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革手城

2013-10-09 20:53:39 | 岐阜県
 革手城

2013/9/21

岐阜県岐阜市のお城めぐり

 美濃・尾張・伊勢三か国の守護職土岐頼康の本拠城

≪ お城の概要 ≫

城名: 革手城
よみ: カワテ
別称: 川手城・河手府城・岐之幕府
所在地: 岐阜県岐阜市正法寺町
現状: 済美高校
築城年代: 正平年間(1346-70)
築城者: 土岐頼康
形式: 平城
遺構:
規模: 標高8~9m
文化財:
訪城日: 2011/6/14・2013/9/21


≪ 訪城記 ≫

加納城から徒歩で革手城へ向かう。

革手城を南へ出て南側の大通り県道1号の歩道を東へ歩き、境川を越えたすぐの手押信号のある歩道を南に渡り、道を約200m程南下した交差点東側が済美高校の敷地で、真ん中に東西の道が通っていて、その中央付近の南側、グランド前に小さな区画された敷地があり、この中に説明板と川手城址碑が建てられているのみで遺構はない。
駐車する場所がないため加納城に駐車して徒歩で行くことをお勧めする。加納城から徒歩約15分。


≪ 歴 史 ≫

正平年間 (1346-70) 土岐頼康が美濃・尾張・伊勢三か国の守護となったとき、革手城を築いて長森城から移る。
明応四年 (1495) 土岐成頼の嫡子政房と後室の子元頼の相続争いと守護代斎藤氏と石丸氏の対立から起こった船田合戦で灰塵となった。
大永七年 (1527) 土岐政房の次子頼芸が西村勘九郎(のち斎藤道三)の助けを得て兄政頼の革手城をを襲い、政頼は越前朝倉氏のもとへ逃れた。頼芸が鷺山城から革手城に移る。その後、頼芸が枝広館に住しているので革手城は廃城となったようです。


≪ 写 真 ≫


済美高校中央の道


川手城趾碑と説明板のある場所


川手城趾碑

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR岐阜駅から徒歩約40分。バスで下川手口バス停から徒歩約5分。
<車>
名神高速道路岐阜羽島ICで降りて県道46号を北上、竹鼻町大西交差点信号を斜め右折、県道151号を北東に進み、足近小学校西三叉路信号を斜め左折、北上して薮田交差点信号を右折、国道21号を東進、宇佐三叉路信号を斜め右に曲がり岐大バイパスを東進、道なりに左に曲がり茜部中島信号で側道に入り、茜部本郷信号で左折、国道157号加納中通りを北上、加納城南通2東交差点信号を右折、県道1号を東へ加納城南通1信号を過ぎて100m程の北へ入る道を50m程進むと加納城南側入り口に着く。入口の東側、石垣前に車を駐車可能。加納城から徒歩約15分。


≪ 位置図 ≫

革手城(済美高校)


紹介したお城の数 136城



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