神に帰る生き方

せっかく生まれてきたのだから、心平安に生きていきたい!と思う。

願いは必ず叶う

2020-05-03 07:07:18 | イスラム教
この記事は2019年11月に私がメルマガに書いたものです。
メルマガの登録はこちらから
◎神に帰る生き方
⇒ https://www.mag2.com/m/0001680690.html?l=itj168995b

神様はシャイである。
ドゥアーは崇拝の真髄である。
ということを前回書いてみました。

こんにちは ファーティマ松本です。


さて、神様への直接談判(ドゥアー)についてです。

『我に祈りなさい。我はあなた方の祈りに答えるであろう。』
(クルアーン 40:60)
と、クルアーンにも書いてある通り、神様は私たちの願いを叶えて下さる存在です。

どーんなことでも構いません。
どんどんお願いをした方が”絶対に”いいのです。

なぜなら、
本当に『お願いが叶ってしまうから』
なのですが、
「いやいや、そーんなの嘘でしょう。」
って思われる方も多いと思います。
「いっぱいお願いしたけど、一度も叶ったことなんてないよ。」
という人もたくさんいるのではないでしょうか。
でも、
神様は上記のように、「祈りに応える」とおっしゃってくれているんですから、
何かしらの方法で、ちゃんと願いを叶えてくださっているはずなんです。

では「どうやって私たちの願いが叶えられるのか」
について今回は少し考えてみたいと思います。

まず最初に、第一のパターン!
これ、一番わかりやすいパターンです。
「すぐに願った通りになる!!」
これいいですよねえ。分かりやすいし。

この間、うちの末っ子が
「隣の子が意地悪だから席をかわりたい」と神様にお願いしたら
なんと!次の日にはその願いが叶っていました!(パチパチ)
これは、もう分かりやすいから有り難みもマックスかもしれませんよねえ。
娘も私も大喜びでした!

第2のパターン!
「願ったものが、暫くしてから叶う!」
これは、ちょっと辛抱が必要ですね。
でも神様は、私たちにとって”一番いいものを一番いい時に”与えて下さいます。
だから、願ったものが今、この時に叶わなかったとしたら、
それは、まだその時ではない、と思うといいかもですね。
今はちょっと耐えて、明るい未来を待ちましょう。

第3のパターン!
「願ったものは叶わないけども、代わりに悪運を取り除いてくれる!」
これは、かなり実感しにくいものですが、ちょっと考えるとすごい事です。
なぜなら、
私たちが願うものの全てが、私たちにとって良いとは限りません。
例えば、
芸人のなんとかさんと結婚したい!と切に願ったとして
それが本当に、その人にとって良いことかどうか?
お金が欲しい!と多くの人は切実に思いますけども、
大金を得ることが本当にその人にとって良いことかどうか?
神様は、いくら私たちが欲しようが、
私たちにとって悪いもの、又は私たちを地獄へと近づけるものをお与えにはなりません。
(優しい神様ですからね。)
ですから、そんなものを与える代わりに
私たちに身に起きたであろう悪い出来事を、それが起きる前に消し去ってくれるのです。
例えば、そこで転んで怪我をする運命であったけど、転ばずに普通に家に帰れたとか。
病気になる運命だったけど、元気でピンピンしているとか。
ただ、これって
最初の運命を知らない私たちにとっては、あまりよく分からないから実感しずらいし、
感謝もしにくいですよね。
「あー、私は本当はここで怪我をするはずだったけど、しないで済んだ。有難い!」って
思う人なんて絶対にいませんもん。

でも実際は、いろいろな所で助けられて生きているんですよね、私たちって。
だから、常に神様に感謝をしながら生きていかないといけないなって思っちゃいますよね。
私なんか、今思うと”オッソロシイ事”結構やっていたような気がするんです。
よく無事で、この歳までやってこられたと思う次第でございます。(汗)

家に無事に帰れたら、感謝!
家族が全員帰ってこられたら、感謝!
食べ物あって、寝る所あって、感謝感謝、本当に感謝です。

さあて、最後のパターンにいきましょう!
これもかなりパワフルです。
私たちがお願いをしても、
すぐにも後にも叶わなかったとしましょう。
代わりに悪運も消えなかったとしましょう。
そんな時
「お祈りしただけ損した。」
なーーんて思わないでください。
なぜなら、そんなお願いは最後の審判の日に
「善行」となって私たちの所へやってきてくれるからです。
それも、何倍にも大きくなってですよ!
その時、(死んでからになってしまいますが)
「あー、お願いしておいて良かった!」って思う事必至。
いやいや、その時はきっと
「もっとお願いしておけば良かったなあ。」って後悔してしまうかもしれません。
その時に後悔しないように、
生きている間にたくさん神様にお願いをしましょう。

神様にお願いすること(ドゥアー)は
なんと言ったって”崇拝の本髄”であるわけですから。

それでは、なぜ
ドゥアーが”崇拝の本髄”になるのか?
本当は今週に書きたかったのですが、
書ききれませんでしたので、来週に続きます。

今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!
=========================
アマゾンから電子書籍発売中!

「イスラム的現世の歩き方」
http://www.amazon.co.jp/dp/B01HQB2VPW/
イスラム的な人生の処世術!
あなたは何のために生まれ、何をして生きていけばいいのでしょう。
人生の目的は?

せっかく生まれてきたのです。
神様に守られた平和な現世を歩きたくはありませんか。
そして来世では、天国に入って
”永遠に” ”幸せ” に暮らしたくはありませんか。
方法はとてもシンプルです。
今まで知らなかったイスラム教に出会える本です。
=======================

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« シャイな神様 | トップ | 神様に祈るとは? »

コメントを投稿

イスラム教」カテゴリの最新記事