六年 (1563) 越前朝倉氏から攻められ永禄十二年(1569)までの七年間籠城戦を戦い抜きましたが、永禄十一年(1568)国吉城を攻め落とせず、朝倉勢は矛先を変えて小浜を攻め、後瀬山城の武田家当主武田元明を越前へ拉致しました。
元亀元年四月 (1570) 織田信長が越前朝倉氏を攻め、この時信長は国吉城へ入城し、国吉城を朝倉攻めの本陣として、手筒山城、金ヶ崎城を落しましたが近江浅井氏の裏切りにより挟撃を恐れた信長は京都へ退却しました。
天正元年八月 (1573) 織田信長軍は刀根坂合戦で朝倉勢を破り、一気に越前まで侵攻して越前朝倉氏を滅ぼしました。粟屋氏も活躍し、領地を安堵されています。
その後、粟屋氏は本能寺の変後、秀吉から所領を移され代わって木村常陸介重滋が城主となりましたが、文禄四年(1595)関白秀次事件に連座して木村重滋が自刃し、堀尾可晴、丹羽氏の江口三郎右衛門、浅野氏の浅野平右衛門、木下氏の松平三左衛門、京極氏の多賀越中と城主が代わり、酒井忠勝が小浜城主となり国吉城は廃城して佐柿に代官所が設置された。
≪ 写 真 ≫
登城口
登城道途中の准藩士屋敷跡
国吉城遠景
麓の粟屋勝久館跡
館跡の段曲輪
館跡の土塁
館跡の石組溝
獣除けの柵
二の丸付近の案内板
二の丸の土塁
二の丸虎口
二の丸
発掘中の本丸下の石垣跡
発掘中の本丸と北西曲輪群の間の堀切跡
本丸北西虎口
本丸
本丸中央の国吉城址碑
本丸東側の土塁跡
本丸東虎口
北西曲輪群1段目
北西曲輪群1段目の切岸
北西曲輪群2段目
北西曲輪群2段目の切岸
北西曲輪群3段目
北西曲輪群4段目
北西曲輪群5段目
若狭国吉城歴史資料館
登城口の国吉城散策絵図(リンク付サムネイル)
現地説明板縄張図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR小浜線美浜駅から徒歩約25分。
<車>
北陸自動車道敦賀ICを降りて敦賀バイパスを南下、高架の分岐点を右に曲がり敦賀市内方面金山バイパスへ、JR北陸本線の下をくぐり、岡町町1丁目交差点信号を直進、国道27号金山バイパスを西進、そのまま国道27号を進み、国吉城トンネルを通り抜けてすぐの左側が佐柿の集落で「若狭国吉城歴史資料館」の案内板のある佐柿感応式信号機を大きく左に曲がり佐柿集落へ入って行く。500m程集落内を東進すると左側に見学者用の駐車場があり、さらに進むと歴史資料館前にも駐車場がある。
≪ 位置図 ≫
国吉城
若狭国吉城歴史資料館
紹介したお城の数 91城
2013/5/31
福井県美浜町のお城めぐり
若狭武田氏の重臣粟屋勝久が長年の籠城戦を戦った居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 国吉城
よみ: クニヨシ
別称: 粟屋勝久館・佐柿奉行所
所在地: 福井県三方郡美浜町佐柿
現状: 山・若狭国吉城歴史資料館
築城年代: 天文年間(1532-55)
築城者: 粟屋越中守勝久
形式: 山城
遺構: 本丸跡・伝二の丸跡・北西曲輪群・城主館跡・佐柿奉行所跡・准藩士屋敷跡・石垣・土塁・虎口・堀切
規模: 260m×220m、標高192.3m、比高67m
文化財: 町指定史跡
訪城日: 2013/5/31
≪ 訪城記 ≫
後瀬山城北麓の武田氏館から国吉城へ向かう。
空印寺駐車場から東へ八幡神社前を通り、誓願寺のT字路を右折、JR小浜線の踏切を渡って南東へ進み、後瀬山東信号を左折、国道27号を西進、上中駅前を通り、三宅信号を道なりに左に大きく曲り、倉見峠で北進、三方駅口を通り過ぎ、美方高校付近で道なりに右へ曲がり、美浜駅前を通り過ぎ、国吉城トンネルの手前、丹後街道と美浜東バイパスの分かれ道手前の「若狭国吉城歴史資料館」の案内板のある佐柿信号を斜め右に佐柿集落へ入って行く。500m程集落内を東進すると左側に見学者用の駐車場があり、ここに車を駐車する。さらに進むと歴史資料館前にも駐車場がある。
駐車場の東側に道を北に歩くと准藩士屋敷跡があり、屋敷跡の角を東に曲がると北の山が国吉城で麓に粟屋勝久館跡、東側に佐柿奉行所跡に「若狭国吉城歴史資料館」が建っている。
歴史資料館前のあぜ道を北へ行くと館跡で段々になった削平地や土塁、石組溝、礎石建物跡を見られる。館入口に説明板とパンフレットが置いてある。
館の段曲輪を左手に眺めながら登城道を登っていくと、途中に獣除けの柵が設けてあり、柵の扉を開けて中に入る。扉は必ず閉めてください。
つづら折れの道を登ること約20分で伝二の丸前に着く。案内板の脇を西側に少し降りると土塁跡が南面にあり、その奥、虎口を入るとこじんまりした削平地がある。ここが伝二の丸跡です。伝二の丸跡から15分程登ると本丸前の堀切に出る。この辺りは発掘作業中で、掘り出された石垣跡を見ることが出来る。
堀切を右に登っていくと虎口と分かりにくい低い段になった北西虎口を通って本丸へ、中央に説明板と小さな国吉城址碑、削平地の東側に土塁跡と東虎口跡がある。
北西側の堀切へ戻り、ここから北西に延びた北西曲輪群が五段続いている。各段には立派な切岸と削平地があり、特に3段目の北側には土塁と虎口が見られる。
麓まで降りて「若狭国吉城歴史資料館」に寄る、入館料は100円です。
≪ 歴 史 ≫
天文年間 (1532-55) 粟屋勝久が築城する。
永禄六年 (1563) 越前朝倉氏から攻められ永禄十二年(1569)までの七年間籠城戦を戦い抜きましたが、永禄十一年(1568)国吉城を攻め落とせず、朝倉勢は矛先を変えて小浜を攻め、後瀬山城の武田家当主武田元明を越前へ拉致しました。
元亀元年四月 (1570) 織田信長が越前朝倉氏を攻め、この時信長は国吉城へ入城し、国吉城を朝倉攻めの本陣として、手筒山城、金ヶ崎城を落しましたが近江浅井氏の裏切りにより挟撃を恐れた信長は京都へ退却しました。
天正元年八月 (1573) 織田信長軍は刀根坂合戦で朝倉勢を破り、一気に越前まで侵攻して越前朝倉氏を滅ぼしました。粟屋氏も活躍し、領地を安堵されています。
その後、粟屋氏は本能寺の変後、秀吉から所領を移され代わって木村常陸介重滋が城主となりましたが、文禄四年(1595)関白秀次事件に連座して木村重滋が自刃し、堀尾可晴、丹羽氏の江口三郎右衛門、浅野氏の浅野平右衛門、木下氏の松平三左衛門、京極氏の多賀越中と城主が代わり、酒井忠勝が小浜城主となり国吉城は廃城して佐柿に代官所が設置された。
≪ 写 真 ≫
登城口
登城道途中の准藩士屋敷跡
国吉城遠景
麓の粟屋勝久館跡
館跡の段曲輪
館跡の土塁
館跡の石組溝
獣除けの柵
二の丸付近の案内板
二の丸の土塁
二の丸虎口
二の丸
発掘中の本丸下の石垣跡
発掘中の本丸と北西曲輪群の間の堀切跡
本丸北西虎口
本丸
本丸中央の国吉城址碑
本丸東側の土塁跡
本丸東虎口
北西曲輪群1段目
北西曲輪群1段目の切岸
北西曲輪群2段目
北西曲輪群2段目の切岸
北西曲輪群3段目
北西曲輪群4段目
北西曲輪群5段目
若狭国吉城歴史資料館
登城口の国吉城散策絵図(リンク付サムネイル)
現地説明板縄張図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR小浜線美浜駅から徒歩約25分。
<車>
北陸自動車道敦賀ICを降りて敦賀バイパスを南下、高架の分岐点を右に曲がり敦賀市内方面金山バイパスへ、JR北陸本線の下をくぐり、岡町町1丁目交差点信号を直進、国道27号金山バイパスを西進、そのまま国道27号を進み、国吉城トンネルを通り抜けてすぐの左側が佐柿の集落で「若狭国吉城歴史資料館」の案内板のある佐柿感応式信号機を大きく左に曲がり佐柿集落へ入って行く。500m程集落内を東進すると左側に見学者用の駐車場があり、さらに進むと歴史資料館前にも駐車場がある。
≪ 位置図 ≫
国吉城
若狭国吉城歴史資料館
紹介したお城の数 91城
ビジュアル百科 日本の城1000城 1冊でまるわかり! | |
大野 信長,加唐 亜紀,有沢 重雄 | |
西東社 |
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます