毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

京都旅行11 八坂神社2

2005年08月11日 11時37分26秒 | 観光

 牛頭天王がわかりにくいのは、長い歴史の中、さまざまな要素が習合し、地域ごとに変化が見られること。さらに明治の廃仏毀釈でもともと仏式の儀礼を多く含んでいた牛頭天王の祭儀は禁止され、明治祭式に改められてしまったことによる。
 たとえば八坂神社に伝わる「祇園牛頭天王縁起」、花祭りで有名な東栄町に伝わる「牛頭天王島渡り」祭文、また「備後国風土記」逸文の蘇民将来伝説、すべてが異なる物語となっている。
 おおまかに整理すると、まず最初は渡来人系の水神信仰から始まったように思う。
 祇園祭と言うと山鉾巡行が有名だけれど、それに先立つ3基の神輿が大切なのだ。山鉾は後から加わった華やかな行事だが、もともとは3基の神輿が決められた井戸を巡り、その水を浴びることが儀礼の中心であった。
 祇園社は(ちなみに祇園という名はインドの祇園精舎にちなむ。牛頭天王は祇園精舎の守護神と言われていた)中の間で牛頭天王を、西の間で婆利女を、東の間で蛇毒気神を祀っていた。3基の神輿はそれぞれ、この3神をあらわしている。
 それぞれが実は水に関係する。
 蛇や龍は水神なのである。蛇毒気神(これは胎盤と血の池に関係するのだが、煩雑なので説明は省きます。詳しいことは山本ひろ子著「異神」を読まれることをお勧めします)は、蛇なので当然水神。牛頭天王を祀る本殿下には龍穴という泉があり、牛頭天王が龍であり、泉との関係を示している。最初はこの泉そのものが崇拝の対象であり、後、その泉の上に本殿を造ったのではないか、と思う。シャルトル大聖堂などキリスト教の建物でも同じだ。
 婆利女は、少将井と呼ばれ、その井戸が京都にある。やはり蛇神である。
 朝鮮では病気を治すために巫女に龍神を祀らせる風習があった。この風習が大陸からの渡来人とともに日本にやってきて、疫病流行の際に龍神を祀ったのであろう。
 やがてこれが大陸からの神牛頭天王と習合し、さらに、素戔嗚尊と習合する。

 この項続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガクアジサイ

2005年08月11日 09時40分50秒 | らくがき


ちょっと季節は遅れてしまったけれど、ガクアジサイ。ガクアジサイって、子どもの頃あまり目にしなかったような気がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする