
鬼一法眼、由岐神社を感慨深く通ると、この像に出会った。「愛と光と力の像 いのち」である。
「互いに捧げ合い扶け合い/共に生きるいのちの環の中で/大きないのちの愛と光と力によって/私たちも生かされている」
「すべては尊天にてまします」
鬼や流刑に処される神について安易なヒューマニズムに陥ることなく、鞍馬はすべてを命の光として考えてる、ということなのだろう。この多様な動植物のいのちで満ちあふれている鞍馬山、そのいのちの環の中に、人があり、鬼があり、神があり、動物があり、植物がある。それらすべてを含む宇宙のいのちが「尊天」なのであり、その「尊天」を鞍馬は信仰する。
大きな命の環。孤立する生命でなく、大きな命と常につながっている「わたくし」の命。鞍馬に立つと何か気持ちがいいのは、そういう大きなものを感じることができるからかもしれない。