永原御殿
2014/5/30
滋賀県野洲市のお城めぐり
永原氏代々の居城を将軍上洛時の宿泊施設として築かれた御殿
≪ お城の概要 ≫
城名: 永原御殿
よみ: ナガハラ
別称: 永原城・御茶屋御殿
所在地: 滋賀県野洲市永原
現状: 竹林
築城年代: 室町時代中期
築城者: 永原氏
形式: 平城
遺構: 堀・土塁・石垣・移築門
規模: 200m×200m
文化財:
訪城日: 2011/7/28・2014/5/30
≪ 訪城記 ≫
市三宅城から永原御殿に向かう。
市三宅自治会館を出て前の道を約80m南下した交差点を左折、約230m東進した交差点信号を左折、北東に進み北野小学校前を通り、水田地帯を進み、野洲市総合体育館前を通り、川を渡り、永原北交差点信号を右折、約200m南東に進んだ土安神社交差点を右折してすぐの西側の竹林が永原御殿跡で説明板前の空き地に駐車可能。さらに進んだ江部自治会館前にも駐車可能。
かなり広い竹林で正方形をしているようで、北面、西面、南面に堀跡が残り、竹林の中には入れそうもありません。
南東面の畑と水田の境に石垣跡が残っている。
移築表門のある浄専寺へ徒歩で向かう。
土安神社から東にある野洲北中学校角を北に約450m進み、県道32号を渡り、北集落内の道を約350m北上した北自治会館の東側が浄専寺で南側に古い永原御殿の城門が移築されている。
≪ 歴 史 ≫
永徳(1381-84)、明徳(1390-94)の合戦で軍功をたてた永原大炊助宗行が野洲郡内で知行を得る。
文明十二年 (1480) 永原越前守重秀が小堤、入日岡、田中江に城を構える。
永禄十一年 (1568) 織田信長の上洛戦で六角氏とともに戦い落城する。
元亀元年 (1570) 織田信長の部将佐久間信盛が在城する。
天正元年 (1573) 浪々の身であった永原氏の永原飛騨助実治が信長に許され、再び永原城主となる。
天正十年 (1582) 永原城主永原実治が山崎の合戦で戦死、翌年、深尾清十郎が城主となる。
文禄年間 (1592-96) 永原城は廃城となる。
慶長六年 (1601) 徳川家康の下向時、慶長十九年(1614)、大坂冬の陣や夏の陣、家光の将軍宣下時に永原御殿が利用されている。
寛永十一年 (1634) 永原御殿が大改修される。
貞享二年 (1685) 将軍上洛が停止され、永原御殿は廃止される。
≪ 写 真 ≫
南西側からの永原御殿
南西側の堀跡
南側の土塁跡
南東側の石垣跡
浄専寺の移築城門
現地永原御殿平面概略図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR東海道本線野洲駅からバスで江部バス停下車、徒歩約5分。
<車>
名神高速栗東ICを降りて国道8号と合流して北上、野洲川に架かる野洲川大橋を渡り、小篠原交差点信号を左折、東海道新幹線高架下をくぐり、JR東海道本線の陸橋を渡り、久野部交差点信号を直進、北野小学校前交差点信号を右折、水田地帯を北上、野洲市総合体育館前を通り、川を渡り、永原北交差点信号を右折、約200m南東に進んだ土安神社交差点を右折してすぐの西側の竹林が永原御殿跡で説明板前の空き地に駐車可能。さらに進んだ江部自治会館前にも駐車可能。
≪ 位置図 ≫
永原御殿
浄専寺
紹介したお城の数 238城
2014/5/30
滋賀県野洲市のお城めぐり
永原氏代々の居城を将軍上洛時の宿泊施設として築かれた御殿
≪ お城の概要 ≫
城名: 永原御殿
よみ: ナガハラ
別称: 永原城・御茶屋御殿
所在地: 滋賀県野洲市永原
現状: 竹林
築城年代: 室町時代中期
築城者: 永原氏
形式: 平城
遺構: 堀・土塁・石垣・移築門
規模: 200m×200m
文化財:
訪城日: 2011/7/28・2014/5/30
≪ 訪城記 ≫
市三宅城から永原御殿に向かう。
市三宅自治会館を出て前の道を約80m南下した交差点を左折、約230m東進した交差点信号を左折、北東に進み北野小学校前を通り、水田地帯を進み、野洲市総合体育館前を通り、川を渡り、永原北交差点信号を右折、約200m南東に進んだ土安神社交差点を右折してすぐの西側の竹林が永原御殿跡で説明板前の空き地に駐車可能。さらに進んだ江部自治会館前にも駐車可能。
かなり広い竹林で正方形をしているようで、北面、西面、南面に堀跡が残り、竹林の中には入れそうもありません。
南東面の畑と水田の境に石垣跡が残っている。
移築表門のある浄専寺へ徒歩で向かう。
土安神社から東にある野洲北中学校角を北に約450m進み、県道32号を渡り、北集落内の道を約350m北上した北自治会館の東側が浄専寺で南側に古い永原御殿の城門が移築されている。
≪ 歴 史 ≫
永徳(1381-84)、明徳(1390-94)の合戦で軍功をたてた永原大炊助宗行が野洲郡内で知行を得る。
文明十二年 (1480) 永原越前守重秀が小堤、入日岡、田中江に城を構える。
永禄十一年 (1568) 織田信長の上洛戦で六角氏とともに戦い落城する。
元亀元年 (1570) 織田信長の部将佐久間信盛が在城する。
天正元年 (1573) 浪々の身であった永原氏の永原飛騨助実治が信長に許され、再び永原城主となる。
天正十年 (1582) 永原城主永原実治が山崎の合戦で戦死、翌年、深尾清十郎が城主となる。
文禄年間 (1592-96) 永原城は廃城となる。
慶長六年 (1601) 徳川家康の下向時、慶長十九年(1614)、大坂冬の陣や夏の陣、家光の将軍宣下時に永原御殿が利用されている。
寛永十一年 (1634) 永原御殿が大改修される。
貞享二年 (1685) 将軍上洛が停止され、永原御殿は廃止される。
≪ 写 真 ≫
南西側からの永原御殿
南西側の堀跡
南側の土塁跡
南東側の石垣跡
浄専寺の移築城門
現地永原御殿平面概略図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR東海道本線野洲駅からバスで江部バス停下車、徒歩約5分。
<車>
名神高速栗東ICを降りて国道8号と合流して北上、野洲川に架かる野洲川大橋を渡り、小篠原交差点信号を左折、東海道新幹線高架下をくぐり、JR東海道本線の陸橋を渡り、久野部交差点信号を直進、北野小学校前交差点信号を右折、水田地帯を北上、野洲市総合体育館前を通り、川を渡り、永原北交差点信号を右折、約200m南東に進んだ土安神社交差点を右折してすぐの西側の竹林が永原御殿跡で説明板前の空き地に駐車可能。さらに進んだ江部自治会館前にも駐車可能。
≪ 位置図 ≫
永原御殿
浄専寺
紹介したお城の数 238城
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